第4章 5
ただ何となく握ってみただけだった。施錠の命令は聞こえたし、施錠音も確かに聞いた。この扉は確かに鍵が掛かっていたはずだった。しかし実際扉は開いていた。ノブを捻って押すと外に続く隙間が出来る。ひとまず扉を閉めると、アメリアは扉を背に寄り掛かった。
扉の鍵はいつ開かれたのか。アメリアが部屋の中を探索している間、あるいは最初から。最初からだとしたらそれは何故か。誤ってちゃんと施錠されなかったのか、意図的に開けたままにしておいたのか。もし意図的に開けておいたのだとしたら、それはきっとアメリアが脱出することも予測済みだろう。彼らのいう“協力者”とやらとアメリアが接触する機会を狙っているのかもしれない。
正解はわからない。しかし動くなら今だ。偶然の賜物ならそれに越したことは無いし、仮に意図的なものだったとしても、アメリアは彼らに嘘偽りは言っていない。彼らの悪事なんて知らなかったし、ターゲットの死もたまたま現場に居合わせただけで一切の関係は無い。従って協力者なんて最初から存在しない。彼らが勘違いという名の油断をしている間に、状況を好転させる材料を見つければこちらの勝ちだ。
一方で、もし逆転の材料を発見出来なければ状況は悪化する。果報は寝て待てという言葉もある通り、下手に動かず状況を見守るのも一つの手段だ。
どちらにせよ、今決断しなければいけない。
「……よし」
暫しの間を置いてアメリアは扉を開いた。
ただ黙って待つのもデメリットはある。彼らが協力者はいないとわかった時、秘密を知ったアメリアをこのまま無事に解放するとは思えない。相手は死体の痕跡を消す技法を持つような奴らだ。準備万端で複数に取り囲まれたら、希少種の力を持ってしても無事に切り抜けられる保証はない。だったら黙って待つよりも、チャンスを掴みに行く方がマシだ。
隙間からそっと外の様子を覗き込む。オレンジ色の灯りに照らされた長い廊下は、普段使われていない所為か飾り気が無く殺風景な印象を与える。この部屋は二階の中でも一番奥に設置されている。視界に映る範囲では見晴らしが良く隠れる場所はなさそうだ。人影が無いことを確認するとアメリアはそっと扉を閉め、連れてこられた道のりを慎重に辿った。途中何個か扉はあったが、どれも閉じられている。時折振り返ってそちらを確認したが人の気配は無かった。
やがて見えてきた階段を下りる。途中まで下りた所で一旦身を低くし下の様子を窺うが、人影どころか物音もしない。彼らにとって此処は隠れ家のようなものだから、あまり人を連れてきていないのだろうか。それならそれで都合が良い。
階段を下りきり周囲を見渡す。見た限り二階と一階の造りはあまり変わらないようだ。変化があるとすれば扉の数が減った。部屋数を少なくし、代わりに間取りを広く取っているのだろう。食堂や談話室といった部屋がこの一階に集中しているのかもしれない。
左右をくまなく見渡した後、アメリアは入口の方角へ向かった。周囲に気を配りながら、同時に解決策を求めて思考を巡らせる。
状況を好転させるアイテムを求めて動いているものの、そのアイテムに見当がつかない。彼らの探し求める割符があれば都合がいいが、血眼になって探している彼らにとって此処はすでに搜索済みだろう。だとしたら彼らにとって何か弱味になるようなものだろうか。例えば悪事を暴くような物的な証拠。アメリア自身清い身の上では無いのであまり警備隊に関わるような真似はしたくないのだが、一番効果的で効率のいい手段だろう。
そうと決まれば当面の目的は悪事の証拠探しだ。手当たり次第搜索していては時間が足りないし、見つかる可能性も高まる。そんな代物を所持しているとしたら、彼らを纏めるリーダー格の人間だろう。
アメリアは最初その人物がディーノだと思っていた。しかし彼は当主とやらに呼ばれて出ていった。つまりリーダー格の人間はラディスレイ家の現当主、ディーノの父親だ。グロワールの中でも屈指の富豪であるラディスレイ家が、家族ぐるみで悪事に手を染めていた。ついでにグランディーノの子息もそこに加担していたのだから、この街の実情はなかなか腐り落ちているのかもしれない。
やがて玄関の手前に辿り着いた。確認の為扉を開けようと試みたが、案の定施錠されている。扉は一見重厚な造りをしているように見えるが、さほど厚みは無さそうだ。これなら力でぶち破る事も出来るだろう。いざという時の脱出は正面から堂々と。
脱出経路を確保し、アメリアは廊下の奥の方へ歩みを進めた。今のところディーノ達のいる気配が無い。人が集まるようなスペースは一階に集中しているからこの階にいると予想していたのだが、もしかしたらここよりも更に上階にいるのだろうか。騒ぎの気配は無いから部屋を抜け出したのがバレてはいなそうだが、急いだ方が良いだろう。足音を忍ばせながら気持ち歩く速度を上げる。
やがて一階の奥の方まで歩みを進めた時、話し声が耳を掠めた。咄嗟に立ち止まり周囲を見渡す。息を潜め声に意識を傾けると、廊下の奥から二番目の部屋の扉が微かに開いているのに気付いた。恐らく声はそこからしている。
そっと深呼吸をするとアメリアは部屋に近づいた。壁に身を寄せ隙間から中の様子を窺う。 一番最初に視界に入ったのはディーノの後ろ姿。こちらに背を向けて立ち、誰かと話している。彼の先には書斎机があって、そこに誰かが座っている。恐らくその人物こそがラディスレイ家の当主だろう。ディーノの影になって顔は見えないが、スーツに包まれた腕は筋骨隆々としているのが窺える。
彼の傍らに立つ従者が恭しく頭を下げた。
「今のところあの娘はおとなしくしております」
「そうか」
(……え?)
従者の報告に当主の男が相槌を打つ。
その瞬間、アメリアは身を強張らせた。男の声に聞き覚えがあった。気のせいだろうか、いやしかし今の声は間違いない。心臓が早鐘のように鼓動を打つ。彼を隠すディーノの姿がもどかしい。息を詰めると僅かに身を乗り出した。
必死に当主の姿を確認しようとするアメリア。しかしその必要は無かった。
「今後如何になさいますか?オルド様」
「そうだな。とりあえず本人に相談してみるか。なぁ、アメリアちゃん?」
従者の問い掛けにオルドは立ち上がると、息子の背中越しにこちらを見た。
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