43
そうしてそろそろ食事も終わるかという頃だ。春澄達のテーブルで空いていた椅子に、ドカリと座る人物が現れた。
「ようやく見つけたわ。……と言っても今は偶然見かけただけだけど。久しぶりね」
そこに居たのはどこかで見たような美女。すれ違えばたいていの人間は彼女へ視線を惹きつけられるだろうほどの存在感だ。
春澄がどこで会ったかを思い出すためにじっと見つめていると、女の方が形の良い眉を歪ませた。
「ちょっと、もしかして私の事忘れたとか言わないわよね?」
「………………ああ、今思い出した。いつだったか蹴り飛ばした女だな」
「そーよ。思い出してくれて良かったわ」
彼女は以前、ギルドの食堂で仲間にならないかと誘いをかけてきた女冒険者だ。断ると何故かユキに矛先を向けてきたので、春澄が少々手荒く反撃してやった事がある。
けろりとした顔で会話する当人達に反して、アルナリア姉妹や周囲に居た人物がぎょっとした顔をした。そこに座る美女は未だニコリとも笑わないものの、だからこそ凛とした近寄りがたい美しさを躱し出している。それを同じくこちらも人目を惹く美青年が蹴り飛ばしたとあっては、周囲の驚愕と好奇心が刺激されても仕方のない事だった。
「何の用だ」
「この間は悪かったわ。それだけ言いたかったのよ」
拗ねたようにほんの少し唇を尖らせた彼女はまるで謝り慣れていない子供のようだった。だが確かに伝わって来た反省の色を読み取った春澄が僅かに首を傾げる。
「少し、以前と雰囲気が変わったか?」
「あら、わかる? ……止めたのよ、いろいろと」
以前会った時の酷く露出した服装や妖艶な雰囲気はまるで遊女と言っても差し支えないようなもので、かろうじて付けていた防具などから冒険者と判断できたようなものだった。
だが今は愛想笑いもせず、ひどくさっぱりとした態度で、服装も露出は多少あるものの『女冒険者』として妥当なものだった。以前はしっかりと巻かれて背中に流れていた髪が、今は後ろの高い位置ですっきりと結われている。
「私、こう見えて本当は男はあまり好きじゃないのよ。だからこそ、今まで利用してやってたんだけど、貴方に蹴り飛ばされて目が覚めたっていうか、なんだかいろいろ馬鹿らしくなったっていうか。……そういえば、今日はあのホーンラビット連れてないのね。あの子にも悪かったって言っておいて」
「ユキに?」
「あのときはちょっとむしゃくしゃしててね。声をかけた貴方は私を否定しなかったけど、受け入れてもくれなかった。なのに、役に……あ、怒らないで聞いててよ? 私からしたら、私より役に立たないようなホーンラビットが連れられてるの見て、もともとイライラしてたのが我慢できなくなったのよ」
現在人型を取っているユキはホーンラビットとして返事をする事は出来ないが、仮に返事を返せるならば『全く気にしていない』と答える事だろう。
現に、ユキは開きかけた口を慌てて手で押さえている。
「後から気づいたけど、あれって嫉妬だったのよね。損得勘定じゃなく、信頼でつながっているような関係が羨ましいって感じたんだって気づいちゃうと、もう駄目ね。今は割と真面目に冒険者してるわ。だから目を覚まさせてくれた貴方にお礼も言いたかったの。ありがと」
「蹴り飛ばした相手に礼を言われるのも微妙な気分だ」
「ま、とりあえず受け取っといてよ。前よりもなんだか気分が良いのよ」
「だろうな。憑き物が落ちたようなスッキリした顔をしてる」
春澄がそういうと、女は自慢げにふふんと微笑んだ。そしておもむろに春澄に手を差し出す。
「言い忘れてたけど私、シトリー・ナイトリス。仲間には入れてくれなくても、握手くらいはしてくれるでしょ?」
「……春澄だ」
握り返した手はすぐに離したものの、シトリーは先ほどとは違う笑みで満足そうに微笑んだ。
そしてふと気づいたようにテーブルのメンバーを見回す。
「その赤い男は前にも居たわね。他の子もみんな仲間なの?」
「俺の両隣に居るのは仲間でユキとシド。そっちの姉妹は知り合いで、町を案内してもらっているところだ」
「あら、貴方の名前もユキなのね」
「はい」
視線を向けられ、ユキがニコリと微笑む。ホーンラビットと少女が同じ名前だという事に気づいたシトリーだったが、ただの偶然だと思ったのか疑問を引きずった様子もなく会話を続ける。
「あなた町に詳しくないのね? 何か探してる店があるの?」
「ああ、けどもうだいたい用事は終わった。後は旅の食料を買い込むだけだな」
「食料……ねぇ、甘いものはいらない? 私の場合、旅で疲れた時とか甘い物が欲しくなってよく食べるから、結構美味しい店知ってるの」
「甘いものか」
とくに嫌いな食べ物がない春澄は、甘いものも割と好んで食べていた。だがこの世界に来てからはそういったものは城で出された程度しか口にしていなかったので、『結構美味しい甘い物の店』というのはなかなかに気になる場所だった。主食となる食べ物以外にも、趣向品を揃えておいた方がユキやシドも喜ぶだろう。
春澄がそう考えている間、シトリーとアルナリア達が『あの通りの裏路地の店知ってる?』『いえ、知らないです』『私達もご一緒していいですか?』『むしろ貴方達の方が先に居たんだから当然でしょ?』という会話がなされていて、行く事はほぼ決定のようだ。
春澄は以前はシトリーに敵意を向けていたシドの様子を窺ったが今は無関心のようで、ユキの方もにこにことしているので行動を共にする事は問題なさそうだ。
「……じゃあ、案内を頼めるか」
「ええ、行きましょ」
あまり大人数で行動する事の少ない春澄は、同行者が一人増えただけでかなりの大所帯になった気分で案内されるがままに店へと向かった。
前をシトリーと姉妹が歩き、後ろを春澄達が付いて行く。
一見タイプの違う彼女達の会話は弾んでいるようだ。距離が近いせいで強制的に会話が耳に入ってくる。
「え、じゃあシトリーさんは元貴族なんですか!?」
「そ。けど家も嫌いだし婚約者も大嫌いでね。五年前に縁を切って冒険者になったわけ。ちなみに今は二十一歳よ」
「二十一歳なんですか!? 確かに見た目はそのくらいですけど、すごく落ち着いてる雰囲気で大人っぽいのでもう少し上の方なのかと思いました」
「そう?」
「けど、思いきりましたね。貴族の方がいきなり家を飛び出して冒険者って大変じゃなかったですか? 家ではきっとメイドさんとか居たんですよね?」
「そうね。確かに大変だったけど、最初は知り合いの冒険者に世話になってたのよ。あ、春澄も知ってるでしょ、バディスト」
「……ああ」
突然話しかけられたせいで反応が遅れたが、聞き覚えのある名前に春澄は頷く。
「あいつ、ああ見えて女関係にだけはしっかりしててね、最初はなかなか家に上げてもらえなかったの。けど頼れるのはあいつしかいなかったし、あの時は必死で頼み込んだわね」
「男は好きじゃないと言ってなかったか?」
「バディストは嫌いじゃないわ。けど基本的にやっぱり男は嫌い。特に嫌いなのは典型的な貴族の考え方をしていて、女を『女』としか見ていないプライドが高くてしつこい意地悪な男」
シトリーが吐き捨てるように言った特徴に、アルナリアが目を瞬かせた。聞いていると、明らかに特定の人物を指しているようだった。
「もしかして、婚約者さんの事ですか?」
「『元』婚約者ね。というか元だろうが婚約者とも認めたくないけど」
「そんなに嫌いなんですか?」
心底嫌そうに口元を歪めたシトリーに、ユキが不思議そうに尋ねた。ユキはまだ、誰かをそこまで嫌った事がないのだろう。
「当然よ。昔っから私に嫌な事ばっかりしてきて。いつもと違う髪形にしてみたり新しい服を着たりすると『似合わない。そんな恥ずかしい格好で外に出るな』とか『人前で笑うな、はしたない』とか『誰かと会う時は俺に報告しろ。婚約者としての義務だ』とか。もうとにかく鬱陶しくて」
「うわぁ、それは息苦しいですね」
「それで五年前、我慢の限界がきた決定的な出来事があってね。当時、個人的にバディストに依頼を受けてもらってたまに会ってた事があるんだけど、それを元婚約者が見かけて勘違いしたらしいのよ。それであいつ後で何してきたと思う?」
少し考え、ミリアリアが言った。
「うーん…………バディストさんという方を殴った、とか?」
「ハズレ。バディストじゃなくて私に仕掛けてきたのよ。押し倒してきて『子供でも作れば他の男の所には行けないだろう』ですって」
「うわっ、最低」
「『どうせ結婚するのだから、遅いか早いかの違いだ。問題ないだろう』とも言ってたわね。だから思いっきり急所蹴り上げてやったわ。あの時のあいつの情けない顔は今思い出しても最高」
思い出したのか、シトリーの表情は先ほどと打って変わって楽しそうだ。春澄としてはあまり耳に入れたい話ではなかったが、確かに男の方が明らかに悪い。
「それで元々家族とも折り合いが悪かったし、こんな男と結婚なんて御免だわって事で家を出たの。それと、貴族の娘は嫁ぐ時に純潔が当然とされてたし、あんなやつに初めてをやる可能性を残すくらいならってすぐに捨ててやったわ」
「え、ちょっ、そんな簡単に捨てて良いものじゃないですよ!!」
「あら、別に初めては好きな人が良いとかそんな乙女な思考回路は無かったし、それにあの元婚約者のように屑な男を利用していくなら邪魔なモノを取っておいても仕方ないしね。……まあでも、私の行動も餓鬼臭かったわよね。男なんて、って思って生きてきたけど、春澄に会って目が覚めましたってのが今の私。だから男でも、当時世話になったバディストと春澄には感謝してるのよ」
あっさりと語るシトリーだったが、貴族だった娘が冒険者として過ごすにははかり知れない苦労や時には恐怖があったに違いない。
その後もなにやら貴族界隈の裏話やら化粧がどうとか服がどうとか、春澄にはよくわからない話を聞きながら歩いていると、大通りからはずれ細い路地に入ったところでシトリーはぴたりと止まった。
「ここよ」
示された先は、客が出入りする場所というよりは従業員が利用する裏口のような扉だったが、彼女は躊躇いもなく扉を押す。すると甘く美味そうな香りが店内から流れ出て春澄達の鼻孔を抜けていった。
ユキを含めた女性陣が顔を綻ばせながら気の抜けたような声を発する。次に視界に入って来た菓子類に、彼女達は引き寄せられるかのように足を進めた。
二畳分ほどもある大きなショーケースの中にはごくごく普通の焼き菓子から、食べ物なのか飾りなのか分からない程キラキラと光沢を放ったモノや、ゼリーのような半透明の球体など、色々なものが所狭しと並んでいる。
最初のうち目に映るものすべてに反応するかのように『美味しそう』やら『形が綺麗』などとはしゃいでいたユキ達だったが、次第に口数が少なくなり真剣な表情でショーケース内に視線を走らせている。
「ユキ、どうした?」
「はる様、どれも美味しそうで選べないです……」
「なら選ばなきゃ良いんじゃないか?」
「ええっ!」
ユキが目を見開き、ショックを受けたような表情で春澄を見上げた。
あえて誤解を受けさせる言葉を選び、予想通りの反応を示したユキに春澄は笑みを漏らしつつその頭を撫でる。
「全種類買ってやる。それで選ばなくていいだろ?」
その言葉に、シトリーがギョッとした顔をした。
「ちょっと、ここ結構高いわよ?」
「平気だ」
「……はる様、私の事甘やかしすぎじゃないですか?」
「そうか? けどシドは最初から選ぶ気がなさそうだし、今買っておけば何回も来る手間も省けるぞ」
一番後ろに居たシドを見ると、壁に凭れかかってユキ達が選び終えるのを待っていたようだった。おそらくシドに『食べない』という選択肢は無いので、春澄の言う意味の通り選ぶ気はないのだろう。向けられる視線に気づいたシドが、緩く首を傾げる。
「終わったのか?」
「あ、えっと……」
シドをこれ以上待たせるのも忍びなく、かといって全種類を買ってもらっても良いものなのかと決めかねたユキが焦った表情になる。
うー、と唸るように顔をしかめたユキだったが、やがてちらりと春澄を窺うように見上げた。
「…………全部、お願いしてもいいですか?」
「ああ」
ユキの答えに、春澄ふっと笑みを浮かべる。それを見ていたミリアリアがぽつりとつぶやく。
「春澄さん仲間に甘い」
「…………ちょっと違うんじゃない?」
呟きを否定したのはシトリーだ。ミリアリアが不思議そうに首を傾げ、真意を問いかける。
「別にあの人達の事よく知ってるわけじゃないけど、多分、『仲間に甘い』んじゃなくて『甘やかしても良いと思える』存在だから春澄のそばに居られるんじゃない?」
「……納得です」
真顔で肯定した妹に、聞いていた姉のアルナリアも同じ顔で頷いた。
大量に買い込んだものを異空間収納へ仕舞い、にこやかな店員に見送られながら店を出るとシトリーが春澄へ呆れた視線を投げかけてきた。
「収納アイテムって結構高価なんだけど、あれだけのものを仕舞い込めるアイテムを持ってるなんて流石というか、その貴重なものに趣向品を大量に詰め込めちゃえるのがすごいというか……」
春澄以外の面々は、食べ歩き用に持ちやすくされた焼き菓子を手に持ちながら歩いている。どうやらそういった事がマナー違反になるような風習は無いようだが、春澄が食べながら歩かないのはマナーを気にしているわけではなく、座って食べたほうが落ち着くという意識からだ。
ふと前へ視線を向けると、一目で上流階級の者だと分かる身なりをした二人が歩いてきた。そのうちの一人の歩みは堂々としており、他の通行者が自然と避けていく。実際、たいていの人間であれば道を譲ろうとしない相手に多少の不快感を感じようとも、ぶつかる事とぶつかった事によるトラブルを避けるために渋々ながら態度の大きい相手を避けるだろう。
だがぶつかる事も、その先のトラブルに対してもなんとも思わない者が居たとすれば、結果はどうなるだろうか。
彼らも自分を避ける気配のない人物が居る事に気づいたようだが『どうせ避けるだろう』という意識でいた脳は身体に静止の号令をかける事が出来なかったようだ。
ドンッとシドと男の体がぶつかり合う。だが吹き飛んだのは男の方のみだった。シドの方はよろける事もしていない。
「う……貴様、何をする!」
腰をさすりながら睨み付けてくる男を、シドが不思議そうに見下ろす。
「おいおいイズール、大丈夫か?」
「くそっ、この赤い髪の男が……貴様っ、ぼさっと突っ立ってないで謝罪をしないか!」
イズールと呼ばれた男がシドの方を睨み付けると、一緒にいた男もつられるようにシドの方を見る。
シドはというと、物珍しそうに男達を見てから春澄へと問いかけた。
「ふむ。主よ、これが噂に聞く『喧嘩を売られた』というものか?」
「…………そういえなくもない、のか?」
シドに問われた春澄があいまいに言葉を濁す。
今の状況のみならばどちらも道を譲る事がなかったのだから『お互いさま』といえるだろう。そのため勝手に尻餅をついた相手の男は自己責任であり『謝罪を』という要求は理にかなっていない。だが喧嘩を売られているという程のものかと聞かれると微妙なところだ。
「…………買ってやるのか?」
「さて、買うといってもどうしたら良いか、いまいちわからんな。……灰にすればよいのか?」
「いや、流石にそれは買いすぎだ。せめて身体は残してやれ」
「おい、何をごちゃごちゃと言っている!」
「…………ふん、ごちゃごちゃ言ってんのはあんたでしょ。ぶつかった程度で騒いでくっだらない」
春澄は後方からの冷たい声色に振り向いた。男があげた怒鳴り声を鼻で笑い飛ばしたのはシトリーだった。彼女の隣に居たアルナリア達も、シトリーがそんなふうに口を挟むとは思わなかったのか驚いた顔をして注視している。
そして言われた男自身も、目を見開いて固まっていた。
「……シトリー」




