29.魔晶石
本日2話投稿してますので、まだの方は28話から御覧ください。
その日の夜。
春澄は眠りの中にあった意識が、自分の上に覆いかぶさっている覚えのない気配によって浮上するのを感じ、咄嗟に短刀を出し相手の首筋に押し当てた。
普段は寝ていても気配には敏感な方だと思っていたが、相手から殺気を感じないにしても随分と相手が近づくことを許してしまったようだ。
「誰だ」
「やぁだ、そんな怖い顔しないで?」
向けられた鋭い視線にも、当てられた刃物も気にする様子もなく、春澄の上に乗り見下ろしていたのは神秘的な雰囲気をまとった女性だった。
薄暗い部屋の中で、月明かりに照らされほのかに光るように浮かび上がるその美しさは、とても人間が持つものではない。
エメラルドグリーンの波打つ美しい髪と、同色の大きな瞳。ドレスからはみ出すこぼれそうな胸と細い腰。片方だけ入ったスリットからは、陶器のように滑らかな太ももがのぞいていた。
柔らかい雰囲気を醸し出している絶世の美女が、瞳だけは妖しげに輝かせながら春澄を楽しげに見ている。
「誰だと聞いている」
「ふふふ、当ててみて?」
「…………」
「やん、そんな熱い視線向けられたの久しぶりよ?」
敵意は感じないが、食えない雰囲気を纏った人物を、春澄は注意深く観察した。
口調はふざけているが、その瞳は油断ならない者の色を秘めている。
一旦目の前の女から視線を外し、横で寝ているはずの仲間たちを確認する。
すぐ隣ではユキが春澄の服のすそをつまみながら気持ち良さそうに寝ている。向こうのベッドでもシドはぐっすり寝ているようだ。
ひとまず安心した春澄は、もう一度女へ視線を向ける。
「いい加減退かないと蹴り飛ばすぞ」
「もう、ご主人様はいじわるねぇ」
「………………は?」
しぶしぶと春澄の上から退いた女が言った単語に、春澄の口から低い声が出た。
重力を感じさせない動きでベッドの脇にふわりと降り立ち、肩に掛かる髪を優雅に払う女を、春澄は睨みつけるように見た。
「あら、この呼び方は嫌い?」
「好き嫌い以前に理解が出来ないな」
「だぁって、あなたが私を連れてきたのよ?私、あなたの事気に入ったし、ご主人様って呼びたいわ?」
「連れてきた?」
こんな女を連れてきた覚えの無い春澄だが、女が嘘を言っているようにも見えなかった。
「あの沼から私を助けてくれたでしょ?自力で出れなくて困っていたのよ。やっぱり助けてくれた王子様に付いていくのは、女の子の憧れでしょ?」
春澄は鑑定で目の前の女を鑑定した。
「…………風の精霊?」
「あら、女の秘密を勝手に覗くなんて、いけないひとね。そんな無理やり覗かなくてもご主人様が望むなら全て捧げてあげるのに……それとも無理やりがお好きなのかしら?」
春澄は痛む気がする眉間にそっと手を当てた。
こういう話の本筋から遠ざかって話す女は苦手だ。口で勝てる気がしない。
「……勝手に見たのは悪かったから、もう少し普通に話してくれ」
「あら、私はいつでも普通よ?気まぐれで人をからかうのがだぁい好きなの」
「…………お前の本体は、もしかしてこれか?」
可愛らしく首を傾げる女に、春澄は溜息をつくと異空間収納にしまってあった、沼から持ってきた美しい魔晶石を取り出した。
「ええ、そう。それに宿っているのがわ・た・し」
「お前を助けたのはシドだろう?間違えてるぞ」
「でも、あなたは彼のご主人様でしょう?なら私もあなたのモノよ?それに私、おじいちゃんは好みじゃないのよねぇ」
「……何故あの沼に居たんだ?」
「あら、ご主人様は私に興味があるの?」
「質問しているのはこっちだ」
「ふふっ、良いわ。私、自分で本体を持ってあちこち遊びに行ってたんだけど……他の精霊の子がね、あっちに変なものがいるって言うのよ。そう言われると見たくなるじゃない? それで近くまで行ってみたんだけど、突然出てきたものに絡め取られちゃったのよ。気配も無かったし、本当に不覚だったわ」
「自業自得じゃないか。風の魔法は使わなかったのか?」
「ダメなの。石が完全に空気から遮断されちゃうと使えないのよ」
女は困った様子ですらりと伸びた美しい手を頬に当てた。
「ほんと、ご主人様達が来てくれて嬉しかったわ。ちょっとくらいなら本体から離れられるから私は水辺には出られたんだけど、誰かに助けて貰おうにも人は通らないし、この前やっと通った子は私のこと見ると逃げちゃうんだもの。こぉんな美女見て悲鳴上げて逃げるのよ?失礼だと思わない?」
「……なるほど。女の幽霊の正体はお前か」
「あら、なぁに?それ」
春澄が先日の噂を聞かせてやると、女は艶やかな唇を突き出し、拗ねたように言った。
「もぉ!私が幽霊なんて、人間の目ってアンデッドより腐ってるのかしら?」
「化け物が出るとされている沼の付近で浮いている人影を見たらそう思いたくもなるだろう」
春澄はそこでまた軽く溜息をついた。
そして窓の外の月を見ながら話を続けた。
「とりあえず、お前の事は明日だな。セレンに言えばその魔晶石、良い買取先を紹介してくれそうだ」
「まぁひどい!拾った生き物には責任を持たなきゃだめよ?」
春澄は女を無視すると、ごろりと横になった。
そこへ女も春澄の直ぐ横に座り、春澄に覆いかぶさるように顔を近づけてくる。
「……一応聞くが、何してるんだ?」
「あらぁ。体同士での語らいから始まる関係も悪くはないと思うわ?」
「…………なるほど。確かにそれには同意する」
春澄は胸元へと伸びてきた女の手を取った。
状況だけを見ればこれから甘い物語が始まりそうだが、春澄からは甘さとは無縁の気配が漂っている。
そして春澄の鋭い蹴りが、一瞬前まで女がいた場所を通った。
「やぁん、ご主人様、こわぁい。でも残念。そんな制限したような攻撃なんか簡単に当たらないわ?」
女は楽しそうにくすくすと笑っている。その様子は非常に可憐で目の保養になるような光景だが、春澄は攻撃をあっさり避けられて不満顔だ。
だが他人の家であまり無駄に暴れるのも気が進まない。
春澄はおもむろに魔晶石を手にしベッドから降りると、窓を開けた。
振り返り、女へわざとらしく微笑んでやる。
「俺は生き物を拾ったら割と世話はきちんとする。だが、物なら売ろうが捨てようが自由だとは思わないか?」
「…………あら?それは卑怯なんじゃないかしら、ご主人様?」
春澄は魔晶石を氷付けにし、その氷で矢のような鋭い形を作ると、闇魔法でコーティングするようにして溶けにくくした。
楽しげにしていた女の口元が、春澄の行動を見て引きつっている。
そして身体強化と風魔法を使って思い切りそれを沼があった方角まで投げた。
「きゃあ!ほんとに投げるなんて!ご主人様のいけずぅぅー!!」
あっという間に離れていく魔晶石に引っ張られるようにして、女も消えて行った。
『少しなら本体から離れられる』『石が空気に触れていないと魔法は使えない』便利な情報を聞いたものだ。
「よし」
満足げにうなずいた春澄がベッドに戻ると、ユキが上半身を起こし、とろんとした目でこちらを見ていた。
「ん~……はるさま……?」
「悪い、うるさかったか?」
「だいじょうぶです……」
春澄はユキをベッドへ押し戻すと、そっと頭を撫でる。
微笑んだユキが、一瞬にして夢の世界に戻ったのを見届けた春澄も、その横で今度こそ眠りについた。
翌朝、朝食を食べていると、目元を赤くしたセレンが遅れてやってきた。
「おはよう。昨日はすまなかったね。それから、驚くことばかりでろくにお礼も言えていなかった。みんな、本当にありがとう。領民も安心して過ごすことが出来る」
セレンは深々と頭を下げる。
ゆっくりと頭を上げたセレンは、次に春澄の隣に座る少女を見た。
「昨日は魔物の話が聞きたくて気が急いていてね。君の事は気づいていたんだが、しっかり挨拶が出来なかった。君はあのウサギさんだろう?」
「えー!おばさん何でわかるんだよ!」
「嘘だろ?俺。目の前で見たって信じられなかったのに」
ガタリと音を立て、フィルスが立ち上がった。
今朝それを知ったフィルスも、目の前で人化を見たサティウスも、セレンの柔軟な発想に疑問の声を上げた。
「昔、人型の従魔を連れた人に会ったことがあってね。この子は特徴がウサギさんと一緒だったし、何となくわかったよ」
「こんにちは。ユキです」
ユキがペコりと頭を下げる。
「従魔の人化を見たことがあるか無いかで、随分反応が違うんだな」
「そりゃあ従魔の人化は珍しいって言葉じゃ済まされないくらい無い事だからね。いくら人化を見たことがある私でも、魔物討伐に出かけた時にはウサギさんを連れていたのに、帰ってきたら特徴が一緒の女の子になってたなんて状況じゃなきゃ思いつかなかったよ」
「そんなものか。ちなみに以前見たことがある従魔はどんな従魔だったんだ?」
「うーん、そんなに仲がよかった訳じゃないからはっきり聞いたことはないんだが、たしか狼系だったかな」
「へえ」
春澄はなんとなく興味本位で聞いただけだったので、それ以上追求することもなく返事をかえした。
すると話が途切れるのを待っていたかのようにフィルスが話し始め、シドも従魔である事を話すと、さすがにセレンも固まっていた。1人の人間が2人の人化した従魔を従えているのは前例がないようだ。
未だに信じられない想いでいるぞ、と騒がしい兄弟の会話を聞きながら、春澄はシドとユキがきちんと一人で食べられているか気を配るのに忙しかった。
朝食を終え、すぐに出発していった一行の背中を、見えなくなるまでセレンや兄弟が見送っていた。
「追いかけないのかい?てっきり彼らについて行くと思っていたよ」
「うん、一度家に帰ってから追いかけるよ。……なんか、あいつと居ると面白いんだよなぁ」
「俺も!あいつより強くなって負かしてやるって約束したからな!」
「ふふっ。頑張りなさい」
もともとサティウスが冒険者をやっていたのは、沼の怪物を倒すという目標があっての事だ。その目標が達成された今、両親にもう一度話を通さなければならなかった。
「フィルスの剣はうちで預かるにしても、サティウスは折角貰ったんだから、聖銀の剣使ったらどうだい?気分も新しくなったところだろう?」
「……うん、いいかな?俺がつかっちゃって」
「謙虚だねぇ。目標が高すぎるよ。サティウスより低いランクだって、金を持っているやつは実力に合わない高価な武器を買っていたりするよ。君はちゃんと実力を伴っているだろう」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。そうだな、新しい出発として持っていこうかな」
また一つ成長したような晴れやかな甥の横顔を見て、セレンも穏やかに微笑む。
春澄達の後姿が見えなくなると、セレン達は『俺も聖銀の剣使いたい!』と騒ぐフィルスの背中を押しながら屋敷の中へと戻っていった。
お読みいただきありがとうございました。
これからストック作成の為、暫くお休みさせていただきます。
たまに活動報告に現れますので、気が向いたら覗きに来て下さい!壁|ω・)ノ




