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 九元と共に、宮殿の正面門を出ていく途中のことだった。


「慧花さま……っ」


 背後から呼び止められて、慧花は振り返った。

 夕日に照らされる石階段の踊り場に、女性のすがたがあった。白蓮だ。彼女は困惑したような表情で立ちつくしている。


「白蓮! 大丈夫だった?」


 慧花は階段を駆けあがり、白蓮に抱きついた。白蓮は戸惑いがちに、そっと慧花の背に手をまわしてくる。


「私のことは良いのです。お風邪を召したと伺い、気が気ではありませんでした。けれど、私はなかなか自由な時間が頂けずに……昨夜は、お目にかかれず申し訳ありません」


「わたしは大丈夫よ。九元さまが、ずっと看病してくださっていたから」


 その時のやりとりを思い出して、慧花は頬を染めた。

 白蓮は驚いたように目を見開く。


「九元さまが……?」


 九元は、ゆっくりと階段を登ってきた。

 慧花が視線をむけると、九元は厳しい表情で白蓮を見つめていた。

 白蓮は何か言おうとしたのか、わずかに口を開いた。だが、九元によって阻まれる。


「何も言うな。……おそらく、誰かから俺の出自を聞いたのだろうが」


「――ええ、伺いました。とても驚きました。まさか、あの……。いえ、勿論、ご事情があることは理解しております」


 白蓮はゆったりと首を振る。

 その奇妙なやり取りに、慧花は眉をひそめた。おずおずと、白蓮の長い袖を引く。


「ふたりとも、どうしたの?」


「……いいえ、何でもございませんよ」


 白蓮は硬い表情を解くと、慧花の頭に優しく手を乗せた。そのまま幼子にでもするように、慧花の頭を撫でていく。


「白蓮……?」


 さすがに、十六にもなってこうされるのは恥ずかしさがある。

 首を傾げつつ慧花が見上げると、白蓮は痛みを堪えるような表情をしていた。


「どうか、ご無理をなさらないでくださいね。……慧花さまの母君が崩御されてから、十年もの間……私は、慧花さまをお傍で見守ってまいりました。私はずっと口うるさく色々申し上げてきましたが、それは全て慧花さまのことを思ってのこと」


「――知っていたわ、白蓮」


 慧花は、白蓮の胸元に顔をよせて言った。


「だから、わたしも……白蓮のために、行動することを許してほしい」


「慧花さま、私は……」


 白蓮は戸惑うように身じろぎした。

 慧花は唇を引き結んで、彼女を見上げる。


「――白蓮は、もう国には戻りたくない? 人間なんて嫌になってしまった? だとしたら、勿論、無理には連れて帰らない。白蓮の罪だけ無くしてもらえるように頑張るから……」


 白蓮は、慧花の問いには答えない。ただ、きつく慧花を抱きしめる。


「……白蓮?」


「――私は、天上一の幸せ者です。このような愚か者の私を……。慧花さま、私はたとえ何が起ころうと……ずっと貴女さまを、見守り続けます」


 白蓮は声を震わせながら、そうこぼした。



 * * *



 十ニの楼閣の一塔が、目指していた場所だった。

 慧花たちがやってきたのは、見た目は何の変哲もない五層の塔だ。

 煉瓦の壁は、斜陽に照らされ茜色に染まっている。まるで大きな生き物のような重圧感があった。


「ここに龍が……?」


 慧花は困惑まじりに、そう呟く。

 九元は塔を見上げながら言う。


「この楼閣は、外から見ればただの高楼だが、実際は、(ぱお)(ぺい)の一種だ」


「え? 宝貝って……仙人が作るという、摩訶不思議な道具のことですよね?」


 慧花も実物は見たことがない。だが神話の中で、武器や衣として幾度も登場していることは知っている。


「そう、その宝貝だな。この塔の内部では、不可思議な力が働く。幻影を見せることもあれば、遠く離れた相手と言葉を交わすこともできる」


「ええっ? それってどういう意味ですか? 移動できるということですか?」


 思わず、立ちすくんでしまう。


「――違う。移動はしない。ただ、幻と真実を見せるだけだ。その者の心が弱ければ、相手は夢に囚われる。だが、その者の心が強ければ、意中の相手と話すことができるということだ」


「な、なるほど……」


 ようやく理解して、慧花は拳を握りしめる。

 確かに、こういう場所の方が手っ取り早い。断られるたびに広い仙境をあちこち移動していたら、とうてい約束の刻限までに間に合わない。だが、ここでなら慧花の心次第で、遠く離れた龍と幾度でも会話できる。

 ここまで付き合ってくれた九元に向きなおり、慧花は改めて深く頭を下げた。


「色々とありがとうございます、九元さま。手を貸して頂けてとても嬉しく思います。わたしひとりでは、とうてい不可能なことでした。わずかなりとも達成できる可能性が芽生えたのは、九元さまのおかげです」


「……九元」


「え……?」


「九元でいい」


 九元は苦々しい顔つきだった。

 慧花は首をひねる。


「……良いんですか? 人間なんかに呼び捨てにされても?」


「俺は、堅苦しいのは好まない。仕える主君があんな態度だからな。――それに、俺だって昔は地上で暮らしていたこともある。人間と生活していたことも。気安い態度の方が良い」


「そ、そうなんですか……って、ええ!? 九元さまが、人間と……?」


「九元だ。敬語もいらない」



「……え?」


「お前に丁寧に話されると、落ち着かない。普通に話せ」


 金色の瞳が、じっと慧花を見つめた。

 心臓の鼓動が速さを増してきているのに気づいて、慧花は胸を押さえる。


(九元の龍の姿は、この上なく好みだけど……。でも、今は人の姿をしているのに……)


 九元は先を急がせるように、慧花の背中を押してくる。


「ほら、ちんたらしていたら日が暮れるぞ」


 目覚めてから、九元に昼餉の時間をとらされたので、予想外に時間がかかってしまっていた。西の空には宵闇が迫ってきている。


「は、はいっ!」


 慧花は気合いを入れ直して、塔の内部に入っていく。

 中は最上階まで吹き抜けのようになっていた。


「最上階だ」


 九元が指さしたのは、内壁沿いに螺旋を描くように最上部まで伸びている階段だった。

 塔の壁に声が反響している。

 慧花は頷いた。

 階段を登りながらも、背中に彼の存在をひしひしと感じた。

 脳裏に、先ほどの九元の台詞が繰り返される。


(一緒に暮らしていたって……いったい、どんな方と?)


 そんなことはどうでも良いはずなのに、慧花は妙に気になってしまう。

 彼が国主と天龍の関係を忌み嫌っていたのは、もしかしてそこに理由があるのだろうか、と穿(うが)った見方をした。


「……いや、そもそも、その方がご婦人なのかもわからないわけだし……」


(ああ、今はそんなこと考えている場合じゃないのに……)


 しかし、考えまいとするほど、そればかり考えてしまうのが人の常だ。


「……何だって?」


「な、何でもないですっ」


 慧花は頭をぶんぶんと振って、そう答えた。

 考えすぎたせいで、思考が口からただ漏れになってしまっていたらしい。

 動揺のあまり、足を段差から踏み外してしまった。

 身体が大きく傾ぎ、全身から冷や汗が噴き出す。


(お、落ちる……っ)


 きつく目を閉じて、慧花は衝撃にそなえた。

 二階分の高さは登っていた。打ちどころが悪ければ、骨くらい折れてしまうかもしれない。

 階段から落ちる寸前、腕を掴まれる。

 九元だった。

 彼の腕の中に抱き寄せられ、どうにか難を逃れることができた。

 慧花の心臓が痛いほど音をたてている。


(あ、危なかった……)


 思わず、九元の衣を掴んでしまった。


「危ないだろう! 余所見しているんじゃない!」


 怒鳴りつけられて、慧花は身を震わせる。


「ご、ごめんなさい……っ」


 九元が深く息をついた。

 すでに安全な場所にいるというのに、彼は手を離す様子がない。

 頭の後ろと、腰に九元の腕がまわされている。


「あ、あの……?」


 戸惑いながら、慧花は九元を見上げた。

 ひどく心臓が高鳴っている。

 それが落下しかけた衝撃のためなのか、それともこの距離間のせいなのか、慧花には判断できない。

 九元は苦しげな表情で、囁いた。


「……お前が傷つくのは、耐えられない」


「……九元?」


「――ああ。お前に名を呼ばれるのは、いつでも心地よい」


 九元はそっと身を離した。

 ぬくもりが去ったことに一抹の寂しさを覚えて、そんなふうに感じてしまった自分に、慧花は狼狽える。


「九元は……」


 彼に対して、違和感を覚え始めていた。

 けれど、それが何なのか明確な言葉にできない。それが歯がゆく思えて、続く言葉を飲み込んだ。


「……俺は仙になったとき、かつての名は捨てた。これは、その代わりに天尊に与えられた名だな。名は、(たい)を表すという。――慧花、お前はきっと、賢く美しくあるようにと名付けられたんだろうな」


 九元は独白のようにそうこぼすと、慧花に先に進むよう促した。

 じっと見上げて、慧花は彼の名前の意味を問おうとする。

 彼は肩をすくめた。


「……のんびりしている暇はないだろう?」


 何だか誤魔化されたような気もしたが、慧花は九元の言葉に頷いた。

 最上階へ続く、長い階段の先を見上げる。

 もう長い時間が経っているはずなのに、いつまで経っても、遠くに見えている扉まで届かない。

 塔の内部には明かり取りのためか、階段に沿うように四角い穴が開けられている。そこから差し込む夕陽は、入った時と変わらない色をしていた。


(あれ……?)


 そのことに気付き、慧花の背筋に寒気が走る。


「――気をつけろ。もう試練は始まっている」


「え……?」


 九元の言葉に答える間もなく、慧花の視界が大きく歪んだ。



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