第5章 2
突如としてガラスの弾ける音が室内に響き渡った。上空から砕けたガラスの破片が降り注ぐ。
「いやー、遅くなってすみません。ちょっと野暮用で」
軽快な着地音がすぐ近くで聞こえる。アメリアはゆっくりと身を起こすと、自分を庇って付着した透明な破片のついたストールをその場に落とした。眼前に立つ自分より少し背の低い少年の背中を睨みつける。
「何でも野暮用って言えば済むと思ってるの?」
「そう怒らないでくださいよ。ほら、こうしてちゃんと間に合ったんですから」
肩越しに振り返り、困ったようにアディが微笑む。アメリアは乱れた髪を手櫛で整えながらオルド達を見た。入口付近にいたディーノは無事のようだが、アメリアと距離を詰めていた他の二人はガラスの破片が直撃したらしく、オルドは頬や手から鮮血を滴らせ、従者は太股をおさえその場に蹲っている。
「ちっ、ずいぶんと派手に登場してくれたな。やっぱりお前が協力者だったか」
二の腕に突き刺さった大きめの破片を手で引き抜くと、オルドは忌々しげにそれを床に叩きつけた。懐からバタフライナイフを取り出し、自分よりずっと華奢な少年を見下ろす。アディは笑顔を崩さず彼の視線を正面から受け止め、不可思議そうに首を傾げた。
「協力者?何のことですか。僕は彼女と協力関係になった覚えはありませんけど」
「は、とぼけるな。協力関係じゃなかったらわざわざこんな場所に来る理由なんて」
「ありますよ」
オルドの台詞を遮って、アディは言葉を被せた。顔から笑みを消すと右手をポケットに差し入れる。
「何か勘違いされているようですから訂正しておきます。グランディーノの子息を殺したのは確かに僕ですけど、アメリアさんとは一切関係はありませんよ」
「なんだと?」
「貴方達はやり過ぎたんです」
次に右手が現れた時、そこには質素なペンダントが握られていた。
「今までは貴方達の地位に利用価値があったからある程度は大目に見られていたみたいですけど、それも限界を迎えたようですね。彼等の依頼は“中心人物の粛清及び関係者への見せしめ”と“取引道具の回収”です。貴方達が探していたのはこれですよね?」
彼の手に絡められた革紐も、掌に乗る革の飾りも、アメリアには見覚えのある物だった。そのペンダントは確か彼が殺される直前に受け取った最期のプレゼント。
「それ……」
「はい。確かにリドルさんはアメリアさんに大事な取引道具を預けていました。この中に隠してね」
そう言ってアディは革の飾りを両側から開いた。あらかじめ縫い糸は解かれており、差し込まれた指先に摘まれ金属片が姿を現す。
「それでペンダントの事を気にしていたのね」
「そういうことです」
アメリアの呟きに頷いて見せると、アディはペンダントをポケットにしまい直した。続いてその手を腰に回す。一瞬服がはだけ、服に隠すようにして腰に差された鞘が垣間見える。アディは短剣を抜き取ると彼等の眼前にかざした。短剣の束には妖しく煌めく宝石が埋め込まれている。彼の愛剣であり、コードネームでもあるアゾット剣。
「依頼の一つは果たしました。後もう一つ、貴方達を始末すれば完了です」
冷たい声音でアディが呟く。オルドはバタフライナイフを握り直し、応戦の構えを取った。アメリアは二人から距離を取るように後ずさる。まさに一触即発。どちらが先に動くか、固唾を飲んで状況を見守る。
その空気を破ったのは、それまで後ろで静観していたディーノだった。
「やめましょう父上。我々に勝ち目は無い」
どこか諦めたような声音で父親を諌める。
オルドはアディを睨み据えたまま、吠えるように息子に反論した。
「ディーノ、お前何言ってるんだ!状況わかってんのか?このままだと殺されるんだぞ!」
「わかっています。でも彼の短剣をよく見てください。あれはアゾット剣です。わかりませんか?」
落ち着いた声音で淡々と言葉を紡いでいく。息子の態度に冷静さを取り戻したのか、オルドはアゾットの名を何度も反芻する。やがてその瞳が揺らいだ。
「まさか……!」
「はい、彼は恐らく死の呼び声の悪魔を宿す短剣でしょう。我々に彼を返り討ちにする力はありませんし、仮に出来たとしても他の人間が依頼を果たしに来るだけです。それにあの組織に我々を消すように依頼出来る人間は限られています。逃げ場はありません」
「クソッ……」
オルドは苦々しげに吐き捨てるとバタフライナイフを取り落とした。
その様子をアメリアは眉を顰めなかば呆然と眺めていた。彼等の話している内容についていけない。アディが暗殺組織の人間だということは聞いていたが、その名前が出た瞬間あのオルドが完全に戦意を喪失してしまっている。そんなに厄介な人間と関わってしまったのだろうか。
ふとアディが背中越しに振り返った。目が合うと、彼は少し考えるようにしてアメリアを見つめた後、アゾット剣を鞘に戻し。
「彼女の前で仕事をするのは抵抗があります。だから貴方達に猶予を与えましょう。期限は今日の正午。それまでにどうするか決断してください」
そう言ってアディはすっかり風通しが良くなってしまった天窓を見上げた。時間の経過を示すように空が白んで来ている。日の出はもうすぐだろう。
「もし彼女の関係者に手出しをするようならその時は容赦しません。くれぐれもおかしな真似はしないでくださいね」
忠告を添えてアディは微笑んだ。それはアメリアにとって見慣れてしまった胡散臭い天使の微笑みだった。
ディーノは頷くと従者に手を貸した。従者は最初恐れ慄いてそれを断ったが、有無を言わさず手を掴んで引き上げると、肩を貸して立たせた。次いで父親を促すように目で合図すると先に部屋を出ていく。オルドはアディを忌々しげに睨んだ後、黙って息子の後を追った。
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