39.
あらすじのようなもの
モンキーバットとの戦闘後、突然何者かに投げられたナイフが腕を掠め、春澄は激しい体調不良に襲われる。
ナイフを放った少年と戦闘になりなんとか応戦していたが、春澄の攻撃を受けて怒り狂った少年の攻撃から春澄を庇おうとユキが人化してしまった。
「っ、ユキ!!」
春澄が叫ぶ声と、少年の声が重なった。同時に躍り出た小さな体が淡く光り、人型を形作る。
現れた白い肌に炎の渦が迫るのが見え、春澄の背に状態異常のせいではない冷や汗がどっと滲んでいく。
浮つく体に力を入れ、春澄はユキと体の位置を入れ替えようと手を伸ばした。
その細い腕を掴み腕の中へ入れると同時に、闇雲に攻撃魔法を放つ。瞬間、相手の魔法が二人を襲う気配がした。どうやら魔法同士はぶつかり合わずにすれ違ってしまったようだ。
だが予想していた衝撃は一切なく、代わりに少し遅れて遠くから春澄の放った攻撃の余波が届き、突風に煽られた程度だった。
こちらに向かっていたはずの攻撃はどうなったのか大きな疑問は残ったが、そんな事よりも問題なのは魔法を放ったせいで薄れそうになる春澄の意識だった。そして大事なのは腕の中におさまっている存在の無事をはっきり確認しなければならない事だ。春澄は咄嗟に短剣を出すと、自らの足へと突き刺した。
「っ!」
「はる様!! 何してるんですか!?」
鋭く熱い痛みで、暗い谷底に落ちそうだった意識が戻って来る。同時にユキのはっきりした声が鼓膜を震わせた事で、春澄は相手の無事を認識した。
目を開けると、輪郭はぼやけていたが薄っすらと水の膜が張ったユキのオッドアイが間近に見えた。それに安心すると、途端に一瞬前のユキの行動が記憶に蘇り、春澄は鋭く睨み返す。
「……それはこっちのセリフだ、ユキ」
「はる様……」
初めて春澄から自身に向けられた怒気に反射的に身を引こうとしたユキだったが、逃がすものかと頬が両側からパシンと音を立てて挟み込まれた。
ユキを確保した春澄は次に急いで周囲へ意識をむける。彷徨わせた視線の先には、ぐったりと倒れる少年の姿があった。闇雲に放った春澄の攻撃だったが無事に命中し、それは冷静さを欠いていた少年には十分な攻撃だったらしい。
春澄の方もまだ戦闘に戻るのは厳しい状況のため、このまま休憩をしたかった。
転移でも使えたら良かったのだが、あれは実際かなりの魔力を使用しなければならない。先ほどから魔法を放つたびに悪化する体調は、遠くへ飛び魔力を消費すると今度こそ意識を失ってしまうかもしれず、そうなるととんだ先に魔物や悪人が居れば今より危機的な状況になる可能性もある。少年から見えない位置に少しだけ転移するという選択肢もない。今ここは激しい戦闘のおかげでモンキーバットが寄ってきていないようだが、離れた場所では話が違ってくる。
このままここを動かずに、シドを呼ぶというのが一番無難だと思われた。
異空間収納の魔力消費は微々たるものなので体力や魔力回復薬などを取り出し飲んでみたが、状態異常無効のスキルが効かない体調不良には、やはり回復薬も効かなかった。
春澄はシドへと強く呼びかけてから、少年に対してもそのまま起きるなよと胸中で呟き視線をユキへと戻す。
先程から掴んだままの顔をこちらに向かせると、間近で大きな瞳と出会った。
あの攻撃を受けて無事でいられるとは思えず、春澄はそのまま頭や肌を撫でるようにして確認する。だが、ユキの言う通りケガは見当たらなかった。なんとなく手から伝わる感触に違和感を感じたが、それよりも今は怪我の有無が優先だった。
確かに大丈夫だということを認識し深く息を吐いた春澄が、ふと視界に入ったユキの耳に金具だけになったイヤリングがぶら下がっているのを見つけた。霧の中に入る前に、春澄がユキへと付けた致命傷の攻撃を防ぐ魔道具だ。
「……そういえば、これを付けてたのか」
「ごめんなさい。せっかく貰ったもの、壊しちゃいました」
「そんなのはどうでも良い」
ほんの少し苛立ちの混じった春澄の声に、ユキの肩がピクリと反応する。
おそらく春澄が渡した魔道具がなくとも、ユキは同じ行動をしたのだろう。当たれば大怪我では済まないような攻撃に、なんの迷いもなくその身を晒したのだ。春澄を庇うためだけに。
春澄は肺の空気をすべて出す勢いで息を吐くと、凭れかかるようにユキの白い肩へ額を乗せた。
自分を盾にするほど何故ユキがこんなにも真っ直ぐに自分を慕ってくれるのか、春澄には分からない。ただ、それを考えると、心臓のあたりがじんわりと熱くなってくるような気がして、酷く苦しかった。
それに加え、ユキにそんな行動をとらせてしまった自分の頼りなさが悔しくて、自分への怒りが身の内を渦巻くように暴れ、混ざり合わない反する気持ちのせいで思考回路も体調も最悪の状態だった。
春澄は心臓の上あたりをグッと握ると、意識して深く深呼吸を繰り返す。
暫くすると、腿に突き刺していた痛みと、いつの間にか春澄の背中を撫でていた手のおかげでだいぶ落ち着きを取り戻すことが出来た。
そっと顔を上げた春澄は、そのままユキの額を指で思い切り弾いた。
「痛っ!……いです……」
なかなかの強さだったのか、ユキの目に反射で出てしまった涙がじわりと滲む。
ユキが咎めるように春澄を見上げると、視線が合う前に春澄はその頭を引き寄せた。
後頭部に手が回される暖かさと額に感じる鼓動で、ユキは春澄の胸に抱き込まれているのだと気づく。先ほどとは逆の態勢だ。そのまま、春澄の囁くような声がユキの耳に届く。
「頼むから、今後俺を庇うようなことはやめてくれ。……心臓が止まりそうになった」
「……ごめんなさい。でも、はる様だって、同じことしましたよね?」
顔を上げたユキが、不満そうに春澄を見つめる。あの時、春澄を庇おうとしたユキと、必死で位置を入れ替えようとしていたのは春澄だ。
結局抱き込むことに成功はしたが、庇い方が不十分だったのかユキの耳に付けた魔道具が発動したため結果的には良かったのだろうが、春澄が同じ行動をしたことに変わりはない。
言われた春澄は、すぐに意味を飲み込めなかったのか動きを止めた。
暫く自分の中で意味を咀嚼し、ようやく飲み込めたのか、苦笑しながらユキの頭へと手を置いた。
「確かに、同じ事してたな。……けど、俺の方がユキより丈夫だ」
言い訳がましく付け足された言葉にどこか納得しない表情を浮かべながらも、一応他にも選択肢はあったんです、と自信なさげにユキが呟いた。
「……実は、こっそり練習して光属性のシールドを使えるようになってたんです。でも実際に使った事は無くて強度に自信が無かったし攻撃が大きかったので、はる様が用意してくれた物の方が確実かなと思ってとっさにこのイヤリングを頼ってみました」
確かに半端なシールドで衝撃を和らげた後の攻撃を受けてしまえば、『致命傷』を防ぐ魔道具は発動せず逆にダメージを受けてしまう。魔道具の効果を信用するなら正しい選択だったのかもしれない。
うまくいって良かったです、と微笑むユキに春澄はぎこちなく微笑を返した。
「……ああ、助かった。ありがとう」
「はい!」
「……っちょっと!!」
ユキが満面の笑みで元気よく返事をすると、咎めるような声と苛立たし気に地面を踏みつける音がした。
見れば先ほどまで倒れていたはずの少年が、顔を伏せたまま負傷した体で立ち上がろうと無理をし足を震わせている。
「……漸く体を動かせるようになって目を向けてみれば……いつまでその状態でいちゃついてるんですか!! いい加減服を着てくださいよ!!」
よく観察してみると、少年の耳が真っ赤に染まっている気がする。おそらく顔も同じ色をしているのだろう。
確かに言われてみれば、ユキは人化したばかりで服を着ていなかった。
「……お前、見たのか?」
「見てませんよ!! 僕を責めるような言い方やめてもらえますか!?」
春澄の口から無意識に出た低音の声に、少年は大声で抗議する。
見た見ないにかかわらず、確かに少年を責めるのは違うだろう。
何やら不快な感情が春澄の胸に沸いたが、本来は戦闘中だったのだ。意識が戻って攻撃が飛んでこなかった分、礼を言わねばならないくらいだ。
先ほどよりも意図せず緩んだ空気に、ふと春澄は気づく。まだ体を動かすのは困難だが、視界がだいぶ安定している。
そしてもう一つ気づいたのは、腕の中にいる存在がいつもと何かが違うという事だ。視線を向ければ、そこに居るのは確かにユキだが、確実にサイズが違っていた。
ぐらつく脳やら想定外の事態が重なったせいもあるが、何故今まで気づかなかったのか不思議なくらいの変化だった。
「…………ユキ、お前、何で成長してるんだ?」
「え?」
ユキ自身も言われて気づいたのか、自身の身体を見下ろして驚きを露わにしている。
今まで10歳程だった少女が、14歳程まで成長していたのだ。
髪の長さは変わらず肩ほどまでだが、幼く丸かった顔の輪郭が少しだけシャープになり、以前は頼りなかった四肢は伸び、幼さのせいではないまろやかさが加わっている。
積み上げるそばから崩れてしまう程さらさらとした砂山のごとく、なだらかな曲線を描いていた胸元は、いまやはっきりとした膨らみを持っていた。
何故急に成長したのだろうかと春澄がユキを不思議そうに眺めていると、ユキの両手が所在無げに彷徨ったあと、春澄の着物の裾と共にぎゅっと握られた。
「あの……」
「ん?」
「私、なにか変ですか?」
そう言われ、ユキの眉が困ったように下がっているのに気づく。ユキの肩を掴んでいた春澄の両手がパッと離れた。
あまりの急激な変化に、下心もなくまじまじと観察してしまったが、普通の女性なら張り手の一つも貰っておかしくはない状況だ。いくら子供と思っていたとはいえ、言い訳のしようもない。
「悪い。……とくに、変なところはないから大丈夫だ」
とりあえずは視線を横に向けながら、手っ取り早く体を隠せるローブを春澄が出そうとした時だ。
背後から、カサリと草を踏む音が聞こえた。
振り向けば、そこには少年と瓜二つの顔をしたツインテールの少女が居た。
その手に持たれているのは、おおよそ女性が持てるとは思えない程巨大なハンマーで、右肩に軽く乗せられている。
そして反対の横にはふわふわと水の塊が浮かんでおり、中には一口サイズの半透明のものがいくつか浮かんでいた。
どう見ても少年の身内らしい少女を見て春澄は警戒に身を固くしたが、当の少年すらも緊張した様子で顔を強張らせているのを見てひとまず成り行きを見守ることにした。
少女は口をもぐもぐとさせながら、眠そうな目を少年と春澄達へ交互に視線を移動させる。
やがて口の中のものをゴクリ、と嚥下するとユキの方を向き口を開いた。
「年頃のお嬢さんが、男性の前であまり肌を晒すものではありませんよ」
吐息を漏らすように静かな、だがよく通る声で呟くと、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
春澄達の前まで来ると少女は軽い動作で巨大ハンマーを地面に置いたが、やはり見た目通りの重量だったらしく、軽く地面が揺れるほどの衝撃があった。
その揺れを気にも留めず、自身が羽織っていたローブを脱ぐとふわりとユキにかぶせた。
「えっ? ありがとうございます。えっと……」
「スカイラと申します。本日はうちの弟が失礼いたしました。今日のところは連れて帰りますので……ランシェス」
ユキに向けたものとは打って変わり、低く名前を呼ばれた少年がビクリと肩を震わせ気まずそうに視線を彷徨わせた。
「ランシェス、私が席を外した間に、勝手に監視中の映像を見ましたね」
「っ、すみません、姉さん。けど、丁度良く相手が仲間と逸れていたし、人間くらい僕一人でもどうにか出来ると思って」
「あまり勝手にしていると、あのロクデナシが怒りますよ。まあ、アレが怒ったところでどうでも良いですけど。……さあ、今ならまだ気づかれてませんから、帰りましょう」
「けど、姉さん! 今ならこちらが有利です!」
「ええ。ですが彼、なかなか回復が早いようですし…………どの道時間切れです。次はこちらが不利になるかもしれませんよ」
スカイラと名乗った少女が視線を向けた先には、霧の奥から現れたシドが立っていた。開いた瞳孔で金色の瞳を輝かせ静かに怒りを表している。
スカイラ達を視界に収めると一瞬だけ眉が動き、硬い声が口から洩れる。
「……我の主に、何の用か。魔族よ」
シドが口にした種族を聞き、春澄はやっぱりか、と思う。少年が『人間風情』と言っていたので他種族である事は分かっていたが、魔族は人間よりも個体が何倍も強いと聞いている。であれば春澄の攻撃を受けてすぐに立ち上がった丈夫さも納得がいく。
「ええ、お話をしたかったのですが、それはまた後日に致します」
スカイラは地面にめり込んでいる巨大ハンマーを持ち上げ、ランシェスの方へと歩いて行く。そしてその手を引くと、促すように来た道を戻ろうとした。
その背に春澄の声がかかる。
「おい」
「……何でしょうか」
「以前、隠蔽されていた魔法陣を壊してから時折感じるようになった視線、お前らだろ」
振り返ったスカイラと春澄の視線が、探るように交わった。
「……ええ。ですからあなたに、あれについてお聞きしたかった」
「覗き魔にあっさり話すと思うのか?」
「……また次回、問わせて頂きます」
そうして前を向いたスカイラが、もう一度春澄の方を振り返り、僅かにためらう素振りを見せてから口を開いた。
「あなたは……人間ですよね?」
「他の種族に見えるのか?」
「いいえ、ただ……魔族を見ても、あなたの目に嫌悪の色がなかったもので、珍しいなと」
問いかけているようでいて、ほとんど独り言のようなものだったのだろう。
そう言い残した彼女は、今度こそ霧の向こうへと消えて行った。
暫くして完全に彼らの気配が消えた事を確認し、春澄はどさりと木の幹に倒れこむようにもたれかかった。
以前の、一人で戦っていた春澄だったなら、彼らの後を追ったのだろう。
シドは『追わなくていいのか』とは聞かない。もしかしたら、春澄の感情が伝わってしまってるからかもしれない。
それは『恐怖』だ。
今まで春澄は『相手の命を奪う以上、自分もその覚悟を』としてやってきた。だから死に関して、それほど恐れはない。
ユキやシドと魂の契約を結んだのも、相手の命を背負うものだと、きちんと認識していたはずだった。
そう、春澄が死ねば彼らも運命を共にするのだと、それを春澄は今更ながらとても怖いと思った。
それが何故怖いのかと考えて、働かない頭でもすぐに思い当たる。
ユキとシドが大切なのだと。
そうあらためて自覚して、春澄は溜息を吐いた。
更新速度すみません。パソコンに触れない日が多いです(´・ω・`)
最後の数行、「以前の、一人で~」から少し文章追加しました。




