37.
お待たせして本当に申し訳ありません。
○時間が経ちすぎてもはや意味があるのか分からないあらすじ。
過去を口にし、気を落としたように見えるシドを気にした少々不器用な春澄が、とりあえず美味いものを食べさせようとミストの実を食べに行く事を提案し、ついでに依頼を受けてミストの木へと行く事に。
そこでモンキーバットとの戦闘が始まる。
霧の中を、シドは一人疾走する。
春澄に渡された盾は背中に括り付けて貰ったので、後ろからの攻撃はそれほど気にしなくて良さそうだ。
片手には数匹のモンキーバットが、両羽と尻尾をぐしゃりと圧縮された状態でまとめられていた。さながら、逆さの真っ黒な花束のようだ。
そしてまた一匹、花束に加わる予定の者が横から飛来してくる。
シドはスッと目を細めると、常人ならその姿を捕らえる事が難しいほどの速度で飛ぶモノの羽を素手で戸惑いもなく捕まえてしまった。その動きに合わせ、深紅の長い髪がふわりと美しい軌道を描く。
最初に数匹を一気に捕まえた後、シドの手の中で『ヂヂッヂヂッ!!』と痛まし気に鳴く同族を見て他のモンキーバットは遠巻きに様子を伺っていたが、時折果敢にも挑んでくる個体が居るのだ。
しかしシドの手にも収納の限界はある。己の手の中にぎゅうぎゅうと圧縮されているものを見て、シドはぽつりとつぶやいた。
「ふむ、やはり尻尾だけにするべきであったか。人型の手にあまり多くは持てぬな」
それを聞いたモンキーバット達は言葉を理解したように、各々耳障りな声を大きくした。
現状、羽と尻尾の両方を握りつぶされている状況も非常につらいが、尻尾だけを持たれ走り回られては千切れてしまう事も考えられる。千切れないにしても尻尾はたいていの魔物や動物にとって非常に敏感な部位だ。引っ張られれば大声で鳴きたくなるほど痛いし、その状況で羽を広げて暴れてはこの不審者に何をされるかわかったものではない。
しかしやはり現状もどうにかしてほしい、と鳴くモンキーバットの心が伝わっているわけではないだろうが、シドは彼らをじっと見つめた。
正確には、見つめていたのは自分の手だ。ふさふさとした黒いものを持っているのでわかりにくかったが、僅かに皮膚に傷がついていた。
「なるほど、人の身体はこの程度の魔物で傷が付くのだな」
感慨深げにつぶやいたシドは、自分だからこそ、この程度の怪我で済んでいる事は知らなかった。
モンキーバットの羽は非常に鋭い。今は薄い刀と紐のようなものをまとめて持っているようなものなのだ。普通の人間であれば握り締めている力と走るときの振動で骨に達するほど肉が切れているはずである。
その塊を自分の目線まで持ち上げると、シドは目を細めた。
「……暫くこの場に留まると約束出来るのなら解放してやろう。だが、もしも主の邪魔をするようであれば、次は火達磨にする」
『出来るだけ殺すな』とは言われたが『絶対に殺すな』とは言われていない。妙な部分で律儀な主は、依頼を受ける時に言われたそれを守ろうとするのだろうが、シドにとって人間達の決めた事などどうでも良い事だ。
ただ、人間の中で暮らしている主に不都合があっては困るだろうと、シドもなんとなく人間の真似事をしているだけである。
金色の瞳に睨み付けられ、モンキーバット達は『ヂヂッ』と鳴く。そもそもこれだけ強く羽と尻尾を握られていたのでは、痛みで暫く動けそうになかった。
一つ頷いてから彼らを地面に下ろしたシドはぐったりとした黒い塊に興味を示すことなく、進行方向とは別の方角を見て首を傾げた。
「それにしても、主はあちらの方角に別の用事でもあるのか?霧の中心を目指すならこちらの筈だが……」
当初は並走していたはずだったが、この霧のせいでいつの間にか随分と距離が開いていた事に気づくのが遅くなってしまった。
春澄のいる方角をしばし見つめた後、まあよいか、と呟いたシドはまた地を駆けだした。
そうしてまた、空いた手に新たな黒い花束を作るのだ。
モンキーバットが本領を発揮する前に、シドが彼らの闘志を順調に奪っていた頃。
方向感覚のずれた春澄はそれに気づかずに、予定とはずれた場所で四方をモンキーバットと濃い霧が人型になったような気味の悪い塊に囲まれていた。
周囲の霧が不自然に動いていると気づいた時には少しばかり遅かった。最初数体しか居なかったそれは次々と生まれ、今や彼らの隙間からモンキーバットの影が僅かにしか見えない程所狭しと並んでいる。
前も後ろも、横も上も人型の霧に囲まれた春澄の視界は否応なく白で染まった。
B級映画にでも出てきそうな、恐怖感のあまり無い怨霊のような見た目の彼らだが、それはあくまで映画だったらの話。これは画面越しでも何でもない現実だ。ホラーが苦手な者が目にしたら悲鳴を上げ気絶そうな程度には不気味だ。
霧人間の顔面では眼窩のあたりがドロリと溶けたように暗く空いており、闇の向こうから何かが覗いていそうな気さえしてくる。
これだけで十分攻撃になりうる光景に、流石の春澄も眉を顰めた。
「なかなか悪趣味な魔法だな」
春澄が呟くと、チチチっとモンキーバットの得意げな声が聞こえた気がした。
当然ながら関節の無い彼らの動きは実に気味悪く、全身がうねうねと波打つような動きをしており、先の行動が全く読めなかった。波のように漂う相手に、春澄も黒刀を構え相手の出方を待つ。
何も起こらない、生産性の無い時間を終わらせたのは相手の方だった。数体の霧人間がふよふよと吸い寄せられるように春澄へと近づく。まるで攻撃する気の無さそうなその速度に春澄が放つ横なぎの銀の軌道が一閃し、白い塊を切り裂いた。しかし同時に、まるで割り箸に纏わり付くわたあめのように、ふわりと動いた霧人間が黒刀に付きまとう。
それに警戒を高める暇もなく、突然形が崩れた霧人間の中からモンキーバットが飛び出してきた。
咄嗟に黒刀でガードすると、春澄の予想とは少しずれた刀の場所からカキンッと甲高い音がし、モンキーバットの羽と黒刀が交差した。それを軸に回転し、もう片方の羽で切り付けて来るのを首を傾ける事で躱す。春澄の黒髪が数本、はらはらと宙に舞う。
「……へぇ」
また霧の向こうに消えるモンキーバットを見送って、春澄は興味深そうに黒刀を持ち上げた。
霧がまとわりついていても刀としての役割に問題はなさそうだ。しかし、手にかかる負荷が明らかに違う。刀を扱えないわけではないが、いつもと感覚が違うせいで正確な刀捌きにならなかった。
更に霧人間が白い壁を作っているせいで向こう側が見えず、唯でさえ高速な動きを展開してくるモンキーバットがいきなり飛び出して来るのはやりにくい事この上ない。
とりあえずはこの霧人間を刀から外そうと、刀身を覆うように炎を出現させてみた。
するとそれを避けるかのように霧人間が割れる。そして炎を消せばまた黒刀に纏わり付く。
明らかに炎を避けている霧人間に対し、春澄が次に繰り出す魔法属性は一つだ。
「炎幕」
ぶわりと周囲に炎が現れ、霧人間を包み込む。
炎により蒸発するように消えた霧人間達だったが、数秒後に再び現れた。そして霧人間達がゆっくりと動き出し、同じ方向に漂うように回り始めた彼らが次第に速度を速めながら迫って来る。
ゆっくりと圧迫感が強まる空間の中、霧人間の向こうから突然現れるモンキーバットと黒刀が交差しキンッキンッと甲高い音を立てた。
幸い左手には盾があり、一方向からの攻撃が来ないだけでも大分負担は減っていたが、この状態がいつまでも続くのはいただけない。
「これを出来るだけ殺すなってのは面倒な話だな……」
少しなら減らしても構わないかテリアに聞いておくべきだったと、己の情報不足に春澄は少し反省した。今までの冒険者が一匹もモンキーバットを殺さなかったとは考えられない。
何やら先ほどからモンキーバットの攻撃の手が弱まり、思考の余裕が出てきた。突破口を探す傍ら、魔法を使ったせいで疲れているのだろうかと春澄が内心首を傾げていると突然、背筋から手足の末端まで、ぞわりと悪寒が走り全身に鳥肌が立つのがわかった。しかし、何か恐怖を感じたとか、そういった事が原因なのではない。
覚えのある、誰でも当たり前に持っている感覚。端的に言えば寒さだ。
ずっと動き回っているせいで気づかなかったが、周囲の温度が急激に低下していた。よく見れば、霧人間の波打つ手足がこちらへ冷たい風を送るように扇いでいる気がする。
動きを止めれば戦闘で熱くなった春澄の体温も、すぐに奪われるだろう。
先ほどから何回か見ているモンキーバットのねばつくような笑顔が春澄の脳裏をよぎった。
なるほど、と春澄は小さく呟いた。霧人間の目的は目隠しではなく、相手に寒さを与える事。
少しずつ周囲の気温を下げ、同時に獲物への攻撃の手を弱める事で運動量を減らし、寒さで体の動きを鈍らせる算段だ。
たったそれだけの事だが、なかなか馬鹿にできない作戦だった。寒さは確実に体を蝕み、相手から攻撃の速さも正確さも奪うことが出来る。そうして相手がすぐに死なないよう、ゆっくりといたぶる事を好むのだろう。
予測を立てた春澄の耳にタイミング良く、ヂヂッとモンキーバットの機嫌の良さそうな鳴き声が届いた
人間達がモンキーバットを出来るだけ殺さないようにしている事を、彼らはきちんとわかっているのだ。
彼らにとってミストの実に近づいて来る人間は、排除すべき敵であり、自らのこのことやってきたオモチャなのかもしれない。
つまるところ、人間を完全に下に見ているのだ。
唐突に『殺さないように』している事が馬鹿らしく思えてきたが、それでもやはり殺すわけにはいかない。しかし、今までのようになめられたままというのも気に入らなかった。
春澄は自身の腕に括り付けられた盾を見る。そのまま自分の顎を摘まむように撫で、何かを考える仕草をした。
「……ああ」
そういえば、弱くはない敵に対してこちらが一方的に手加減をしなければならない戦いというのはあまり経験がなく、なんだか真面目に対応しすぎてしまった気がする、と春澄は周囲を見渡した。都合の良い事にこんなにも馬鹿がまとまってくれているではないか。
そして一つ頷いた春澄は探索で周囲のモンキーバットの位置を把握すると、魔法のイメージを固め一気に魔力を放出した。
「反転した世界」
突如周囲に水鏡のようなものが出現し、モンキーバットや霧人間をすべて覆う。自分達の姿が映り込み、動揺している隙に水鏡は成長を続け、モンキーバット達を分断するように壁を作っていった。そして完成したのは空中に作られた鏡の迷路のようなもの。
ソレに彼らは閉じ込められる事となったのだが、もちろん出口はある。
モンキーバットの注意が逸れたせいか、霧人間はふわりと霧散してしまったようで好都合だった。
制限された空間の中で、バタバタと自分の姿にぶつかったり慌てる姿は酷く滑稽だった。彼らから見たら鏡だらけで出口などとても見えないが、春澄からしたら鏡など関係なくすべて見えている。
そして通路の中には、彼らが先ほどまで使っていたような不気味な形にはしないが、先ほどのお返しにとびきり冷たい霧を充満させた。
「それから火……だと丁度いい火力が難しいから、熱湯にするか」
心なしか動きの鈍くなったモンキーバットが、バタバタと鏡の壁にぶつかりながら迷路を徘徊している。そのうち一匹のモンキーバットが偶然にも出口に近づいて来た。それを視界の端に収めながら、春澄は一メートルほどの熱湯の塊を浮かせ迷路の出口にくっつけるよう配置した。
そして閉鎖空間から解放されたと勘違いし羽をめいっぱい広げた直後、予期せぬ熱湯にダイブしたモンキーバットが、のたうち回りながらもと来た道へと戻る。
これで暫くは追って来られないはずだ。
きちんと決着を付けなかったせいで釈然としない思いを抱えながらも、春澄は足を進める。本気を出せない相手にいつまでも時間をかけていては仕方がない。
そのまま数分。順調に進んでいたが、先ほどの大群を倒してから何故か攻撃の手がぴたりと止んだようだ。休憩なのか、はたまた作戦でも練り直しているのか。
どちらにせよ、こちらも休憩になって丁度いいかと春澄も一息つき、そろそろシドの位置を確認しようと探ってみると、随分と方向が離れていた。
例えるなら出発点を直角点とし、シドと春澄で他の二点の位置を取った、直角三角形がかたどれそうなほど別方向だ。
いつの間にこんなに距離が離れただろうかと思いつつ、春澄はシドの下へと向かおうと今までの進行方向へ背を向ける。
その瞬間、春澄の腕を何かがかすめて行った。
「……っ!」
焼けるような熱を感じ、一瞬遅れて春澄は自分の腕が切り裂かれた事を悟った。
モンキーバットではない。それどころか、何の気配も感じなかった。
春澄が周囲に視線を巡らせると、地面にナイフが刺さっていた。間違いなくこれに切り裂かれたのだろう。
自分に傷をつけた物の正体を確認したのは瞬き程の時間で、次の瞬間には戦闘準備へ頭を切り替える。モンキーバットではなく、ナイフを扱う敵がいるのだ。
その敵がいるであろう方向を確認しようと体を動かした時だ。
「なん、だ……?」
脳がグラリと揺れた感覚がし、春澄の全身から力が抜け身体が傾いた。




