7.魔法の練習
日が沈んでも春澄は走り続けていたが、そろそろ夕飯を食べて休もうかと適当に街道脇の木の根元に寄りかかった。空には青白く輝く、地球の月の5倍ほど大きな月が浮かんでいる。
「綺麗だなぁ…」
地球の月も美しかったが、今見ている月は輝きと迫力が加わり、見た事のない美しさだった。
この世界の月はかなり明るいので、森の中へ入らなければ人口の明かりが無くても十分過ごせそうだ。
ゲームから受け継いだステータスのお陰で疲れることが無くこのまま走っても良かったが、限界の検証は後日行う事にして今は規則正しい生活をする事にした。
が、早速問題に突き当たった。
「しまった、先にどっかで火魔法の練習しとくんだった」
水は異空間収納に大量に入っているし、水魔法でも出せるから水分に関しては問題ない。食料も足りなければ適当に獣など仕留めれば良いと思っていたが、肝心の肉を焼く火魔法を、適切に出せる自信が今は無かった。
最悪火事になっても消せはするが、そこまでして食料に困っているわけではない。
春澄には町で買った串焼きや他にもいくつか気に入ったものを買っていたが、問題は成り行きで連れて来てしまった、自分の頭の上の存在だ。
「お前、何食べるんだ?」
人間の食べ物は身体に悪かったり味付けが濃かったりするんじゃないだろうか。肉を焼いてやるのが良いと思っていたが、そこでふと気づく。何となく犬や猫に接する感じで火を通した肉をやろうと考えてしまったが、そもそもこれは野生の魔物である。今まで生肉や木の実などを食べていたのかもしれない。もし生肉で良いなら今日のところは火魔法に関して何の問題も無くなるのだが。
春澄はホーンラビットを頭の上から自分の膝の上へ移動させた。
「獣か何か取って来てやろうか。そのまま食えるか?」
ふるふるとホーンラビットが首を横に振った。
「…頭いいな、話通じてるのか。つーか生肉食わないのかよ」
どうするかなぁと考えた春澄は、駄目もとでホロ鳥の串焼きの塩味を出してみた。するとホーンラビットが鼻をひくひくさせて串焼きを見ている。
「ホロ鳥を焼いて塩かけただけの食べ物だけど、食べるか?」
鼻先に持って行ってやると、戸惑い無く食べ始めた。
食料に関して問題の無くなった為、春澄も自分の分を取り出して食べ始める。他の食べ物も出すと、物欲しそうな目が向けられるので、少し分けてやりながら一緒に食事を取った。どうやらこのホーンラビットは人間の食べ物が好きらしい。
いったい今までは何を食べていたのだろうか。
そうしてゆったりと過ごして居ると、突然森の奥からあまり歓迎したくないものが寄って来る気配があった。
美味そうな匂いに釣られたのだろう。5匹のゴブリンが錆びた剣を構えてこちらに近づいて来た。出涸らしの茶葉のように濁った深緑色の小さな身体、尖った耳。常に半開きの口からは黄色く変色した牙が覗き、血走った黄色い目は知性を感じさせない。
2匹のゴブリンが持つ松明の明かりで、周りの木々に彼らの形が揺らめき、光と影の彩りが濁った深緑色の気持ち悪さに拍車をかけている。ホーンラビットが怯えたように身体を擦り付けて来た。一撫でしてから地面に置き、その辺に落ちていたツルツルした綺麗な葉っぱを皿代わりにして与えていた食べ物を置いてやった。
「大丈夫だ。すぐ終わるから食ってろ」
ホーンラビットから距離を取るように春澄がゴブリンに近づくと、まずは2体がグゲギャグギャギャと奇怪音を発しながら挟み撃ちのように向かってきた。
春澄は慌てず刀を構えて2体が近づいてくるのを待ち、間合いに入った瞬間に一振りでゴブリン達の剣を持つ両腕を切り落とす。痛みでさらに酷くなった奇怪音を減らすようにすぐさま頭も切り落とした。それを見た他の3体が動揺している隙に近づき、全ての頭も切り落とす。
宣言どおり、彼らが反撃する間も無くあっという間に終わらせた春澄は、浴びてしまった血を浄化の魔法で綺麗にしながらホーンラビットのもとへ戻った。
「少し移動するぞ。こいつらの前で夜を明かすのは気分が良くないからな」
死体が燃やせないし、やっぱり火が使えないのは不便だな、と独り言つ。
そして50メートル程先へ移動し休んでいたのだが、またしても魔物の襲撃にあった。それも3回だ。
最初のゴブリンは取って置く必要も無いと思い異空間収納に入れずに移動したが、他はホーンウルフやブラックオウルなど毛皮が後々売れそうなものだったので、異空間収納に仕舞った。その為移動の必要は無かったのだが。
「…気が休まらん」
10分ほどの間隔で繰り返す単調作業のような撃退。流石の春澄も面倒くささから目が据わっている。今までゲームでは睡眠=ログアウトだった為、このような面倒な事はなかった。
この世界の冒険者は夜をどう過ごしているのだろうか。あいつらが寄って来ないように出来れば問題ないんだが、と思考を巡らせていると名案が浮かんだ。そうだ、威圧だ。
春澄は『魔王になれる角ヘルム』を取り出し装着した。一瞬ホーンラビットが怯えを見せたが、春澄がホーンラビットを『味方』として念じた為、威圧対象から外すことが出来た。まだ少し落ち着かない様子だったが、春澄に撫で続けて貰った事で安心したのか、そのうち眠りについたようだ。
しばらく様子を見たが、春澄の望みどおり襲ってくる魔物はいない。便利なので、他の冒険者がどうしているか分かるまではこれで夜を過ごそうと決めた。
「なるほど、このアイテムはこの為にあったのか」
いやそれはないだろうと突っ込んでくれる人物はここには居ない。春澄以外に居る唯一の生物は春澄に撫でられて気持ち良さそうに眠っているだけである。
本来『魔王になれる角ヘルム』は『多数の敵と戦っている時に威圧で隙を作れてちょっと便利だけど着けてる姿は中二病っぽくて恥ずかしいよ』という感じで作られたせいでジョーク品の扱いだったが、まさかこんなところで第2の意外な活躍場所が待っていたとは運営も角ヘルムも予想していなかっただろう。だがどんな使い方であっても活躍出来たほうが、このジョーク品も喜ばしいに違いない。
そうして快適な環境で手触りの良い毛並みを撫でているうちに、春澄も眠りに誘われていった。 途中、馬車が通った気配で1度目が覚めたが、それ以外は安眠出来たので次の日は朝日を感じながら気持ちよく起きる事が出来たのだった。
朝食を昨日と同じように済ませ、またホーンラビットを頭に乗せて出発する。今日の目的は魔法の練習だ。開けていて、人気の無いところを見つけなければならない。昨日はひたすら走っていたので気にしていなかったが、何度か原っぱがあったような気もするので今日もすぐに見つかるだろう。
そうして周囲を気にしながら走る事2時間。ようやく火事を心配することの無い場所があった。
大きな川が流れていて、幅広の橋が掛けられている。川自体も大きいが、小石で埋まっている川原は対岸に人が居ても豆粒にしか見えないほど広いので、橋から離れれば少々無理をしても問題無さそうだ。
早速川原に下りた春澄はホーンラビットをどうしようか迷ったが、下手に離れた場所へ居させるよりも自分とくっ付いていた方が危険が無さそうだと思い懐へ潜らせた。
まずは問題の火魔法からだ、と早速魔法の練習に取りかかった。
今まであまり意識していなかった魔力の存在をしっかり確認する為に、手っ取り早く火炎球を何発か打ってみた。
相変わらず大きな炎の玉が出現し、川原を抉り焦がしていく。打ち出した攻撃には意識を向けず、自分の中で動いているだろう魔力に集中する。
何となくもやもやとしたものを確認したので、それを纏めてみようと自分の体の中心に集めるイメージをする。そして手の平へ流れるようにして火炎球を出してみた。
途端炎の玉どころではない炎が手から溢れ出し、春澄の視界を埋め尽くした。
「うぉっ」
驚いてすぐに魔力の放出を中断する。手の平からのイメージは良くないらしい。指先からならどうかと試してみると、少し小さくなったが、まだ大きなものが出てきた。
指先から出るイメージでこれだと、普通の炎も威力が凄そうだ。これでは野宿の焚き火をつけるのも困難かもしれない、と春澄はげんなりする。
無意識に懐のホーンラビットを撫でて、その柔らかな肌触りをゆっくり堪能していると、その感触である事を閃いた。
出す魔力の面積を気にしていたが、その速度は気にしていなかった。おそらく勢いよく出しすぎていたのだろう。もう一度指先から、反対の手が触れている毛並みのようにゆっくりと柔らかに魔力を押し出した。
すると大きさは変わらなかったが、威力というか打ち出す速さが減った。
大きさを変えるにはどうしたらいいのか、何かが掴めそうではあるが、なかなか難しい。
しかし、変化があったという事はイメージが重要になってくるようだ。使った魔力のイメージが、実態の攻撃に影響している。
自分が今練習をしているのは火炎球だ。そのまま魔力を纏めてしまってはどうだろうか。魔力をぎゅっと小さくまとめて、弾丸のように打ち出してみた。すると見事30cm程の炎の玉を出すことに成功した。
「おお」
先ほど長期戦を覚悟したばかりだったが、これは喜ばしい。
変化に気づくことが出来たヒントを与えてくれた主には後で美味いものを買ってやろうと心中で約束した。
しかし結構な威力の物を出したようだ。止まることを知らないサッカーボールのように、スピンしながら川原を抉っていてなかなか消えない。まぁそのうち消えるだろうと春澄は知らない振りをした。
それからは、ひたすら魔力の感覚を覚える事に集中する。練習しているうちに魔力の濃度でも攻撃に変化があることが分かった。
少ない魔力をふんわりと小さく纏めた濃度の低い塊をイメージして指先から勢いよく押し出すと、押し出す力に比例して、小さな炎の玉が早い速度で打ち出されるが、先ほどのように消えないという事は無く、何かに当たるとすぐに消えた。
最初の暴発は、魔力をどうしたいのかきちんとイメージが足りておらず、濃い濃度のものを纏めないでそのまま勢い良く放出した為、押し出されたものが爆発したように飛散したのだという事もわかった。
そして沢山の魔力を圧縮すると、した分だけ威力はすごい。ふんわりとまとめた薄い魔力で出来た攻撃は何かにぶつかると相殺されるのに対して、圧縮した濃い魔力の攻撃は何かに当たってもなかなか消えずにその先へ進んだ。
膨大な魔力を大きく固めた濃い濃度の魔力を勢い良く押し出す攻撃は、威力が怖いので実験は出来なかった。
基本の火炎球を習得したところで、他の火魔法も練習し、指先に怪我をして小さな血玉が出来るイメージで魔力を出すと、焚き火に適した火を出すことには成功した。
続いて水・風・地・雷・闇なども練習する。
土魔法は最初は地面に手を触れて発動していたのだが、ゲームではそんな事しなくても発動していたのになと思い、考えた末に足の裏から地面に魔力を流す事にした。
そのうち魔力操作に慣れてくると、体が地面に触れてなくても魔力を操れるようになったが、戦闘の時は油断を誘う為わざと手をついて発動するのも有りだろう。
この魔力操作に慣れたおかげで、放ったらそのまま一直線に攻撃するのみだった火魔法や風魔法も、手を離れた後でも操る事が可能となった。
闇魔法は他の魔法と合わせる場合が多いので、一番最後の練習となった。
例えば水魔法と合わせて酸の雨や、風魔法と合わせて眠りの風など、他の魔法を変質させる事が出来るのだが、生物に向けて攻撃しないといまいち効果がわからない物が多いので、それほど練習に時間はかけなかった。
光魔法だが、これは春澄は使う事が出来ない。
ゲームの設定で、どれか一つの属性は使う事が出来ないという制限があったためだ。
これは自分で選べた為、春澄は光魔法を捨てた。自力での回復魔法は使えなくとも、画面上の何処でも買える回復薬があれば良いと思っていたし、アンデッド系も時間は掛かるが聖銀を使えば倒すことは出来るのだ。
今まで特に不便は無かったが、ここはゲームの世界ではない。
練習すれば使えるようになるかもしれない、と考えたところでふと、高かった日が既に落ちている事に気がついた。
お読みいただきありがとうございました。