第4章 1
外に出ると、室内に比べて一層外気の冷たさが身にしみる。晩夏の夜に薄着をしなくて良かったと思いながら、アメリアはストールを首元に寄せた。
しんと静まり返った旧表通りの街並み。電気の灯りが漏れる家はほとんど無く、表通りと違ってこの辺りは外灯もまばら。幸い今夜は満月で天気も良いから、月の光で闇に惑うことも無い。絶好の旅立ち日和と言えなくもない。
(さて、どうしようかしら?)
絶好と言えども時間帯は深夜。交通の便に頼るには遅過ぎるが、日の出はまだまだ先。この時間、唯一の移動手段は徒歩。今回の仕事はほぼ失敗に終わったから、資金にさほど余裕があるわけではない。急な出立で次の行き先も定まっていない。完全な行き当たりばったりだ。
(とりあえず隣町まで徒歩で移動して、そこから汽車か馬車に乗ろうかな)
今回の事があるから近場は望ましくない。遠方へ赴くなら乗合の遠距離馬車が妥当かもしれないが、うまく見つかるかが怪しい。多少の出費は覚悟の上で、のんびり気ままな汽車の旅にするか。
どちらにしても、まずはこの街を出ることが先決。カバンの下についた車輪を転がして、アメリアは歩き始めた。
街の入口は表通りの南側にあるから、通常なら一度表通りに出て南下するのが一番近い。しかし朝夜関係なく人がいるあの通りを行くには、この大きな荷物は少々悪目立ちする。そこを避けるとすると、この旧表通りを東側に迂回し、ぐるりと回り込んで入口の寸前の小道から出る迂回路が望ましい。
旧表通りの砂利の混じった道を、時折カバンをがたがた跳ねさせながら進む。隣町まで徒歩で数時間程度で着くから、この調子で行けば朝一番には馬車の寄合に行けるだろう。そこで手頃なものがあればその馬車に乗り、無ければ汽車で悠々自適な旅に出る。
今後の予定をぼんやりと立てていく。そうこうしているうちに、旧表通りを外れた細い小道に差し掛かる。角を曲がって少し進み、その先を更に曲がる。
その瞬間、アメリアは上品に微笑み、内心で舌打ちした。
「これは夜分遅くに。どちらに行かれるおつもりですか?」
「そっくりそのままお返し致しますわ?ーーディーノ様」
アメリアの行先を遮るようにディーノと彼の従者が立っていた。漆黒の闇に紛れるような黒髪を揺らし、ディーノが首を傾げる。
「私ですか?私は気ままな散歩ですよ。とても月の綺麗な夜ですからね」
そう言って空を仰ぐ。
「あら、ディーノ様はとてもロマンチックな方なんですね」
「それはアメリアさんもでしょう?偶然こんな時間にこんな場所で出会ってしまうんですから」
「ええ本当に。とても奇遇ですね」
白々しい。アメリアは内心で毒づいた。カバンの取手から手を離すと、ストールの上から両方の二の腕を抱くようにして押さえる。彼はこちらに優雅な微笑みを向けているが、その目は笑っていない。
「まるで運命ですね。良ければこれからご一緒しませんか?」
「折角の申し出で恐縮なのですが、わたくしちょっと用事があるんです。またの機会にお願い出来ますか」
誘いを断って、微笑みながらそっと息を吸う。万が一にもこのまま見逃すようなら黙って行く。もし相手にその気が無いのなら、荷物を置いて全力で走る。幸い人々は寝静まっているから、多少の不可思議な出来事が起きようが問題ない。仮に力に気付かれた所で、後ろめたい事のある彼等が密告する可能性は極めて低い。
「遠慮しなくても大丈夫ですよ。きっと気に入っていただけるはずです。……そういえば、アメリアさんはこの先の『コルト』というお店にお世話になっているそうですね」
アメリアの背後、ずっと先をディーノは見つめた。それだけで十分だった。その言葉が何を意味するかわからないほど、彼女は愚かでは無い。二の腕を掴む指に力が篭る。
一番の弱味を笑顔でついてくる紳士然とした男を、アメリアはヒロインの仮面を脱ぎ捨て睨み据えた。
「……紳士の皮を被った、とんだクズね」
「褒め言葉として受け取っておきます。ああ、女性に重い物を持たせるのは心苦しいです。荷物はこちらでお預かりしておきますね」
「勝手にしなさい」
笑顔を崩さない男に吐き捨てる。ディーノの一瞥で、それまで黙って事の成り行きを見守っていた従者がアメリアのカバンを持った。それを確認したディーノが、アメリアに恭しく片手を差し出す。とても見覚えのある光景だった。とんだ茶番劇だ。しかし、今のアメリアに彼に逆らう術は無い。
アメリアが彼の手を取ると、姫をエスコートする王子のように、ディーノは近くに止めた豪華な馬車に彼女を導いた。
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