19.新しい手がかり
長く思える時間が経ったが、恐らく数十秒だろう。
辺りに舞っている土ぼこりが落ち着くのを空中で待って、春澄は赤竜の顔のそばへ降り立った。
「生きてるか?……最後のはちょっとやりすぎたか…」
『………我が地に落とされるなど、初めての事だ……人間よ……』
「言葉が通じるのか!」
竜がまだ息をしている事をわかった上での、答えを求めない問いかけだったのだが、思いもよらない返答に春澄は思わず眼を見開いて声を上げた。
離れた場所では赤竜を死んだものと思った騎士達の歓声が上がっていたが、その声がぱったりとやんだ。
『…………他の生物の言葉を理解するなど……我には造作も無いことだ』
「今まで何故話さなかったんだ?まさか会話が出来るとは……」
『………ふん…人間なんぞに聞かせてやるほど…我の声は安くは無い…』
春澄はいつもの無表情ながら、目だけは嬉々として輝かせいろいろ聴きたそうにしているが、赤竜の方は力なく目を瞑ってしまった。
『………まさか始祖竜である我が人間に負けるとは…さぁ人間、いつまでも止めを刺さぬのは、あまり感心せんぞ……』
「始祖竜?いや、今はそれよりも、ちょっとこれ飲んでみろよ」
既に死を覚悟し催促された止めを無視した春澄は、異空間収納から小瓶に入った桃色の液体を出し、牙の間から赤竜の口に流し込んだ。
少し離れて赤竜の傷口を確認した春澄は困ったように首を傾げる。
「んー、効いてないのか?」
めげずにまた次の小瓶を取り出し、流し込む作業を何回も繰り返す。
春澄の足元ではビンの小山が出来始めていた。
『………人間…先ほどから何をしている…』
「何って、霊薬を飲まそうとしてるんだが、竜には効かないのか?ホーンラビットには下級回復薬は効いたんだが…」
『霊薬…?そんなもの…我に飲ませてどうするのだ………』
先ほどまで命のやり取りをしていたはずだ。なのに急に気楽な雰囲気を醸し出し、霊薬を無理やり飲ませようとしてくる春澄へ、赤竜は戸惑いと怪訝を混ぜたような目を向ける。
そして一番反応したのは、少し離れた所で事の成り行きを見守っていた騎士達だ。
「おいっ!ちょっと待ちなさい!!」
「ソレに霊薬を飲ませるなど、何を考えているんだ!」
突然現れた不思議な青年が赤竜と対等に、いやそれ以上に激闘をかわし、見事に勝利した所を目撃した彼らは、救世主が現れたぞと浮き足立っていた。
その救世主が何故か霊薬などと、飲めば失った手足すら生えるという、一本で城が建つような代物を何本も赤竜に飲ませ始めたのだ。正気の沙汰とは思えなかった。
そして自分達の敵である赤竜を回復させようと言うのであれば、それは阻止しなければならない。
「それ以上薬をその竜に飲ませる事は私が許可しない!その竜はこちらに引渡し、君は下がりなさい!」
おそらく騎士や魔術師を纏めている責任者なのだろう。他の騎士より高価そうなもので身を固めた50代ほどの騎士が、部下を引き連れ歩いてくる。
「ソレは厄災の竜だ。邪に身を落とした竜はこの場で始末しておかなければならないのだよ。ソレの危険性は、戦った君ならよくわかるだろう?」
騎士が自分の髭を撫でながら、赤竜の方を睨みつけた。
(さっきから始祖竜だの、厄災の赤竜だの、邪に身を落としただの、事情がよくわからないな)
この世界の竜について良く知らない春澄には事情がさっぱりである。
その危険な竜を倒してしまった青年を前に、剣に手をかけながら近づいてくる騎士達の表情は硬く額には冷や汗が滲んでいる。しかし彼らはここで引き下がるわけにはいかないのだ。
春澄の強さももちろん目にしているが、同じ人間である春澄よりも、敵である赤竜の方を危険視するのは当然だろう。
だが春澄は種族が同じだとか、それだけの理由で優先順位を決める性格ではなかった。
その集団を一瞥すると、春澄は黒刀を取り出し彼らへ向けて横に振り切った。放たれた衝撃波が彼らに当たる前に地面を抉る。
「なっ!!」
「一体何の真似だ!!」
「………私が許可しない、ね」
騎士達の足元にはまるで何かの境界線を表すかのように、一本の鋭い切込みが入っていた。
同時に春澄から放たれる冷ややかな殺気を感じ取った騎士達は、息をする事も忘れて凍りついた。
「俺がこいつと戦い、俺が勝った。こいつをどうするかは俺とこいつが決める。……これ以上邪魔をするならその線を越えた時点で切り捨てる」
暫く蛇と蛙のようなにらみ合いが続いたが、小指すら動かすことの出来ない彼らに興味を無くした春澄は再び赤竜の方へ振り返った。
その途端嘘のように殺気が無くなり、開放感で崩れ落ちた騎士の何人かが、運命を分ける線を越えそうになり慌てて後ずさったが、それを笑うものは居なかった。
「さて、待たせたな」
『ふむ…面白いやり取りを見せてもらった…』
僅かだが赤竜の目に楽しげな色が滲む。
「さっきの答えだが、お前を死なせないようにする為に決まってるだろ?普段のお前なら時間をかければ回復しそうな印象はあるが、封印から起きたばっかりで本調子じゃないようだしな。効くなら薬があったほうが良くないか?」
『…愚かな人間よ………我が回復したら次は我が勝つかも知れぬ。…それとも何か望みでもあるのか…?』
「なら俺も手段を選ばず全力を出すから問題ない。望みは…そうだな、たまに対戦出来る友達が欲しいってとこかな」
『友達…だと………?我と友人になりたいと申すか』
「最近なかなか強いやつに出会えなくてな。たまに手合わせ出来たら嬉しい。でも、竜と人間ってやっぱ仲悪いのか?お前があんまり人間を襲うようなら俺も滞在してるとことか荒らされたら困るし、ちょっと考えなきゃならないんだが…」
『クククッ………フハハハハハッ………!!』
春澄の言葉を聞いてるうちに、腹の傷が響くのか赤竜が少し苦しげに、だが心底楽しそうに笑い声を上げた。
『……我と友人になりたいと申したのは、おぬしで2人目だ。………何とも清清しい強欲さ…確かに我は本調子ではなかった。だが戦いと言うのは、時に、優劣よりも運や相性がモノをいう。……我は負けた。故におぬしの望みを叶えよう』
赤竜が何かを飲み込む仕草をすると途端に深紅の体が淡く光り、傷があっという間に塞がった。当然落とされた指も治っているようだ。
そして最初に聞いた重低音のような高音のような、不思議な音色で再び咆哮を上げた。どうやら体が楽になって歓喜で満たされるとそのような声が出るらしい。
「何だ…もしかして効かないんじゃなくて飲みこんでなかっただけか?」
『当然だ。我は得体の知れぬものは口にせん』
「………あれ結構高いんだが」
結構どころではない代物の無駄遣いを少し残念そうにしただけの春澄を、なんとも形容しがたい表情をした外野が全てを諦めたような眼で見ていた。
『では魂の契約を始めよう。主よ、血を少々出せ』
「は?何の話だ?」
『相手を裏切らぬという誓いのようなものだ。我は負けた。そしておぬしの望みを叶えると誓った。我はおぬしと共に行こう』
「それって、人間で言うとこの従魔契約とは違うのか?つか、その巨体で付いて来られても困るんだが………」
『ふむ、あのような脆弱な契約と違いこれは神聖な契約ではあるが、そのような認識でもよかろう。案ずるな、魂の契約を済ませれば、我は契約者と同じ形を取ることが出来る。故に場所には困らぬ』
「へぇ…」
『脆弱』と『神聖』の間にどんな違いがあるのかは分からないが、従魔契約という事で良さそうだ。
もしゴブリンと契約したらゴブリンに変化するのだろうか、と気になったが口には出さない。
竜の人化に非常に興味を引かれてうっかり頷きそうになったが、まだ確認する事があると思い留まった。
「お互いにデメリットは無いのか?裏切ったら死ぬだとか、寿命はどうなる?」
『それは主が決めるのだ。契約者は自身に不利な条件を付けたりはしないが、我が裏切った場合、死をもって償うか、翼の一本で済ませるのかなど自由にするがいい。寿命に関しては、我が死んでも主には影響は無いが、主が死ねば我も殉ずる』
「お前だけデメリットありまくりじゃないか?」
『かまわぬ。一度負けたこの命、既におぬしのモノ…我が裏切ることはないが、もし死を迎えたとて悔いは無い』
美しい金が、春澄を真っ直ぐに見つめる。それを受けて春済は漸く頷いた。
「わかった。人型のお前と対戦するのも面白そうだしな」
少し前に赤竜が言った『優劣よりも運や相性』と言うのは此処にもある。
戦闘において、巨大で丈夫な竜は対大人数にこそ真価が発揮される。
一方春澄のように竜にダメージを与える程の力をもち、俊敏性もあり、さらに空中戦も出来るとなっては赤竜には分が悪かった。国を相手どる方が容易いだろう。
春澄は指先に傷を付けると赤竜の方へ差し出した。赤竜も自身の指先を噛み切り血を出すと、そっと春澄の血と合わせた。巨大な指と小さな指が合わさる。
『おぬし、名は?』
「春澄だ」
『では春澄殿。おぬしを主と認め、裏切らぬ事を魂に誓おう。主よ、我が裏切った場合の制約を唱えよ』
「じゃぁ、一日飯抜きな」
『………フッ、フハハハハっ!了解した。一日飯抜き、甘んじて受けよう。では我の名を呼べ主。シド、と』
「シド。これからよろしく」
春澄が名を呼ぶと、痺れる程度の電流が全身に走ったような感覚がして、最後に心臓に集まると吸収されるように消えて行く。
シドとつながった感覚がし、シドが楽しそうなのが伝わってきた。
そして赤い光がシドの体の周りを渦巻くようにして取り囲み、次第に濃くなる光がその姿を隠していく。渦巻きながら徐々に圧縮されるようにして小さくなったそれは、春澄より一回り大きいくらいで止まりブワッと熱風と共に光が飛散した。
中からは一人の美青年が現れた。
赤竜の鱗と同じような輝く深紅の髪を腰まで伸ばし、切れ長の金色の目をした、身長185センチ程の人外の美しさを持った青年だ。
ただし素っ裸のまま、シドは人化した己の手を握ったり開いたり、飛び跳ねたりして遊び始めたせいで威厳も何もあったものではない。
春澄は少し考え、濃紺色の中華服の様な物を出してやった。
「シド、遊ぶ前にこれ着ろ」
「む、そうだな。人間は服を着るものだ。ありがたく貰おう」
そう言って服を着始めたのだが、馴染みがないせいなのか何時までたっても完了しない。見かねて春澄が手伝ってやることになったのはご愛嬌だ。
しっかりと服を着たシドを見ると、服を着ているのと着ていないのでは随分と印象が違うものだ。
いや、もしかしたら服を着ないでも威厳はあったのかも知れないが、温泉や水場でもない野外で素っ裸で遊ぶという異常性が春澄の目を曇らせたのかもしれない。
慣れない体にはしゃぐ気持ちもわかるので、仕方ないかと春澄は肩をすくめる。
そこでふと、何となく指輪の事を思い出し、手を持ち上げた。
そういえば元々これの為に同じ方向の依頼を受けたんだったなと思いながら、指輪の色を確認した春澄の目が僅かに見開かれる。
指輪の示す色は赤く、反応がすぐ近くにある事を示していた。僅かに斜め右の方に反応があるようなので、辺りを見回しながら探すがそれらしきモノは見当たらない。
いや、本当は見えない原因を知っている。面倒くさくて現実逃避をしていただけだ。
「これを退けるしかないのか…」
壁際やそこかしこにどっさりと詰まれた岩や土の山。抉れた地面。戦闘の名残である。この場所が反応を示すと知っていればもう少し大人しく戦ったのだが。
土魔法で地面を波打たせるようにして残骸を端に寄せようかとも考えたが、それで万が一魔法陣を壊してしまっては元も子もない。
風魔法でどけたりするのも力加減を間違った時の事を考えると、やはり素手でやるのが無難だろう。
(つーか既に壊れてるだろ…)
絶望的な状況だが、春澄はわずかな望みをかけてさっそく仲間になったばかりのシドへ協力を頼むことにした。
少し離れた所で自分の髪を引っ張ったり、頬をつねってみたり、地面をばたばたと踏んでみたりと急がしそうなシドを呼ぶ。
「シド」
「なんだ、主よ」
「早速手伝って欲しいんだ。この辺のどっかに変な魔法陣があると思うんだけど、壊さないように素手でこれをどけて探してくれないか」
「魔法陣……ふむ。それならばあれの事だろう」
シドはすたすたと迷いなくその場所へ向かうと、無造作に岩などををよせ始めた。
「む、やはり人化すると力が落ちるな。少々重さを感じるぞ」
片手で3メートルはある岩をひょいっと投げながら、どこか楽しげに呟いている。
やがて地面が見えると得意げに新しい主を振り返った。
「主よ、これであろう?」
「おお!ありがとう。無事だったか……すごいな、なんで場所がわかったんだ?」
「こやつからは何とも言えぬ魔力が溢れ出ておるからな。多少土塊に埋まったところでその魔力を感じる事はたやすい。そもそも我が目覚める事が出来たのはこれのお陰なのだ」
「……どういうことだ?」
「うむ。あれは何ヶ月前だったか…何十年前だったか…」
題名が全く思い浮かばなくて困ってます。




