15.道案内
翌日、春澄は寝心地の良い布団で何時もより遅めに起きた。
隣でまだ気持ち良さそうに寝ているユキを起こさないように、部屋の空いているスペースでストレッチや自主トレーニングを済ませる。
この宿には食堂というものがないらしく、朝食は再び部屋に運んでもらった。
その匂いに釣られて起きたユキと食事を済ませた後、買い物をする為すぐにチェックアウトをして外へ出る。
時刻は9時頃。既に沢山の人で賑わった通りを適当に歩いてみたが、春澄の目当てのものは見つかりそうになかった。
春澄は丁度、一つの店の前で立ち止まっている青年をに声をかけた。
「なあ。突然悪いんだが、地図を売ってる店を知ってたら教えてくれないか?」
「地図?うーん、あの赤い屋根の店が旅道具を扱ってるから、多分売ってると思うよ」
「わかった。ありがとう」
青年が指差したのは100メートルほど離れた店だ。しかも春澄が今通ってきた方向のだ。
やっぱり外から見てるだけじゃよくわからないな、とぼやきながら、元来た道を戻る。
その店に着いてみると、寝袋やテントなど、確かに旅道具を扱ってるらしかった。
入り口近くにあるレジでは、まだ年齢が二桁に満たないくらいの少女が立ったり座ったり落ち着かない様子で店番をしているのが見えた。
あんな小さな子が一人で居て防犯はどうなっているのだろうかと、少し眉を顰めつつ少女に近づく。
「なぁ、地図が欲しいんだけど売ってるか?」
「あ!地図?大陸地図と国内の地図があるよ」
「じゃあ両方くれ」
「うん!ちょっと待ってて」
春澄が声をかけると、少女は大きな瞳を嬉しそうに輝かせた。
まじまじと春澄を見ていたが、仕事はきちんとこなすようで、高い位置で2つに結んだ栗色の髪を揺らしながらぱたぱたと走って行く。
暫くして緊張した面持ちで薄い冊子を2冊持って来た。
「お待たせ!これで良い?」
「ああ」
「じゃぁ、えっと…………………6000ペルです」
小銀貨を6枚渡してやると、仕事の達成が嬉しいのか少女は満面の笑みを浮かべてそれを受け取った。
「ありがとうございました!あのね、レチカね、今日初めての店番なの!お兄さん初めてのお客さんなの!」
「…そうか、頑張れよ」
「うん!」
頭に手を載せてやると、レチカは誇らしげに笑った。
ふと視線を感じて店の奥の扉を見ると、薄く開いた隙間に目が縦に6つ並んでいた。
店の者か家族あたりがレチカを心配して様子を窺っているのだろう。心情は微笑ましいが、その光景はちょっとした恐怖を誘う。
それを作り出している彼らに春澄が不審者を見る目を向けると、扉が慌てて閉じられる。
どうやら最初に心配した防犯面は問題無さそうだと自己完結した春澄は『また来てね!』という元気の良い声を背に他の店へ向かった。
それからあちこち歩いて日用品を買い、最後に辿り着いた市場の屋台などで味見をしてから気に入ったものを大量に買い込む。収穫に満足した春澄は漸くギルドへ足を向ける事にした。
適当に歩いていたせいで現在地が分からなくなったが、一度通ったところを自動で記録する地図という常時発動型スキルがあった事を思い出し、それを頼りにギルドへ辿り着く事に成功した。
中に入った春澄はカウンターに見知った顔を見つけてまっすぐに向かう。
「テリア」
「春澄様。おはようございます。昨日はお疲れ様でした」
「ああ、長い時間つき合わせて悪かったな」
「いいえ!とても素晴らしいものを見せて頂きました。仕事も忘れて思わず見入ってしまいましたもの。……それに彼らも悪人というほどでは無いのですが、最近やんちゃが過ぎたようなので良い薬になったと思います」
テリアは、半分は自分の興味を優先させただけだったので、改めて謝られてしまうと居心地が悪く、少々早口になった。
「こほんっ。それで本日はどうなさいましたか?」
「依頼を何か受けようと思うんだが、選ぶの手伝ってくれないか?」
「私がですか?」
テリアが不思議そうに声を上げた。
下位ランクの冒険者であれば受付嬢にどんな依頼が良いか相談する事もあるし、上位ランクの冒険者にもおススメを聞かれたりもする。
その為、依頼の相談されるのは慣れてはいるが、春澄はそういうものはさっさと自分で決めそうに思えたので、相談を受けた事を意外に思ったのだ。
「土地鑑が無くてな…えっと、あっちの方向に行くんだが、何かついでに依頼があればと思って」
春澄はちらりと指輪を確認し、薄っすら赤くなっている方向を指差した。
「あっち…ですか。少々お待ちください」
土地鑑が無いという言葉に納得したテリアだったが、建物内から指で方向を示す春澄に再び戸惑った顔に戻る。
しかし暫く考えると、手元で何か操作して、何もない空間を見つめ始めた。
(こっち側から見えない、パソコンみたいなものでもあるのか?)
異世界だしな、と春澄が勝手に納得していると、テリアが作業を終えたようだ。
「お待たせしました。春澄様が行かれる土地の名前や距離はおわかりになりませんか?」
「悪い、実際に行ってみないとわからないな」
「でしたら、近い順でいくつか挙げますね。まずはF『ネクネク草30束』、……D『コナス森林までの護衛・往復で』、D『ダート村付近のポイズンタイガー討伐』……B『ミストの実・数問わず』………」
テリアは依頼を10個ほど次々と述べる。その中に春澄が気になっていた名前があった。
「気になってたんだが、ミストの実って何なんだ?」
「ご存じありませんか?見た目は少し透き通った白くて丸い一口サイズの果実なんです。口の中に入れると実がはじけてたくさんの小さい粒になって、その小さい粒がまたはじけて、長い間食感を楽しめる甘酸っぱい果実なんですよ。慎重に取らないと外側の膜がすぐにはじけてしまうので、なかなか完全な状態での入荷が難しいんです」
そう言われ、昨日城で出された正体不明だった食べ物を思い出す。
(だからあれだけスプーンに乗ってたのか)
おそらく食べる時に手で摘んでしまったら、すぐに割れる恐れがあったのだろう。うっかり触らなくて良かったと春澄は自分を褒めた。
残念ながら食べる前にグレンが迎えに来てしまったのだが、そのうち是非とも食べてみたいものだ。
「でも、それだけの理由でBランクの依頼なのか?」
「ミストの実は実だけじゃなく、木やその環境にも問題があるんです」
「というと?」
「ミストの木は群生する習性があるので大抵まとまって200本以上あるんですが、その葉からは常に霧が発生しています。その霧は一kmにも及び、とても視界が悪くなるんです。その上、ミストの実を好むモンキーバットが守人のように何匹も生息しているので、非常に危険かつ難しい依頼となっています」
モンキーバットとは蝙蝠と猿が合わさったような真っ黒の魔物だ。
刃物のようになっている羽を使い、目で追えないほどの飛行速度で襲ってくる。
気づいた時には体のいたる所がカマイタチを受けたように深く傷がついており、当たり所が悪ければ出血多量で死に誘われるのだ。
「なるほど。…じゃぁ今回は『ダート村付近のポイズンタイガー討伐』にするかな」
「あら、ミストの実は受けないんですか?」
テリアが首を傾げ、悪戯っぽく笑った。
「ギルドに登録したばかりで失敗するのは嫌だからな。どれだけ実がはじけやすいのか、先に一度触ってみたい」
「ふふ、モンキーバットの心配より実が取れるかどうかを気にされるんですね。でも残念です。これ、たまに贅沢して私も食べるんですけど、希少な分値段も馬鹿高いのに出回るとすぐに売り切れてしまってなかなか手に入らないんです。爽やかで食べやすいので、おもてなしにも食欲の無い病人にも好まれていて、かなり人気のある果実なんですよ。今度是非受けて下さいね」
「そうだな、そのうち受ける」
「ええ、お願いしますね」
楽しそうに笑うテリアにギルドカードを渡す。
「では『ダート村付近のポイズンタイガー討伐』ですが、討伐証明部位は尻尾です。一応昨日お渡しした冊子をご確認ください。依頼の期限は本日より2週間。期限までにギルドに報告をお願いします。何かご質問はありますか?」
「地図を買ったんだが、ダート村ってのはどの辺にあるんだ?」
春澄が先ほど買った地図を取り出しカウンターに広げると、テリアは身を乗り出し覗き込むように地図を見た。
「この地図ですとダート村の名前は書いてありませんね。……この、川が二股に分かれているところの右隣にありますから覚えておいて下さい。馬車で2日くらいの距離ですね」
他にもテリアは、この街道を通って行けば良いとか、この辺りは魔物が出やすいからあまり通らない方が良いなどの補足もしてくれた。しかし、方向音痴の春澄がその情報を活用できるかは定かではない。
「わかった、ありがとう」
「いえ、ではカードをお返しします。道中も気をつけて下さいね」
「ああ。テリアも気をつけたほうが良いぞ」
「え?」
カードを受け取りながら春澄がサラリと言った言葉に、テリアが不思議そうに首をかしげた。
「その服を着ている時は姿勢に気をつけたほうが良い。かなり見えてたぞ」
春澄がトントンと指で自分の胸元を叩く仕草をする。
忠告の意味を理解したテリアは首まで真っ赤になり、反射的に胸元をぎゅっと握った。
ギルド職員は決まった服装が定められていないので、派手過ぎなければ基本的に自由だ。
今日は少し暖かかったので、テリアはいつもより襟ぐりが開いている服を着てきたのだ。
大抵座りっぱなしである受付け嬢のテリアは、地図を覗き込むというめったにない姿勢に胸元を気にすることを忘れてしまっていた。
「なっ……み、見えっ……!」
見たことを抗議すれば良いのか、忠告に礼を言うべきか。羞恥心で埋まった頭で迷っているうちに、春澄はさっさとギルドを出て行ってしまった。
少しして落ち着いてくると、涼しい顔で何でも無い事のようにさらりと忠告してきた先ほどの春澄の表情を思い出し、次第に羞恥心より不満の感情が浮かんできた。
「ちょっとくらい、意識してくれないと悲しいんですが…」
テリアが小さく呟いた言葉は丁度後ろを通りかかった職員の耳に入り『あのテリアが恋わずらいか!?』とギルド職員の間に広まってしまう事となる。
そのせいで何人かが涙を流す騒がしい事態に発展し、テリアは噂を消すのに苦労するのだった。
ギルドから出た春澄は、村へ行く道に出やすいと聞いた北東門へ向かった。
門で初めて体験する身分証確認では、Cランクと言うのを目にした兵士が少し背筋を伸ばしたのを見て、冒険者ランクの影響力と言うものを春澄は実感しつつあった。
それから村への道半ばまで奇跡的に正しく進んでいた春澄は、今初めての難関に、決して勝ち目のないにらみ合いをしていた。相手は地図だ。
目の前には道が4本、しかし春澄が見ている地図には2本しか道がない。
これは決して春澄が間違っていたとか地図が古いとか安物だとか言う訳ではない。
あまり使わない道は地図上では省かれる事があるせいなのだ。
「よし、こっちに行くか」
方向に関してはあまり良くない勘を働かせた春澄は、右から2番目の道へ進み始める。すると今まで頭の上で大人しくしていたユキが、ぺしぺしと春澄の頭を叩き始めた。
「どうした?腹でも減ったのか?」
頭から下ろし手の上に載せると、そこでもぺしぺしと必死に足を動かしている。本人は必死なのだろうが、小さな手足を必死に動かす様は何とも可愛らしかった。
しかし何が言いたいのか分からず、どうしたものかと春澄が考えていると、突然ユキが手から飛び降り来た道を戻り始めた。
「ユキ?」
暫く戻った所でユキが振り返り、まるで春澄を急かすように飛び跳ねた。仕方なくユキのところまで戻るが、春澄が近づくとユキは遠ざかり、また振り返る。
苦笑しつつも付いていくと、いつの間にか春澄達は一番左側の道に入っていた。
「もしかして、ユキはこの道が良いのか?」
肯定するように飛び跳ねるユキに手を伸ばすと、逃げずに大人しく捕まった。
「わかった。こっちに行ってみるか」
春澄の答えに、満足そうに目を細めたユキの頭を撫でてから定位置に戻すと、春澄はそのまま道を進んでいった。
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