第5章 3
一つの事件はこうして解決した。しかし嵐はまだ去っていない。
彼等が出ていった先を見つめるアディを横目に、アメリアはストールを拾う振りをして手頃なガラス片を一緒に手に取った。ストールに付着した小さな破片を振り落とし、そこへ隠し持つ。
アディは当初の予定通り借りを返した。アメリアを助け、彼らに忠告することでコルトとハイドの安全も守られる。命を救った恩相応に報いる行為を彼はしたわけだ。
つまり今目の前にいるのは胡散臭いストーカーではなく、厄介な暗殺者。とはいえアメリアもただ殺されてやるつもりはない。まだこんな場所で死ぬわけにはいかないのだ。
以前部屋を探索した時、天井の片隅に張られた蜘蛛の巣の存在を確認している。身体能力的に不意を打ったところで返り討ちに遭うのは目に見えており、確実に仕留めるには反撃の手段を潰すこと。例えば初めて彼に会った時と同じように。
視線はアディの背中に向けたまま、アメリアは短く息を吸った。蜘蛛の巣の糸を徐々に伸ばしていく。
「僕も舐められたものですね。同じ手段が通用すると思いましたか?」
こちらに背中を向けたまま、おかしそうにアディが呟いた。短く舌打ちすると、アメリアはとっさにガラス片を握り締め、ストールを彼の方へ放ると同時に距離を詰める。アディは振り返りざまにストールを腕で受け止めたが、視界は布地によって遮られたまま。その瞬間を狙ってガラス片を突き立てる。しかし直前で手首を掴まれた。予想よりも強い力でそれ以上前に進まない。すぐさまアメリアは空いた手でライターを取り出し、着火装置に指をかける。
「チェックメイトですね」
しかし手首を捻られガラス片の尖端は彼女の首元を向いていた。アメリアが力を使うよりも早く、ガラス片が彼女の首を貫くだろう。
「慣れないことはしない方がいいですよ。ただの詐欺師が殺しのプロに敵うと思いましたか?」
そう言うと、アディは手首を掴む手に力を込めた。アメリアの表情が痛みに歪む。指先の力が抜け、ガラス片は足元に落ちて砕けた。
それを一瞥した後手首を解放すると、アディは破片を靴で遠くに蹴り飛ばした。アメリアは赤くなった手首をさすりながら距離をとる。
「そんな自惚れてないわ。でもね、おとなしく殺されてやるほど人生諦めてないの」
「アメリアさんらしいですね」
「それはどうも」
皮肉めいた笑みを浮かべながら、アメリアは周囲に視線を走らせた。反撃の手段を見透かされていた。ここはおとなしく引くべきか。逃げるとしたらアディがぶち破った天窓からが無難だろうか。今なら風通しがよくなっているから気流を操ることも出来る。下手をしたら残ったガラス片で身が裂かれるだろうが贅沢言ってもいられないだろう。
「何か勘違いなさっていませんか?」
脱出の算段をつけている一方で、アディは目隠しに使われたストールを丁寧に折り畳みながら呟くように言った。双眸を瞬かせるアメリアにストールを差し出し、アディは続ける。
「今ここでアメリアさんを手に掛けようなんて思っていませんよ。だって僕はまだ借りを返していませんから」
柔らかく微笑んだ表情に偽りがあるようには見えない。手元に視線を落とすと、恐る恐るストールを受け取りながら。
「どういうこと?」
「そのままの意味ですよ。命を助けられた恩に報いるほどのことを僕はまだしていません。さっきも言いましたよね。ここに来た本来の目的は仕事だって。そのついでにアメリアさんを手助けする結果にはなりましたけれど。それに、ねーー実は今回、アメリアさんには他にも色々助けられているんです」
秘密を打ち明ける子供のような笑顔。一見すると無邪気な姿で、もったいぶったように言葉を紡いでいく。
「助けた?私が?」
「はい」
「私が一体何したっていうの?」
「あんまり聞かない方がいいと思いますけど」
わざとらしく目を逸らすアディ。ここまで話しておいて今更何を言っているのか。アメリアの目付きが徐々に険しくなっていく。
「わかりました。全てお話します」
その様子にふっと息を漏らすと、アディは両手を上げて降参のポーズをとった。
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