第1章 1
そこは表通りから少し脇道にそれた場所。富と栄光の街なんていう輝かしい別称がつけられるよりも昔、まだ富豪達による開拓が進むよりも以前の頃に作られた旧表通り。人通りは多くもなく、しかしそれほど少なくもないこの場所に建てられた店の前にアメリアは立っていた。
かつての面影を残した古めかしい建物の一つで、『コルト』の文字が躍る看板を掲げている。アメリアは迷う素振りもなく、店内に続く木の扉を押し開いた。敷居をまたいだ瞬間、来客を知らせる鐘がカランと鳴る。
「いらっしゃい!あら、リアちゃんじゃない。おかえりなさい」
「ただいま、おばさん」
カウンターから顔を覗かせた赤髪の四十代ぐらいの女性に、アメリアは笑顔で頷いた。
ここは店の名前に由来するコルト夫人が一人で切り盛りしている酒場だった。木製のテーブルについて酒をあおっている男達はどれも顔馴染みばかり。きらびやかな表通りと違って、旧表通りは庶民に類される人達が暮らしており、その雰囲気もどちらかと言えば下町に近い感じのものだった。
詐欺師という仕事柄、アメリアは一つの場所に長期間留まることができない。そんな放浪の身の上である彼女が、この街を訪れる際に日々を迎えている場所がここ。たまに店を手伝うという条件で空き部屋を借りているのだ。
「お、アメリアちゃんじゃねぇか。久しぶりだな」
カウンターに座り、生ビールのジョッキをぐびぐびと飲んでいた五十代くらいの男が、アメリアに気付いて声をかけてきた。一年前に彼女がここに留まっていた際、色々と良くしてくれた男だ。
「久しぶり。一年ぶりね、オルドおじさん」
「そんなに経つのか。どうりで大人っぽくなったわけだ」
「もう十八よ?当然じゃない」
しげしげと見つめられ、アメリアは居心地悪そうに微笑む。オルドは飲み干したジョッキをカウンターテーブルに置くと、おかわりを待つ間、肩を竦めながら天井を仰いだ。
「ははっ、違いない。にしても相変わらずアメリアちゃんはいい子だな。美人だし。こんな子が息子の嫁に来てくれたらどんなに良いか……」
悪意のない純朴そうな笑顔に、胸が疼いた。それを悟られないよう、とっさに口角を持ち上げる。
彼はアメリアの正体を知らない。彼だけではない。世界中を巡り知り合いの多いアメリアだが、彼女の正体を知っている者はほんの数える程度なのだ。
そしてこの街で唯一正体を知るコルトは、アメリアの僅かな表情の変化にも敏感に気付いていた。
「リアちゃん疲れてるでしょう。今日は手伝わなくていいから、部屋でゆっくりしてなさい」
「ありがとう。またね、オルドおじさん」
コルトの気遣いに心から礼を告げる。二人に頭を下げると、カウンター横にある階段を登っていった。
この建物は三階建てで、一階は店、二階はリビング、三階が個々の部屋になっている。アメリアは最後の一段を登りきり、リビングに続く扉を開けた。そこで先客の存在に気がつく。
「あら、ハイドじゃない。帰ってたの?」
ダイニングテーブルの椅子にどっと腰掛けながら、何かを考え込むようにぼんやりとしていた少年が、アメリアの声にはっと目を瞬かせる。
「あ……おかえり」
「ただいま」
一瞬目が合ったかと思うとすぐに逸らし、ぼそぼそと小さな声で呟く。アメリアは彼の態度に心の内で苦笑しつつ、反対側の椅子に向かい合うように腰掛けた。
彼はコルトの一人息子のハイド。今年で十六歳になる。母親と同じ赤茶の髪をツンツンと逆立たせて、耳にはピアスを空けている。一見するとぶっきらぼうで突っ張った感じではあるが、外見とは裏腹に性格はいたって真面目で素直。母親を気遣ってか、店の手伝いをしている姿をアメリアは何度も見掛けていた。
そんな中で気付いたことだが、若いながらに彼にはバーテンダーとしての才能があった。彼の作るカクテルは評判がよく、それを飲むためだけに隣街からわざわざやってくる人もいるぐらいなのだ。
居心地悪そうに身動ぎするハイドを、アメリアは頬杖をつきながら眺めた。
「またバーテンの腕上げたんだって?おばさんが自慢してたわよ」
「別に」
「またまたー、照れちゃって」
ハイドは眉間に深く皺を刻み、相変わらずあらぬ方へ視線を向けている。一見怒っているようにも見えるが、その反応は彼が照れている時の癖だということをアメリアは知っていた。その証拠に彼の頬がさっきよりも赤くなっている。
「才能があるし、見た目も悪くない。女の子が放っとかないでしょ?」
「うるせーよ」
悪戯っぽく微笑みながら言うと、ハイドは先程よりも更に不機嫌になってしまった。さすがにからかい過ぎたかもしれない。
(もう少し人付き合いが上手ければ、絶対にモテてるのになぁ……)
もったいないと思わずにはいられないが、これ以上言うとしばらく口をきいてもらえなそうだ。
「はいはい、私が悪かったわ。だから機嫌直して?」
幼子をあやすように、アメリアは眉尻を下げながらハイドを見つめた。彼はまだ少し不貞腐れているようだが、腕を組んだ状態でこくりとだけ頷く。今はこれが限界かもしれない。また明日になったら機嫌も戻っていることだろう。
そう結論づけると、アメリアは椅子から立ち上がった。その動作にハイドの視線が戻ってくる。
「どこに行くんだ?」
「今日はもう疲れたから、シャワーでも浴びて寝ようかなって」
「ああそうか。……なぁ」
「ん?」
何か言いたげにハイドが呟く。しかしアメリアと目が合うと、彼はすぐさま首を横に振った。
「ん、何でもない。おやすみ」
「……うん?おやすみなさい」
気にはなったものの、こういう時彼が絶対に口を割らないことをアメリアは知っていた。必要ならそのうち言ってくる事だろう。
アメリアは特別追求するでもなく頷くと、別れの言葉を交わし入浴に必要な物を取りに自室へと戻った。
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