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第4章 4

 時間は少し戻って。


 静まり返った旧表通りを、ハイドは緩慢な足取りで歩いていた。時間はとっくに深夜を回っている。本来なら友人の家に泊まって一夜を過ごす予定だったのだが、状況が変わってしまった。簡単に言うと、友人の付き合っている女が突然家に押し掛けてきたのだ。彼女の方はサプライズのつもりだったのだろうが、なんとも間が悪い。微妙な空気になり、友人は彼女を帰そうとしたのだが、それを制してハイドが家を出てきたのだ。付き合って間もない二人の邪魔をするのも悪いし、彼女を帰した所でその後も居心地の悪さが続きそうだから。


 そして一日分の着替えとちょっとした物が入ったカバンを持って、ハイドは帰路についたのだった。時間帯が時間帯なだけに人通りが全くない。唯一他者と出会ったのは、友人の家を出た直後にすれ違った豪華な馬車くらいだ。お忍びやらなんやらで深夜帯に富豪の馬車が通るのはたまにある事だから、気にも止めなかったのだが。


 やがて視線の先に自宅が映った頃、ハイドは眉を顰めた。自宅の二階に灯りがついている。彼の母親は店を終えると早めに支度を済ませてすぐに眠りにつくから、この時間まで起きていることはあまり無い。とすると犯人は母親の知人の居候だろうか。可能性は十分ある。彼女は夜行性タイプなのか、朝には弱いが夜更しはよくしている。つい昨夜も偶然ハイドがリビングで寛いでいた所に、眠れないと言ってやってきた。


 ハイドの歩く速度が上がった。

 そういえば昨夜も今朝も、自分の作るカクテルを飲みたいと彼女は言っていた。周りからバーテンの腕が上がったと褒められ、他の街からも彼の作るカクテルを呑みに訪れる人も出てきたことで、それは彼の自身へと繋がっていった。彼女にカクテルをプレゼントして、認めて欲しい。弟分として褒め可愛がるのではなく、その一杯を通して尊敬、いや、せめて同じ位置に立たせて欲しかった。年の差はどう足掻いても埋められない。だからその差を得意なスキルで埋める為にずっと努力してきたのだから。


 やがて家に着くと、一旦カバンを三階の自室に置いて二階に向かった。リビングの扉を開けて、しかしそこにいた想定外の人物に眉を顰める。


「あら、ハイド。今日は友達の所に泊まってくるんじゃなかったの?」


 部屋にいたのは普段なら眠りについているはずの母親の姿だった。ただいまと呟き室内に足を踏み入れる。


「その予定だったけどいろいろあって帰ってきた」

「そう。……リアちゃんならいないわよ」

「……別にあいつを探してた訳じゃねぇよ」


 コルトの声に我に返る。無意識のうちに部屋を見回していたらしい。指摘を受けて一度目を瞬かせると、気まずそうに唇を結ぶ。

 コルトは苦笑いを零すと席を立ち、自分の空のカップを持って戸棚の方へ歩いていく。そのまま棒立ちしているのもおかしく思え、ハイドは空いてるソファに座った。自分のカップと新しいカップにコーヒーを淹れてコルトが戻ってくる。新しいカップを受け取ると、暖を取るように両手で持ち一口流し込む。角砂糖一個分の程よい甘み。


「ねぇハイド」

「ん?」


 コルトが呟くようにして彼の名を呼ぶ。視線を上げて反応するが、コルトはすぐに答えない。言い淀む気配に首を傾げる。


「なに?」

「うん、あのね。……リアちゃんがさっき街を出ていったわ」

「え?」


 一瞬何を言われたのかがわからなかった。呆然と聞き返すと、コルトは気まずそうに目を背ける。


「さっきっていつ?」

「一時間くらい前かしら。急な用事が出来たみたい」

「……そうか」


 まるで頭を殴打されたような感覚。突然のことで思考が追いつかない。しかしこちらを心配そうに窺うコルトの視線に気付くと、ハイドは平然を装ってコーヒーを飲み干し、ソファから立ち上がった。


「俺もう眠いし寝るから、母さんもあんまり夜更かしするなよ?」

「……そうね。母さんもそろそろ休むわ」

「うん。おやすみ」

「おやすみなさい、ハイド」


 手短に会話を終わらせてリビングを出ると、真っ直ぐ自室に向かった。部屋に入り後ろ手に扉を閉める。明かりもつけず部屋を進むと、そのままの勢いでベッドに倒れ込んだ。仰向けに転がり深く長い溜息をつく。

 ずっとそうしていると、やがて目が暗闇に慣れてきた。視線を巡らせると本棚が目に付く。種類や産地など、酒に関する本が大半を占めている。


 ハイドはもう一度溜息をついた。

 彼女が街を転々としているのは知っていた。今ここに滞在しているのも一時的なもので、いつか出ていくのもわかっていた。だとしても急過ぎる。今朝まではそんな素振り全く見せなかった。前回滞在していた時はもっと期間が長かったし、街を離れる前にあらかじめ言っていた。だから今回もそうだと油断していた。


「ーー飲ませろって言ったのはそっちじゃねぇか……」


 こうなるなら昨日、意地を張らず彼女にカクテルを作っていれば良かった。後悔しても仕方がないとわかっているのに、胸を満たす喪失感のようなものが溜息を誘う。友人の家に泊まりに行かなければ、せめて挨拶ぐらいは交わせたのに、と。


「……ん?」


 不意に物音が聞こえた。最初は気のせいかと思って寝返りをうったが、少しの間を置いてまた聞こえてくる。小さくて固いものが壁に当たるような音。半身を起こして首を巡らせる。室内からじゃない、外だ。


 ベッドから降りると、ハイドは窓の方に歩み寄った。その瞬間、小石のような物が視界を掠める。窓の外、ガラスぎりぎりの壁に当たったそれがコンと音を立てて落ちていく。まるで誰かがハイドを呼んでいるようだった。しかし一体誰が。疑問を抱きながら、ハイドは窓を開けた。


「痛っ」


 窓を開けて下を覗きこもうとした瞬間、額に衝撃が走った。咄嗟に身を引き右手で額をさする。当たったのはあまり固いものでは無かったようで、痛みは一瞬にして引いた。

 額を確認し、再度窓の下を覗き込む。犯人らしき人物の姿はどこにも無かった。ただの悪戯だろうか。しかしこんな深夜に一体何故。


 不思議に思いながら窓を閉めベッドに戻ろうとして、足元に落ちている飛来物の存在に気がつく。ハイドの額にぶつかった物の正体は、くしゃくしゃに丸められた紙切れのような物だった。紙切れを拾うと、部屋の明かりを付けて中を見た。


「……え?」


 広げた紙切れには文字が書きこまれていた。




***

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