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第3章 4

「アメリアさん!」


 帰路を辿る途中、表通りをそれる角を曲がった所で耳覚えのある声が届いた。視線の先では天使の微笑みでこちらに手を振る少年が一人。


「こんな所で何してるのよ?」

「うわ冷たい。偶然通りかかったらアメリアさんを見掛けまして」

「くだらない冗談はやめて。どう見ても偶然じゃないわよね」


 駆け寄ってきたアディを一瞥し、アメリアは溜息混じりに呟いた。何も無い場所で壁に寄り掛かるその姿は、どう見ても待ち人を待ち構えていたようにしか見えない。小首を傾げる彼の前を無言で通り過ぎようとして、慌ててアディが追い掛ける。


「待ってくださいよ!アメリアさんは相変わらず気が短いですねー」

「喧嘩売ってるのかしら?」

「冗談ですって。そんなに怒らないでください」


 隣に並んで着いてくるアディ。肩を揺らしもう一度溜息をつくと、アメリアは足を止めた。


「それで、用件を聞こうかしら」

「ここでですか?僕としてはもう少し落ち着ける場所の方がいいんですけど」

「落ち着ける場所?」

「はい。誰も人がいない場所、例えばアメリアさんの部屋とか」

「はぁ?」


 年頃の娘の部屋に行きたいなどと、よくも平然と言えたものだ。なんと言っていいものか悩み、アメリアは閉口する。暗殺者は普通の人間と感覚がずれているのか、或いはこの少年が異次元なのか。


「駄目ですか?」

「……勝手にすれば」


 多少の抵抗は覚えたものの、特別悪意があるようには見えず、他に二人で話せるような場所も見当たらなかった為、アメリアは投げやりに答えた。それを聞いてアディは素直に喜んでいる。見た限り下心も無さそうだ。暗殺者というのはそういった感情とは無縁の存在なのかもしれない。

 機嫌の良さそうなアディを横目に見遣り、彼と会ってからすでに三度目の溜息を零した。




***




「へぇ、ここがアメリアさんの部屋ですか」


 部屋に着いてすぐ、アメリアが部屋の扉を開けて入るよう促すと、アディは喜々として室内に足を踏み入れた。物珍しげにきょろきょろと周囲を観察している。


 部屋に辿り着くまでの間、すれ違ったコルトには意味深な笑顔を向けられ、酒場の一番客のオルドには豪快にからかわれ、散々な目に遭った。やっぱり連れてくるんじゃなかったと後悔するアメリアをよそに、アディは愛想のいい笑顔を振り撒いていた。せめてもの救いが、それらの対応は全て彼が引き受けてくれた事だろうか。そもそもの原因は全てアディにあるのだから、全く感謝はしていないが。


「思っていたよりもシンプルな部屋ですね」


 もっとこてこてに飾られた部屋を予想していたのだろうか。部屋に一脚しかない椅子に勝手に座りアディは言った。


「当然でしょ。私は一つの街にあまり長居しないもの。物が多いと邪魔になるわ」


 部屋の扉を閉め、アメリアはベッドに腰を下ろした。なんだか不思議な気分だ。自室に暗殺者と二人きり。とても危険な状況の筈なのに、とうの暗殺者は新鮮そうに他人の部屋を満喫している。


「それで、用件は何?まさか遊びに来た訳じゃないでしょ?」

「興味本位ですよ、半分は」


 テーブルに頬杖をつきながら平然と言ってのける。アメリアが睨むと、冗談ですとアディは笑った。


「アメリアさん、今日ラディスレイの屋敷に行きましたよね」

「さすがはストーカー様。よくご存知で」

「褒め言葉として受け取っておきます。それで何か収穫はありましたか?」


 皮肉を笑顔で受け流され、アメリアは少し考えた後に今日の出来事を語った。ディーノの事、何か危険な取引に手を出しているらしい事、その取引には勘合の割符が必要で、彼らは必死にそれを探しているらしい事、それをアメリアが所持しているのではないかと疑っている事。

 話の最中黙って耳を傾けていたアディは、話に区切りがついた所で口を開いた。


「状況はよくわかりました。アメリアさんはその割符に心当たりは無いんですか?」

「残念ながら全く。彼が私に渡したのは雑貨や装飾品の類だけだもの」

「そう言えばあの時も、ペンダントを受け取っていましたね」

「あの時?」

「アメリアさんと初めて会った時ですよ」

「ああ」


 アディに指摘されるまでずっと忘れていた。言われてみれば確かに、あの日アメリアは標的からプレゼントを受け取っている。派手好きの彼には珍しい、革製のシンプルなペンダント。その直後彼は暗殺者の手によって命を絶たれ、アメリアは付き纏われるようになった。色々な事が立て続けに起きたため、すっかりその存在を忘れていた。


「あのペンダントはどうされたんですか?」

「そこの小物入れの中に入っているけれど、普通のペンダントよ?そんな大それた物には見えなかったわ」

「そうですか」


 とにかく、アメリアはディーノ達が探しているような代物は所持していない。彼にもそのように伝えはしたが、果たしてそれで納得しただろうか。まだ諦めきれず接触してくる可能性は否めない。

 テーブルの上の小物入れを見つめていたアディが頬杖をといた。椅子の背もたれに寄りかかりながら、少しばかり真剣な目付きでアメリアを見る。


「潮時なんじゃないですか?」


 潮時。何がとは言われなくてもわかる。

 アメリアはターゲットの闇に関わりすぎた。これ以上この街にいると、嫌が応にも彼らの仕事に関わる羽目になるかもしれない。アメリアだけならまだ良いが、彼女の知り合いのコルトやハイドにまで手が及ぶのだけはどうしても避けなければいけない。幸いディーノが探している物を所持していないと確信した今、下手に誤解を解くよりも、一刻も早くこの街を出てほとぼりが冷めるのを待つ方が得策だ。

 アディの言う通り、そういう意味で潮時なのかもしれない。


「そうね。そろそろ街を出た方がいいかも」


 ベッドに腰掛けたまま、アメリアは窓から外の景色を眺めた。三階からは旧表通りの下町然とした景色の他、街の奥にある富豪達の暮らす高級住宅街も見ることが出来る。貧富の差は極端だが、旧表通りの人間は心はとても豊かな人が多かった。様々な街がある中で、アメリアは意外とこの街が気に入っていた。

 懐かしむように細められた双眸が、次の瞬間怪訝な物に変わる。何やら視線を感じる。気配に目をやれば、アメリアを見つめるアディと目が合った。


「……何よ?」

「いえ別に。可愛らしいなぁと思いまして」


 これは彼がその場を誤魔化す時の常套句だ。すでに慣れてしまったアメリアは深く追及しなかった。


「今夜、街を立つわ」

「ずいぶんと決断が早いですね」

「ぐずぐずして、あいつらに踏み入られたくないもの」


 その為にはやる事がたくさんある。これ以上アディの相手をしている時間は無かった。ベッドから立ち上がると、アメリアは部屋の扉を横目に見遣った。


「そうと決まれば早速荷物をまとめないと。用が済んだならさっさと出てってもらえる?」

「お邪魔ですか?」

「ええ、とっても」

「うわ酷い。少しは躊躇ってくれてもいいのに」


 そう言いながらも彼自身これ以上部屋に長居する気は無いようで、身軽な動作で椅子から立った。


「わかりました。僕はこれで失礼します。……あ、そう言えば」


 そのまま黙って出ていくかと思いきや、扉の前で立ち止まるとくるりと身を返した。荷物を片付けようと小物入れを手に取ったアメリアを見て、意味深に微笑みながら。


「男性と部屋で二人きりになる時は、ベッドに座るのは避けた方がいいですよ。相手との仲を深めたいのなら、話は別ですけどね」


 天使どころか悪魔の邪悪な笑みをその顔に宿らせる。アメリアが驚きを隠せず黙り込むと、アディは元の愛らしい天使の微笑みでひらひらと手を振って立ち去った。




***

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