26.沼へ
大変お待たせしました。
その後、出発しようとしたところで急に大降りの雨になったと侍女が知らせに来たため、セレンの薦めで魔物討伐は翌日へと持ち越される事になった。
サティウスは出発が延びた事に複雑な顔をしていたが、やはり急に決まったトラウマとの再会が不安だったのか安心したようにも見えた。
フィルスは折角時間が出来たのだからと、春澄に小型犬の如く纏わりつこうとしていたが『そんなに元気なら滞在料として家の掃除でも手伝って行きなさい』とセレンによって引き剥がされ何処かに連れて行かれたようだ。
春澄達も部屋に戻り各々好きなように過ごしていた。
春澄はソファで適当に本を読み、ユキは人型になり春澄に膝枕をしてもらいながらのんびりとし、時折春澄が髪をすくように触れるとくすぐったそうに笑っている。
シドは春澄から服を1人で着られるようにと課題を出され、服のボタンを上手く留める事に夢中になっているようだ。留め終えた後、掛け違えたボタンを見て『む……』と眉をピクリとさせては黙々とボタンを外し、また挑戦し始めている。
そうして外から聞こえる強い雨音を聞きながら、互いに雑談や質問を交わしたりしつつ久しぶりにゆっくりと過ごしたのだった。
大雨は続き、結局青空が見えたのは2日後の事。
晴れ渡る空を不満げに睨むフィルスを置いて、春澄達はサティウスの案内で沼へと向かった。
出発する前に少し離れたところに居た侍女達の会話から『沼』『幽霊』という単語が聞こえたので彼女達に話しかけてみると、どうやら知り合いが沼の近くで幽霊を見たらしい。
沼の近くの道は移動時間を短縮するには便利な為、昨日の雨の中その道を通ったところ女の幽霊が浮いているのを見たのだと言う。
その話を聞いた彼女達は、沼で死んだ女に違いないと噂をしていたところだったようだ。
春澄は討伐の邪魔にならなければどうでもよかったが、サティウスとフィルスは視界のはしで顔を引きつらせて後ずさりしていた。
沼に到着し、約束どおり少し離れた場所で魔物と幽霊を警戒しているサティウスを置いて、春澄とシドは沼へと近づいた。
辺りには木漏れ日と鳥のさえずりが聞こえ、雨上がりの匂いが清々しく感じる。
地面が雨でぬかるんでいて歩きにくいが、魔物が出るなど思わせない気持ちのいい場所だった。
ユキは春澄の懐から顔だけを覗かせて、気持ち良さそうにまったりとしている。
目に入った沼の様子に、春澄達は少しだけ首を傾げた。
想像では泥沼のような汚いものを思い浮かべていたのだが、実際は少し濁っただけの綺麗な水辺が悠悠と広がっているだけだった。
水草なども無く、沼というよりは湖のようだ。だが春澄が首をかしげたのはそこではない。
「随分と水が少ないな」
「ふむ。あの大雨の後でこの水かさだとすると、底の浅さからして住みついている魔物もそれほど大きくないのではないか?」
「……おーい、どうかしたのか?」
サティウスは春澄達の様子から不測の事態があった事を察して不安げな表情をしている。
沼の様子が気になった彼がもう少し沼に近づこうと一歩を踏み出したときだった。
沼から十メートル近く離れているサティウスからは草で隠れて見えにくかったが、確かに何かが春澄へと近づいている事に気が付いた。
それは12年前には目視できなかったトラウマの原因ではないかと感じたサティウスは咄嗟に叫んだ。
「春澄!後ろ!」
サティウスと春澄がそれに気付いたのは同時だったのだろう。
春澄が叫び声を聞いた時には、その場所を確認する事もなく黒刀をその辺りに振るった。
切られたものはべちゃりと音を立て地面に落ちた気がしたが、そこには濡れた地面しか残っていない。
「確かに手ごたえはあったんだが……」
「ふむ、それに気配を感じないとは奇妙な。主は何故気づいたのだ?」
「草の音が不自然だった気がしてな。なのに気配が無いのが逆に怪しいだろ?」
サティウスは春澄が魔物を撃退した事にほっとした顔をしたが、その顔もすぐにこわばった。
辺りの木や草の陰から透明な触手のようなものが無数に伸びてきて、春澄達を捕まえようと四方から襲い始めたのだ。
春澄は黒刀で、シドは手刀でそれらを次々と切り落としていく。
辺りには空気を切り裂く鋭い音と、切られたものが次々に地面に落ちる音のみが絶えず聞こえていた。
しかし切っても切っても次が現れる為、終わりの見えない攻防を繰り返すうちに次第に春澄とシドの距離が離れていく。
サティウスも剣に手をかけ春澄達のところへ向かおうとするが、足がすくんで一歩を踏み出すことが出来なかった。
春澄は触手しか見せない相手の正体を探ろうと探索をかけてみたが、目の前の魔物の反応は示されなかった。
探索は、対象が大きければ示される反応の印もある程度大きくなるが、相手の中心部分である心臓や魔石などがある場所に反応し、それ以外の部分は表示されない。
例えば長さのある魔物の場合、中心部分から離れる尾は反応には示されない事になる。
つまり、今相手にしているものは中心部分から離れているという可能性があるのだ。
春澄は探索で唯一見知らぬ反応があった沼の方を向きながら、離れてしまったシドへと叫ぶ。
「シド、こいつの本体は沼の中だ!」
春澄がそう叫んだ瞬間、沼の中からも触手が現れた。
今まで相手にしていたものよりもスピードが速い。
その対処に追われている間、地面では今まで切り落としてきた触手の一部達が一斉に集まり出していた。
まさか切り落として水のようになっているものが動き出すとは思わない上、相手は気配を感じさせない為、春澄とシドはそれらが足に纏わりつき自由を奪う事を許してしまった。
「つっ…!」
柔らかい物が足に纏わりついたところで少し動きにくくなる程度だと思っていたのだが、肌を焼かれるような痛みに春澄は息を詰めた。
しかし相手は足をゆっくりと確認する暇は与えてはくれない。
シドの方はどうだろうかとちらりと見たが、表情に変化が無い事から痛みをものともしていないか、皮膚が丈夫で本当にダメージが通っていないのかもしれない。
ただ、動きが制限されているのが鬱陶しいようで足元を気にしている。
その隙を突いて、触手がついにシドの腕を捕らえた。シドの体が浮き、沼の方へと引き寄せられる。
「シド!」
春澄の声に反応したように、離れた場所で待機していたはずのサティウスが走り出し、突進するようにシドの腰の辺りにしがみついた。
しかし二人分の体重をものともせず、触手は二人一緒に持ち上げる。
このままでは沼に引き込まれてしまうだろうと感じた春澄が、シドを捕らえてる触手に向けて魔法を放とうとした瞬間、シドに変化が起こった。
シドの背中の服が大きく破れ、そこから立派な竜の翼が生えてきたのだ。
竜型の時のものをそのまま縮小したような深紅の大きな翼がバサリと音を立て、引っ張られていたシドの体が空中で急停止する。
春澄は驚きで魔法の発動を中止してしまい、その一瞬止まってしまった動きのせいで春澄まで捕らえられそうになったが、寸でのところでそれを切り落とした。
「はああぁぁぁ!?何で!?……って落ちっ!」
サティウスも今まで無かった翼が目の前に現れた事に驚き大声を上げ、その驚きと衝撃でシドの服を掴んでいた手をうっかり離してしまった。
しかし下の沼に落ちる前に、今度はシドがサティウスの腕を掴む。
「あ……さんきゅ」
「……」
腕に絡み付いていた触手はサティウスを掴む前にシドが自分で切ったらしく、シドはそのまま上空へ飛びあがった。
あまり高いところまでは追ってこれないのか触手は一定の高さでうねうねと待機している。
上空から眺めるその光景は非常におぞましく、サティウスは顔を引きつらせた。
春澄にとっては巨大なイソギンチャクに見える珍しい光景程度だったが、サティウスは幽霊やこういった正体不明のものが苦手なようだ。
「斬裂く旋風」
春澄は先ほどシドの方へ放とうとした風魔法を改めて自分の周りに発動すると、触手は一旦バラバラに切り刻まれて地に落ちた。
次の触手が来るまでのその僅かな隙に『飛翔』で浮かびながら、足を外側に振るようにして遠心力で足に纏わりついたものを払い、足の状態を確認し眉をひそめた。
(気持ち悪いぐらいにただれてるが、まあ今はいいか。それよりも……)
肌が空気に触れ、ヒリヒリと焼け付くような酷い痛みがあるが、何とか我慢出来るものだ。そのまま高度を上げ、シド達と合流した。
「シド。格好良いなその翼」
「む、そうか?」
「おい、合流して一言目がそれって!確かに気になるけどさ……それより下見ろよ」
春澄がシドの翼を羨ましそうに見ていた視線を沼の方へ向けると、木々の陰から出てきた触手たちがふよふよとしながら沼の方へと集まり、一つになろうとしていた。
「あのさ、うすうす感じてはいたけど、まさか沼事自体が魔物とか言わないよな?」
「そうみたいだな」
「ありかよそれ!?魔物の正体が沼とか聞いたことないぞ!」
眼下では既に一度沼にしか見えない状態まで戻った『沼』が、さらに集まるうちに沼の敷地へ納まりきらないものがつみあがり、水がふんわり膨らんでいるという不思議な光景を生み出していた。
その様子はあまり美味しくなさそうな巨大水饅頭にも見える。
「ああ、もしかして最初木に隠れていたのは、獲物の不意をつく為というよりも水かさが増えすぎて沼に見えなかったから分裂してたのか。……シド、お前ならこれどうする?」
「ふむ、なにしろ我も沼と戦った経験がないものでな。わからぬな」
「ま、そうだよな。俺もだ」
「お前ら落ち着き過ぎじゃねぇのかな!?」
サティウスは叫んだ反動で体が大きく揺れ、慌ててシドの腕に掴まりなおした。春澄は腕を組みこの魔物について考える。
探索を使えば出た反応は大抵○○系など表示されるのだが、今回は何故か『不明』と出るだけだった。探索でこんな結果が出るのは初めてである。
もしこの沼自体が魔物だというのであれば、どこかに魔石があるのだろうからそれをどうにかしなければならないが、どのようにしてそれを壊すか。
そんな時、シドが気になる事を言い出した。
「主よ。なにやら覚えのある魔力を感じるぞ」
「覚えのある魔力?」
「主の探し物だ」
「!」
その言葉に僅かに目を見開いた春澄は指輪を確認した。
王都で確認した時に示されたのは、道中で見つけた隠蔽された物の事だと思っていたが、まさかまた同じ方向でこんなに近くで見つかるとは思っていなかった。
指輪の反応だけなら例の欠片とは限らないが、シドが言うのだから間違いないだろう。
「この沼の下にあるのか?」
「いや、どうやらこの沼が取り込んでしまっているようだな。それから他にも微弱な魔力をまとった生肉のようなものと、なかなか高い魔力を持った緑の魔石のようなものが見えるな」
「なんだそれは」
魔力をまとった生肉。想像したら実に不可解な存在だ。
春澄は欠片が沼に取り込まれてしまっているという事実よりも、魔力をまとった生肉を想像して口元が僅かに緩んだ。
春澄の目からは見えないが、シドの視力はずいぶんと良いようだ。
「とりあえずこいつに物理攻撃は効かないようだから、多分その緑の魔石を壊せばいいんだろう。元が沼なら中を泳いで行けたら、と思うと楽なんだが……」
「主のその足を見るに、なかなか危険な賭けではあるな」
「あのさ……生肉みたいなやつってさ、赤身の肉と白の脂身に見えるのが層になってる感じのやつか?」
春澄とシドが軽口を叩いていると、下のほうからサティウスが怪訝な顔をしながら話に入ってきた。
「うむ、いかにも」
「それってさ、スライムの魔石の特徴なんだよな……」
「……スライム?」
ここで出てきた意外な魔物の名前に、春澄が不思議そうに言い返し沼を見た。
スライムというのは身体が透明で魔石がどこにあるのか丸見えの、狙って下さいと言わんばかりの魔物だ。
その生態は謎も多いが、確かな事は魔石が生肉のように暗めの赤と白で出来ており、餌と勘違いして喰らい付いて来た獲物を逆に取り込んで溶かしてしまう恐ろしい魔物なのだ。
人間に対しては罠の効果が発揮されず、初心者の狩りにはうってつけの魔物とされているが、他の生き物にとっては餌と思い食らい付いたら逆に顔に張り付かれたり、あるいは口にすると体内から溶かされてしまうという罠のような存在だ。
ただし気配が無い為、人間も油断をしていると木など頭上から落下してきたスライムに襲われる事もあるので注意しなければならない。
この沼の大きさを見てしまうとありえないと思うが、あの自由な動きだけをみれば確かにスライムといえるかもしれない。
それなら春澄達の足に纏わりつき皮膚を溶かそうとしていた能力も納得だ。
「ふむ。そうなると元々はスライムがあの欠片を偶然取り込み徐々に強くなったが、沼に落ちたか必然的に接触したかで沼を取り込んでしまった、という仮説が立てられる。そうなると緑の魔石は……今まであやつに取り込まれた人間が持っていたものであろうか」
「さっきも思ったが、魔物が魔石を取り込む事はよくあるのか?」
「通常魔物が他の魔石を取り込むことは無い。前例が無いわけではないだろうが、取り込んだところでたかが知れているし、多く取り込めるものでもないからな。だが主の探し物はあの小ささで異常な魔力を持っておる。いくら知能の低い魔物といえど興味惹かれるだろう。それを取り込み力を得た事により、さらに他の魔石を取り込めば力を得られると味を占めたのかもしれんな」
「なるほど」
どちらにしろ、春澄がやっていたゲームにはスライムは登場しなかったので、スライムだろうと沼だろうと倒し方はわからないままだ。
だが春澄は強い敵と戦うのは好きだし、面白い敵だとは思った。 先ほどのようにループするような展開は飽きてしまうが。
春澄は少し考えて、神妙な顔で沼の方を見ているサティウスに声をかけた。
「……サティウス、お前はどうする?」
「へ?」
「せっかく来たなら参加するか?しないならシドに少し離れたところにお前を降ろして貰うが」
春澄の問いかけに、トラウマに立ち向かうのかしないのかという意味を読み取り、サティウスはこくりと喉を鳴らした。
先ほどは昔と同じことは繰り返したくないと、沼に取り込まれそうになったシドを咄嗟に捕まえるために足を動かしたが、実際に自分で立ち向かう事を想像すると背筋に冷たいものが走る。
しかし、この機会を逃せばもうチャンスは来ない。恐らく春澄達はこの沼スライムを倒してしまうだろう。
サティウスはゆっくりと口を開いた。
「参加、しても良いのか?」
「メインは一つだが、一応目標物は人数分あるみたいだしな」
「足手まといになるかもだぞ」
「出来なければ俺がやるだけだ。一回くらいは助けてやる」
「ははっ、なら失敗しても大丈夫だな」
何となく肩の力が抜けたサティウスは、口元に微笑を浮かべる。
サティウスから参加の意思を聞き、春澄はシドに欠片と魔石の大体の場所を聞いた。
「じゃあこれを3等分にするぞ。サティウスは生肉、シドはもう一つの緑の魔石担当な」
「え、3等分ってなんだ?」
サティウスが不思議そうに聞き返していると、下では沼の外側の三箇所から中心へ向かうように土の壁が盛り上がり、沼を切り分けるようにして中心で合わさると、見事に沼が三等分されていた。
その見たことの無い出鱈目な威力の魔法にサティウスは口をぽっかりとあけている。
すみません。27話も同時に上げたかったのですが、間に合いませんでした・・・
活動報告にも書きましたが、話のストックが欲しい為、28話までアップしたら勝手ながら暫くお休みさせていただきます。
すみませんが、お待ちいただけると嬉しいです。




