第5章 1
「今度こそ迎えに来るまでおとなしくしていろ」
そう吐き捨てるように言い遣ると、従者は部屋の扉を閉めた。すぐに金属音が聞こえ、その後ガチャガチャと何度か施錠された扉を開こうとする音が聞こえる。先ほどは部屋の鍵をかけ忘れたと思っているのか、念入りに確認しているようだ。やがて物音が止まると、廊下を歩く靴音が徐々に遠ざかっていった。
椅子に座りぼんやりと一連の出来事に耳を傾けていたアメリアは、やがて足音が聞こえなくなると深く長い息を漏らした。
事態は変わった。これはもう、彼等の弱味を握ったところでどうこう出来る問題では無くなってしまった。オルドはあの酒場で一定以上の信頼を築き上げているから、きっと誰も疑わない。アメリアが彼等の悪事を暴く間に、オルドは二人を手にかけてしまうだろう。
そうなると残された手段はただ一つ。
関係者全てをどうこうする事はほぼ不可能だが、それが少人数なら話は別だ。一箇所に集まったその瞬間を狙い、一撃で戦闘不能にすることが出来ればあとはこっちのもの。オルドさえいなけば、後はどうにでもなる。
本来犯罪者は他の領分を侵さない。あくまで詐欺師は詐欺師であり、空き巣は空き巣だ。なんだかんだ言いながら、アディの時も今回も、結局その決心が出来ていなかっただけ。
けれどそれも過去の話。
あの時、犠牲は付き物と平気で笑ったその瞬間、覚悟がついた。後はタイミングを待つだけ。来たるその瞬間まで、仔猫のように怯えた振りをして牙を隠すだけだ。
アメリアはスカートのポケットに手を差し入れた。事前に持ち物チェックはされていたが、害は無いと判断されそのままにされたライター。アメリアは可愛らしい動物のデザインのそれを取り出すと、確認のため点火し、元通りに戻した。
アメリアは煙草を吸わない。それでもライターを肌身離さず持ち歩いているのは護身用だ。
希少種の力がどのようなものか。他の希少種は国によって隠されているからわからないが、彼女の場合は物事や現象を拡張・干渉することだ。
例えば地震や地割れの場合は、常に地面の下で起きているほんの僅かな揺れを大きくすることで成立する。風の気流を操って身を浮かせることもできる。アディを捕えた蜘蛛の糸は、小さな蜘蛛の巣を人間サイズに引き伸ばした。元は蜘蛛の糸だからパッと見では視界に映らないし、呪文なんかも必要なく、ただイメージするだけだから気付かれる心配も無い。
しかしあくまでこの力は拡張するだけで、風のない場所では気流を操れないように、無いものはどうすることも出来ない。その唯一の弱点を克服するのがこのライターだ。何もない場所でも、オイル点火で発生させた炎を拡張し操れば立派な武器になる。反撃の手段を知らない彼等の隙をついて炎に巻いてやれば、後はこの空間から脱出した後で証拠もろとも全てを焼き尽くすだけ。
全てを行う決心はついたが、やはり溜息は禁じえない。椅子の背もたれに寄りかかりながら天井を仰ぐ。
その時、不意に足音が耳に届いた。どんどんここへ近付いてくる。その瞬間が来たかと身構えるが、よく聞けば足音は一つだ。怪訝に思いながら一つしかない扉を注視していると、鍵の回る音がした後、扉は開かれた。
「ご機嫌いかがですか?」
現れたのは、先ほどずっと無言を貫いていたディーノだった。
「最悪よ。見ればわかるでしょう?」
「そのようですね」
吐き捨てるように呟かれた台詞を、おかしそうに喉を鳴らしながら聞き流す。ディーノは室内に足を踏み入れると扉を閉め、そこへ背を預けた。アメリアは彼から視線を逸らすと、面倒くさげに問い掛ける。
「何しに来たの?オルドおじさんに様子を見て来いとでも言われた?」
「いえ、自分の判断でここへ来ました。なんとなく気になりまして」
穏やかな口調で答えるディーノに視線を戻す。彼は口調通りの涼しげな微笑みでアメリアを見返した。父親に突拍子もない決断を下された後だというのに動揺する素振りは見えない。それがアメリアには不思議に思えた。
「あんた、急に父親から私と結婚しろなんて言われて、何で何も言わないの?」
「父の命令ですから」
「訳わかんない。父親から命令されたら何でもするの?」
「はい。それがラディスレイのしきたりですから」
表情を変えずディーノは淡々と答えた。彼の言い分が理解できず、アメリアは訝しげな表情を浮かべる。
「何それ。よくそんな人生送れるわね」
「貴女みたいに各地を自由に渡り歩いている人間にはわからないでしょうね、きっと」
そう呟いた彼の目はどこか遠くを見ているようで。それ以上は何も言えず、アメリアは口を噤んだ。
人には人それぞれ事情がある。たとえ彼が望まない結婚を強要されようがーーいや、もしかしたら望まない犯罪を強要されていたとしても、言ってしまえばそれが彼の運命なのだ。それを覆すだけの意志がない限り、人は運命にただ飲み込まれるだけ。かつて彼女が奴隷としての運命を受け入れようとしていた時のように。
暫しの間沈黙が流れた。互いに口を開かず、時間だけがただ刻々と流れる。
沈黙を破ったのは、複数の足音だった。徐々にこちらに近付いてくる。ディーノもそれに気付いたようで、彼等が扉を開こうとする前に自ら二人を招いた。
「こんな所で何をしているんだ?アメリアちゃんの説得か?」
「はい、そのようなものです」
「そうか」
特に意に介した様子も見せず息子を一瞥すると、オルドはアメリアに視線を移した。その後ろに従者が控えている。
短く息をつくとアメリアは椅子から立ち上がった。自然な仕草でそっとポケットに手を差し入れる。
「身の振り方は決まったか?」
「ええ」
頷きながら、彼等に一歩近付く。それを服従と取ったのかオルドの口元が歪んだ。それでいい。油断している相手の方が色々とやりやすい。
ポケットの中でライターをまさぐり、着火装置に親指をかける。事を起こすまであと数歩。
そこで、不意に物音が耳を掠めた。オルド達が不思議そうに辺りを見廻す。アメリアもカウントダウンを中断すると、物音に耳を傾けた。よくよく聞けば、音は上の方からする。上と言っても天井ではない。もう少し近い、その場所は大体ーー。
「……全く、来るのが遅いのよ」
声に笑みを滲ませて、アメリアは呟いた。突然の呟きに一斉に彼女に視線が集まる。事態を悟った彼等が動くよりも早くアメリアは後方に下がると、自らの肩に羽織ったストールを翻し、それで全身を庇いながらその場に身を伏せた。
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