第3章 5
夜も更け、眠らない表通りとは違い寝静まった旧表通り。段々と肌寒くなってきた夜。薄い長袖の服にストールを羽織った姿で、アメリアは自らに与えられた部屋を振り返った。もともと生活感のあまり感じなかった部屋は、住人を失って更に殺風景になっている。綺麗に掃除された部屋に、備え付けの家具だけが設置されたその空間。傍らの荷物が詰め込まれた大きめのカバンを両手で持つと、アメリアは踵を返した。
静かな階段に、少し重たげな足音が響く。階段を降りると、視界にリビングの灯りが映る。酒場の最後の客を見送ったコルトが戻ってきたのだ。アメリアはその時間を待っていた。
廊下にカバンを一旦下ろし、扉を開ける。隙間からそっと顔を覗かせると、テーブルでコルトがコーヒーを飲んでいた。
「あら、リアちゃんじゃない」
扉の音に気づいたコルトが顔を上げる。アメリアはカバンを持って部屋の中に入った。その姿と荷物に、コルトが怪訝な顔をする。
「その荷物……もしかして、出ていくの?」
「うん、急でごめんなさい」
アメリアはコルトに頭を下げた。少し考えるようにその様子を見守っていたコルトが、手に持っていたカップを置く。物音に顔を上げると、コルトは微笑んでいた。
「なにか事情があるなら仕方ないわね。少しくらい話す時間はあるの?」
「うん」
「良かった。今コーヒー淹れてあげるから座って待ってて」
そう言って席を立つ。彼女の好意に甘えて、アメリアはコルトと対の席に座った。荷物は入口の隅の方に置く。
新しいマグカップにコーヒーを淹れると、それを持ってコルトは戻ってきた。差し出された熱いマグカップを礼と一緒に受け取る。両手で包むようにして持つと、揺れる黒い水面に視線を落とした。
「ハイドは友達の家だっけ?」
「ええ。今日は泊まってくるって言ってたわね」
「そっか。タイミング悪いなぁ」
結局ハイドの作るカクテルを飲めなかったのは心残りだ。苦笑いすると、コルトは目を細めた。
「そんなに急いで出ていかなきゃ行けない状況なの?まさか仕事の事がバレたの?」
「そうじゃないけど、下手したら時間の問題かも。そうなったらおばさん達に迷惑かけちゃうからね」
「だから大事を取って、すぐに街を出ていこうとしてるわけね」
こくりとアメリアは頷いた。そう、と呟いてコルトはコーヒーを飲んだ。それから少しして、ふと思い出したようにコルトの目が彼女を捉えた。
「そういえば今日、アディ君が部屋に来てたわね。あの子とは何か関係があるの?」
「んーん、それとこれとは別かな」
実際はアディのせいでターゲットが命を落とし、勘合の割符の行方がわからなくなってしまった。それがきっかけでディーノ達に探られる目に遭っているわけだが、そんな事を言えば互いの関係にまで話が及ぶ。これ以上彼女に心配をかけたくなかった。
二人の間に沈黙が流れる。それを破ったのは、やはりコルトだった。
「リアちゃんは、この先もずっと仕事を続けていく気なの?」
真摯な瞳に見つめられ、アメリアの心臓がどくんと跳ねた。何度かこの街を訪れ、その度にコルトには世話になっていた。その間もずっと、コルトは彼女の仕事に口出しするような真似はしなかった。詐欺師である事を知っていながら、素知らぬ振りで普通の娘のように扱ってくれた。
それが今になってどうして突然そんな事を言うのか。アメリアの表情が目に見えて困惑する。
「……どうして、そんな事聞くの?」
返答に困り、硬い声音で問い返す。マグカップを持つ手に無意識に力が入る。コルトはどう表現するべきか迷っているようで、すぐには答えない。しかし視線はアメリアを捉えたまま。ふっと息を逃がすと、ゆっくりと話し始めた。
「私はね、リアちゃんが本当はとてもいい子だって事を知ってるわ。貴女のことを本当の娘のように思っている。危ないことなんてして欲しくないのよ」
心が揺れてしまうような温かい言葉。もっと早く彼女と出会っていたら、アメリアが悪事に手を染めることは無かったかもしれない。
しかし、もしもなんて考えても仕方ない。実際アメリアは詐欺師であり犯罪者。すでに数え切れない罪を犯してきた後だ。
「ありがとう、おばさん。でも私はもう戻れないから」
犯した罪からは逃れられない。この先もずっと背負っていかなくてはいけない。でも過去は後悔しないと決めた。法によって裁かれる覚悟はあるが、懺悔はしない。悔いるくらいなら、あの時彼女は死を選んだ。
過去を忘れて生きていく事を、アメリアは出来ない。
ゆっくりと微笑んだアメリアに、コルトはただ黙って頷いた。
コーヒーを飲み終えて、アメリアは席を立った。
「それじゃ私、そろそろ行くね」
マグカップをシンクに置き、扉に向かう。近くに置いておいたカバンに手をかけた所でコルトが口を開いた。
「リアちゃん」
「ん?」
「また近くを通りかかったら寄っていってね。貴女の部屋はちゃんとそのままにしておくから」
「ありがと、おばさん。またね」
満面の笑顔で礼を告げると、アメリアは今度こそ部屋を出ていった。
残されたコルトが宙を仰ぐ。
「私にはこれが限界ね。もう少しあの子が強引だったら良かったのに……なんて、無理かしらね」
***




