32.過去1
20分程経ってから移動を促された部屋には円卓があり、短時間では呼べない人物も多いせいなのか空席が目立っていた。それでも15名程はいるだろう。
部屋に入って浴びる視線は実に様々だ。恐怖、侮蔑、憧れ、警戒、好奇。視線の種類でシドをどうしたいのかという派閥までだいたいの想像はつく。
春澄の事も、赤竜をたった一人で倒した青年だと聞いているのか、似たような視線が突き刺さる。
ユキは人化しておらず、ホーンラビットに戻り春澄の懐の中だ。
先ほど国王に、いくら仲間と言えど幼い少女が居れば『場違いにも程がある』と難癖をつけてきそうな人物が居るから不快な思いをするかもしれないと言われていた。 それを聞いたユキが自ら元の姿に戻る事を選択したのだ。
『知らない奴の言う事なんか気にしなくていい』という春澄に、ユキは『シド様が大切なお話をするのに、私の事で余計な騒ぎを起こしたくないです』とやんわり返した。
国王の言葉を聞いた春澄はユキを別室で待たせたり元の姿に戻らせるなど思いつかず、胸中売られた喧嘩は買おうという気概で居たのだが、ユキの大人びた発言は胸にストンと落ち、自分のその考えにひっそりと蓋をしたのだった。
席に着いた時、ふとある人物に目が行った。
春澄達に用意された席から一番遠く、しかし護衛でもなさそうなのに立ったままのその人物に、ディアス王が諭すように声をかける。
「では、すぐ集れる者は揃ったな。……ロドリゲス公も着席してはどうかね?」
「ふん、邪に身を落とした竜と同席など御免ですな。今更そんな竜の話など聞いて何があるというのか。魔族と共にさっさと滅ぼしてしまえばいいものを!」
「ロドリゲス公!口を慎みなさい」
それを聞き、厳しく咎めたのはルーク王子だ。
心のうちで何を思おうと個人の自由だが、赤竜相手にそう口にしてしまうのは勇気か蛮勇か。
それに、ペンタミシア王国の面々の服装と似通っている事から、ルーク王子と共に訪れた人物だと思われるが、自国の王子が決死の想いで真実を聞こうとしているのに、その相手の気分を害するような事を言うのは臣下として如何なものだろうか。
続いて同じくペンタミシア側と思われる、癖っ毛で眼鏡をかけた気の弱そうな男が口を開いた。
「あの、ロドリゲスさんではありませんが、僕も赤竜様と魔族の関係が気になるところでありまして、その辺もお聞かせいただけるのでしょうか?」
「魔族?」
男の言葉に、春澄が疑問の声を上げた。
おそらく、シドに一番近い存在でありながらこの場で一番事情を知らないのが春澄とユキだ。
春澄に視線を向けられた男はビクリと体を竦めてから、おずおずと口を開いた。
「えっと、あの、赤竜様はある日突然ペンタミシア王国を壊滅させ、それを皮切りに魔族が人間を攻めてきた為、魔族を率いた厄災の竜、とされています……」
「ほう、魔族が人間どもを攻めてきたのか」
「とぼける気か!邪に身を落とした厄災の竜め!」
シドのどこか嬉しそうにも聞こえる声に、ロドリゲス公と呼ばれた男が激高した。その様子をシドが見下したように一瞥し鼻を鳴らす。
「真に頭の悪い人間だ。我がお前達に何をとぼける必要がある。『厄災』でも『邪に身を落とした』でも構わん。どうでもいい存在に何と思われようと我は一向に気にはせんというに。……そもそもお前たちは何をもって邪に身を落としたなどと言っておるのだ?我ら上位の竜種は人型の生き物を襲わない守り神のような存在などと思っているようだが、お主等が勝手に作り上げた幻想にすぎぬ。その幻想と齟齬のある存在はそうやって『邪に身を落とした』と決めつけるのか?」
シドの言葉に、何名かがハッとしたように息を飲んだ。
確かに、上位の竜種は人間を襲わないという制約があったわけでもない。
いくら気高いだのなんだのと言われようが、本来『竜』とは魔物だ。むしろ人間を襲わない事の方が不思議であったというのに、この世界の人間はそんな事も忘れていたのだ。
それほどまでに、上位の竜種とは人々にとって別格の存在だった。
そこへ、ルークの声が静まった室内に響く。
「赤竜殿、我が国の者が誠に申し訳ありません。また話が逸れる前に始めましょう。……まず、大前提の確認を。赤竜殿、あなたが過去にペンタミシア王国を壊滅させたのは事実ですか?」
「国の名前までは知らぬが、どこかを焼いたのは確かだ」
「っ……では、お聞かせください。過去にあった事を」
「ふむ……」
さてどの辺りを人間達に話そうか、と考えながらシドは椅子に背を預け静かに目を瞑った。
その昔、数頭の同族と暮らしていた場所を離れ、シドは適当に見つけた山に住み着こうと降り立った。
前の住処はエルフが毎日挨拶に来ては勝手に崇めていたので、そのような存在が居る場所は疎ましく、今度は人里などから離れている場所を選んだつもりだった。
しかし、その場所に降り立ってすぐの頃、一人の女がシドの前に現れた。
その女はシドの姿に怯えることなく、微笑みながら第一声をのほほんと言い放つ。
「あらあら、近くで見ると本当に大きいわねぇ。わたくし、こんな大きな竜さんに会うのは初めて」
彼女の長い黒髪に黒い瞳は、陽の光に当たると僅かに紫に変化した。
闇を連想させる色を持つ女の微笑みは、暖かな陽の下に咲く可憐な花を思い起こさせるものだった。
そういえばこの辺りには美しい花が多く咲いていたな、とシドはぼんやり思う。
「数日前にね、あなたがこっちへ飛んでいくのが見えたの。お友達はあまり近づいては駄目だって言ってたんだけど、わたくしはどうしてもあなたに会ってみたくて」
シドが無言でいると、その女は首をかしげた。
「あら?あらあら、もしかして竜さんは喋れないのかしら?うーん、困ったわねぇ。……でも私が喋れるから問題は無いわよね」
うんうんと首を縦に振って一人で納得した女は、近くの岩に座り込み、一人でまったりと話し始めた。
「ねぇ?そんなに大きな体だと、ご飯はどうするの?なんだか沢山用意が必要になるわよね。わたくし、料理はちょっとだけ出来るのよ。あなたのご飯が足りなくなったら、よかったらわたくしがお料理作りましょうか?あらでも結局竜さんに合う大量のお料理は作れませんね。どうしましょう?」
「…………」
頬に手を当てながら首を傾げたその女は、ふとシドを見上げ立ち上がると、にっこりと笑いながら優雅に一礼した。
「あら、わたくしとした事が、まだ名乗っていませんでしたね。わたくしはイリス・アメジストと申します。イリスって呼んでんで下さると嬉しいわ。皆さんあまりわたくしの名前を口にしてはくださらないの」
「…………」
その後も反応を返さないシドに何を要求するでもなく、彼女はぺらぺらと一人で話すと、日が落ちる頃まで居座っていた。
「あら、もうすぐ日が暮れますね。お友達に怒られてしまうから帰らないと。では、お邪魔しました」
女はまた綺麗な礼を見せると、軽やかな足取りで消えて行った。
それからも女は定期的にやってきては、一人で話をし、きちんと礼をして帰っていく。
最初はまた余計なものが居る場所に来てしまったと思いながらも、エルフとは違う女の態度に、まあ移住は後で考えるかとシドは気楽に考えていた。
だが最初こそ一切の存在を無視していたシドも、何度目かになると一人で喋っている女のほうを見るようになり、更に何度目かになると瞬きをして相槌を打つようになっていた。
その小さな変化に気づくたび、女は大げさに喜ぶのだ。
今までのようにただ供物を持ってきて崇めては帰っていくエルフと違い、その女はシドにとって未知の世界の事を話してくれる、不思議な存在だった。
一体何度目になったのか、ある時『こんにちは』と言ってやってきた女にシドは問いかけた。
「おぬしは何故わざわざここに来るのだ?」
女には友達とやらが既に居ると言っていた。会話がしたいのであればその友達とやらと話せば済む話なのだが、喋りもしない自分のところにわざわざ来る理由がシドにはわからなかった。
初めてシドが発した言葉に、女は酷く驚いた様子を見せ、そのあとふんわりと笑顔を見せた。
「まあまあ!竜さんお話が出来るのね?嬉しい。やっぱりお友達はお喋り出来たほうが、もっと楽しいもの」
「友達?」
「あら?私はお友達だと思っていたのだけど、違ったかしら?私、竜さんとお友達になりたいわ」
「不思議な事を申す。我と友人になどなってどうするのだ」
「もちろんこうやってお喋りするのよ?あたたかな日差しの中で、のんびりお喋り。おやつもあったら最高よねぇ」
シドは楽しそうにする女を見ながら、既に居る友人と話せば良いと助言することも忘れ、自分に向けられた『友達』という単語を反芻していた。
今までシドにそんな事を言ってきた者はいない。暖かな日差しのもと会話をする、というのであれば基本的に外で暮らしていたので同族とそうして過ごした事もあるが、『友人』という関係を当てはめるのには、いささか違和感があった。もちろんエルフなど論外だ。
女の話題は違う事へ移る。
「ねえ、竜さんのお名前はなんていうの?」
「知ってどうする」
「お名前があるなら呼びたいの。でも、教えたくなかったら、無理に聞いたりしないわ」
「……シドだ」
いつも勝手に訪ねてくるというのに、妙なところで気を使ってくる女にシドはしぶしぶ名乗ってやった。特に名が知られて困るという事もない。
気まぐれで教えただけだというのに、女は頬が染まるほどはしゃぎ喜んでいる。
「まあ!シドさんとおっしゃるのね!教えてくれてありがとう、シドさん。わたくしも改めまして、イリスといいます」
「……イリス」
服の裾をつまみ、優雅にお辞儀をするイリスに、聞いたばかりの名前で呼びかけると彼女はまたふんわりと笑った。
こちらの名を教え、相手の名を呼んだだけで何がそんなに嬉しいのかシドには理解できなかったが、身の内の空白の部分に何かが埋まったような、不思議な感覚をほんの少し感じたのだった。
季節が移り変わり、会うたびに女の着衣がもこもこと変化して、また薄手のものに戻って行った頃。
シドはふと、そういえばイリスが尋ねて来ることが不快ではないのは何故なのだろうかと今更ながらに疑問に思った。むしろ、最近はイリスが来ない日はなんだか物足りないような気がしていた。
「ふむ」
「どうしたの?」
なにやら悩んでいる様子のシドにイリスが声をかけた。シドが疑問に思った事を伝えると、イリスは数秒動きを止めた後、隠し切れない期待を瞳に滲ませた。
「もしも……、もしかして、シドさんも、わたくしの事をお友達と思ってくださっていたのかしら?」
「友達?ふむ……」
確かに、以前友達になって欲しいと言われた記憶がある。そしてそれに明確に返事を返した記憶はなかった。イリスの言うように、いつの間にか自分はイリスを友人と認めていたのかもしれない。
「そうだな、そうかもしれん。良いだろう。おぬしが我の初の友人だ」
「まあ、じゃあ責任重大ね」
いくら初めてとはいえ、友人に責任重大も何もないだろう、という言葉は飲み込まれた。
イリスが、あまりに幸せそうに、慈しむような柔らかな微笑みを浮かべていたからだ。
その顔に、ほんの少しだけ寂しそうなものを乗せ、イリスがぽつりと呟いた。
「……わたくしも、本当のお友達が出来たのは初めてなの」
「以前、友人が居ると言っておらなかったか?」
「そうね。それは、他に表す言葉が見つからないからなの。『知り合い』なんて呼ぶのは悲しいし、『仲間』や『家族』と呼ぶには少し距離があるの。前に、皆さんはわたくしの事を名前で呼んで下さらないと言ったでしょう?」
「ふむ、聞いた気もするな」
「皆さんね、わたくしの事を『魔王様』って呼ぶのよ」




