第5章 4
全てを話すとは言ったものの、いつまでもこんな場所に長居するのは気が引ける。
アディの提案にはアメリアも同意見だったため、二人は場所を変えることにした。行き先は街の入口付近にある喫茶店。わざわざ店で一服する必要があるのか疑問を覚えたものの、乗合馬車の停留場からも程近く、旅人が時間を潰すのにおすすめの場所だとアディが主張したので、結局そこへ向かうことにしたのだ。
道中、人通りが疎らなのを幸いに彼が所属する組織について質問をした。グロワールでも有数の富豪が恐れる程の暗殺組織。オルド達の反応が気にかかった。アディはあまり話をしたくないようで何度も話を逸らそうとしたが、その度にアメリアは食いついた。結果、彼はあまり多くは語らなかったが、その概要だけは重い口を開いた。
彼の所属する“死の呼び声”は暗殺専門のプロ組織。アメリアは偶然関わりを持たないためその存在を知らなかったものの、裏社会ではそれなりに有名で、その顧客は国の重役等やんごとなき身分の人間ばかり。もちろん依頼料も一般人にしたら現実味のない数字らしいが、正確なところはアディ自身も知らないという。多少遊んでも不自由の無い生活が送れるだけの報酬はもらっているから、細かい事は興味がないのだろう。
組織の話のついでアディについても聞いてみたが、こちらは納得する解答は返ってこなかった。ディーノはアディの事を知っているようだったが、当の本人は「僕って有名人だったんですねー」と笑っていた。暗殺者の名前が売れるなどそうそうあるとは思えない。一見すると胡散臭い以外は普通の少年なのだが、人は見かけによらないと言うことなのか。
本当の悪魔を宿す短剣という存在は一体どのようなものなのだろうか。これから先も彼には警戒が必要らしい。
やがて喫茶店に辿り着くと、二人は店の奥の席に座った。早朝の時間帯のせいか客数も疎らで、周囲の席に人はいない。これなら内緒話をするにも都合がいい。
色々あって結局徹夜してしまったアメリアは濃いブラックコーヒーを、アディはカフェラテを注文する。二人は暫くの間沈黙をしていたが、目の前に注文の品が運ばれ、アディが備え付けの角砂糖の瓶を手繰り寄せた瞬間、アメリアの顔が明らかに歪んだ。
「……あんた、何してんの?」
「え?砂糖を入れてるだけですよ?」
「…………」
白い塊がマグカップの中に落ちる度、心の中でカウントする。
一、二、三、四……五。
アディは瓶の中に銀のトングを落とすと、セットのスプーンでくるくると掻き回し、その液体を飲んだ。その様子をアメリアは呼吸も忘れて凝視する。アディは至福の面持ちで息をついた。
「ココアもいいけどカフェラテもおいしいですねー」
「…………」
カフェラテだったものを無言で見つめる。味の想像がつかない。
「どうしたんですか、アメリアさん?」
不思議そうに首を傾げるアディに、アメリアは遠くに目を向けながら頭を振った。
「ーー何でもないわ。本題に入るわよ」
こんな穏やかな時間を過ごすためにこの場にいるわけではない。仕切り直すように呟くと、アディも頭を縦に振った。
「そうですね。では何からお話しましょうか?」
テーブルの上に頬杖をつきながらアディが視線を寄越す。アメリアはコーヒーを一口含んだ。苦味とほのかな酸味が徹夜明けの脳を程よく刺激する。
「色々聞きたいことはあるけれど。……そうね、いつから私を利用していたの?」
単刀直入な問い掛け。アディの双眸が細められる。すぐに答えない彼の代わりにアメリアは続けた。
「あんたは私に助けられたと言っていたけれど、私は何もしていない。つまり私の意図しないところであんたは私を利用していた。違う?」
表情の変化一つ見逃さないよう、真っ直ぐ彼の瞳を見つめる。アディは視線を逸らさない。互いに互いの目を見つめ合う。
やがてふっと息をつくとアディはカップを口に運んだ。
「……最初から、でしょうか」
「最初?」
「ええ。今回の仕事の手始めに、僕は取引道具を所有するリドルについて調べました。その中でアメリアさんの存在も知りました。……もちろんその正体までは知りませんでしたけど」
声量を落としアディは付け加えた。無言でアメリアが睨みつけると、緩い笑みをその顔に貼り付ける。
「あの時本当は始末する前に割符の在処を喋らせるつもりだったんです。でも乱入者のせいでその時間が無かった。だから二人とも殺害し、片方の死体を隠すことで彼らの目をアメリアさんに向けさせ、取引道具を彼らに探させようと思ったんです。アメリアさんの正体を見抜けなかったのは大誤算でしたが」
大誤算。その割に彼の表情は穏やかだ。当時の事をおかしそうに話している。
「そこで更に予想外の出来事が起きました。この僕が油断していたとはいえ、返り討ちに遭った上に見逃された。長いこと仕事をしして来ましたが、こんなに楽しく思えたのは久しぶりでした」
心無しかアディの声は弾んでいる。命の危機を楽しいと表現する彼の感覚はとても普通とは言い難い。やはり目の前の少年は暗殺者なのだと改めて実感させられる。
そこで一度言葉を切り、彼は喉を潤した。つられるようにアメリアもコーヒーを傾ける。
「対象の殺害は失敗しましたが、予定通り彼らは貴女に疑いの目を向け、割符を探し始めた。だからアメリアさんに矢面に立ってもらっている間に調査を進め、ペンダントに見当をつけたんです。その途中でオルドの事も知りました。まさかペンダントの回収に行く途中で遭遇するとは思いませんでしたけどね」
「ペンダントはいつ持ち出したの?」
「もちろんアメリアさんが感慨に耽っている時です」
悪びれた様子もなくアディは答える。それがいつの事かすぐに思い当たった。見納めと思ってアメリアが街の風景を目に焼き付けていたあの時だ。あの時感じた視線はペンダントをくすねようと様子を窺っていたのだろう。
「つまり、今回私に降り掛かった全ての災難は等しくあんたの所為ってわけね」
「あは、そんなに怒らないでくださいよ。だから聞かない方がいいって言ったじゃないですか」
「そういう問題じゃない!」
うっかり声を荒らげてしまった。咄嗟に周囲を見回す。二人が来るより早く店先に陣取っていた中年の男性が怪訝そうにこちらを見ている。目が合うと気まずそうに目を逸らされた。いたたまれずに顔を背ければ、にやにやと口元を歪めるアディが視界に映った。
「利用させてもらったことについては謝罪します。だから機嫌直してくださいよ。お詫びに一ついい情報を提供しますから」
「情報?」
「はい。昨日エルツからの遠距離往復馬車がグロワールに到着したそうです。荷物の積み下ろしが終わる今日の昼前に出立するみたいですよ。良ければ次の目的地にいかがですか?」
エルツーー宝石等の発掘が主な資金源となっている鉱山の街だ。大陸の東の果てに位置し、グロワールからだと馬車で一週間程かかる。
「あんたの提案ってのは気にくわないけど、エルツか……悪くないわね」
オルド達の件が無くなった今、遠い地に身を隠す必要は無いのだが、こんな煌びやかな街の後は落ち着いた雰囲気のあの街もいいかもしれない。
(あの二人、元気にしてるかな。きっと相変わらずなんだろうけど……)
飄々とした男と、自分とは正反対の元気が取り柄のような少女の顔が脳裏に浮かんだ。徐々に懐かしさが胸を満たす。
「あんたはどうするの?」
「僕はまだ仕事の続きがありますからその馬車に乗ることはできません」
「そう」
なら当面、少なくともエルツに到着するまでの間はこの厄介なストーカーに付き纏われる心配はないわけだ。それをいい事に道中途中の街で降りたら上手く巻けるかもしれない。
そんな事を考えていると、カップをテーブルに置く音が耳に届いた。普通に置いただけではそんなに気にならないはずの物音。意図的に音を立てた当人は、アメリアの思考を敏感に感じ取ったのかじっとこちらを見つめていた。
「僕は組織の人間ですから、組織の掟に従っていつか必ず貴女を殺します。たとえ貴女が何処にいたとしてもね。その為にちゃんと恩返しはさせてもらいますから」
「……肝に銘じとくわ」
天使の微笑みに似合わず、彼の目は本気だ。全くもって厄介な相手に付き纏われてしまったものだ。
「話はそれだけです。そろそろ僕は仕事に戻らせていただきます」
アディは残りのカフェラテを飲み干すと席を立った。アメリアは椅子に腰掛けたまま、上目遣いにその様子を見守る。名残惜しさは感じない。どうせ彼とは会いたくなくてもまた顔を合わせる日が来るのだから。
「ああ、最後にもう一つ」
そのまま踵を返そうとして、しかし彼は振り返った。視線を壁に掛けられた時計に向けると、その顔に意味深な笑みを浮かべる。
「馬車の出発時間までまだ余裕もありますし、もう少しここでゆっくりされることをお勧めします。いいものが見られるかもしれませんよ」
「何それ?」
「それは見てからのお楽しみです。ではまた会いましょう」
天使の微笑みにほんの少し小悪魔っぽさを覗かせて、アディは微笑む。言っている意味は謎だが答えるつもりは無いらしい。こくりと頷いて見せると、今度こそ彼は店を後にした。
***




