グッド・オールド・チャイルドフッド
背後から受けた衝撃――それ自体はかすかなものだったけど、身動きがまるでできなくなった。
体が重い。力がまるで入らない――立っているだけの力もない。
「……タッくん!? タッくん!!」
サユリさんの声が遠く聞こえる中、全身から力が抜け、オレはゆっくり地面に倒れてく。
隠れてたPKにでも襲われたのかと思ったが――ちがう。
――崩れ落ちていく途中、オレの視界に入ったのは背後から迫る巨大な昆虫の姿だった!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(これって……『麻痺』なのか?)
体の自由はきかないけど思考はクリアだった。初めて喰らった状態異常をオレの頭は冷静にとらえられている。
たぶん、この麻痺はさっきくらった軽い衝撃が原因なんだろう。
しかし、最悪のタイミングだ。周囲への警戒を怠ったことを地に転がったままオレは悔やむ。
――そして、そんなオレに接近する巨大な影が一つ。
ブウウウウウウウウウゥン!
低く重い羽ばたき音をひびかせ、巨大昆虫がせまる。
ハチらしきシルエットを持つそれはおそらく――、
(もしかして……こいつがゾン・ビ―の女王か!?)
ぼってりデカい尻を引きずりながら、ゆっくり飛んでくる巨大ゾンビを見てオレは思う。
……ううむ。実にラスボス感あふれるご登場だ。
他のゾンビーの倍くらいある体――どう見ても昆虫にしかみえない。
でも青灰色の顔面だけは整った顔立ちの美人さんで……そこがよけいに不気味だった。
さっきぶちまけたフェロモンに反応してきたのか――それとも100体倒すと出てくるしかけなのか?
いや、もしかして……さっきの爆発音につられて出てきたのだろうか?
理由はなんにしろ、この女王ゾンビが新種ゾンビイベントのラスボスなんだろう。
本当にうかつだった。『女王ゾンビのフェロモン』なんてアイテムがあるんだから、この研究所にいるって考えとくべきだったのだ。
で――。
その巨大蜂ゾンビは、あたりに転がってるゾン・ビーの残骸に目をやったあと。
『アアアアアアアアアアアアアアアッ!』
大音量の絶叫をかましてくる。甲高く悲痛な叫びが頭に響いた。どうやら仲間を殺されて怒り狂ってるみたいだ。
そして――殺気をこめた複眼をこちらに向けてくる女王ゾンビ。
うわ……大ピンチだ!
さっき蜂ゾンビさんを大量に燃やした天罰なのか?!
汚物を消毒してヒャッハーしたむくいがコレなんてキツすぎるぞ!
なんてアホなことを考えてると――。
サユリさんがオレのそばに来て、必死に声をかけてくる。
「タッくん! しっかりしてください!」
「……サユリ……さん……逃げ……て」
オレは麻痺で回らない舌で、なんとか答えた。
このままじゃ確実にオレはやられる。しかし二人ともやられてしまうよりはましなはず。
そう思って逃げるように言ったのだが――。
しかし……サユリさんはオレの言うことを聞こうとはしない。
「いいえ! ダメです! タッくんを置いてなんかいけません!」
――そう言って愛刀『菊一文字』をかまえ、女王ゾンビに対するサユリさん。
……ああ、もう! なんで逃げてくれないんですか!?
相手は飛行型――近接戦闘タイプの天敵だっていうのに!
しかも対抗できる武器――銃を持ってるオレはごらんのありさま。はっきり言って最悪の状態だ。
なのに――。
サユリさんは闘志をみなぎらせて女王ゾンビに立ち向かおうとしていた!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『ギイイイイイイイイィィッ!』
こちらを威嚇するように女王ゾンビが叫びを上げた。
羽を小さく動かしホバリングしてる巨大ゾンビ――威圧感はたしかに『女王』の名にふさわしい。
しかし巨大な敵に対し、愛刀をかまえたサユリさんは一歩も引こうとしない。
「……ダメ……です。早く……逃げて……サユリさん!」
シビレてる口をなんとか動かし、必死に伝えたオレだったが――。
サユリさんはすでに戦いに集中している。オレのかすかな声なんか耳に届いてないようだ。
……まったく、これだから脳筋美少女さんはこまる。仲間意識はすごくうれしいんだけど。
一方、女王ゾンビのほうも、するどい視線をぶつけてくる美少女が気に入らないようだ。敵意あふれる目つきでサユリさんをにらみつけている。
剣術美少女と異形の美女――二人のガンの飛ばし合いは、しばらく続くかに思えた。
だが、しかし――。
ふいに女王ゾンビが腰をふるわせた。
同時に小さく風を切る音が響く。
シュッ……!
先ほどオレが倒されたときと同じ音――発生源はデカい尻部分、ふつうのハチなら毒針が生えてるあたりだった。そして――。
――ドツッ、ドツドツッ!
重い響きとともに床に突き刺さる黒褐色の円錐数本。
で、そのどす黒い凶悪そうな物体には、ねっとりと謎の液体がからみついている。
まちがいなくステータス異常を引き起こしそうなヒドイ色合いの粘液だ。
(……てことはさっきオレの背中に当たったのも『これ』なんだろうな。おえっ)
そう考えて、気色悪さにオレはぞっとする。
しかし――もちろん、その毒針はサユリさんには当たっていない。
気配を察したらしく、サユリさんは物音と同時に飛びのいていたのだ。
(……あいかわらず勘が鋭いな。サユリさんって野生動物かなにかなんだろうか?)
失礼なことを考えつつも、サユリさんの反射神経にほっとするオレ。
だが……今のところ状況は悪い。
飛び道具持ちが敵なんて近接タイプのサユリさんにはさらに不利な戦況だ。
ただでさえ『かくとうタイプ』は『ひこうタイプ』に相性が悪いってのに、さらなるハンデ――しかも消音装置付きとか……初見殺しにもほどがある。
――なんてことを考えつつも、オレは剣術美少女と女王ゾンビの対決を固唾をのんで見守るしかない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(……タッくん)
――倒れ伏した相棒桜井タクトに一瞬だけ視線を送り、サユリは覚悟を決めた。
(……タッくんはわたしが絶対に守る!)
力なく床に転がるタクトの背中、黒光りする毒針が数本突き立っていて……その光景がサユリの怒りを頂点にまでみちびく。
ふつうなら怒りは頭に血を上らせるが、サユリの場合は逆だ。
沸き立つ想いとは裏腹に、サユリの思考は冷えていく。
と、そこへ――、
『ギギギギギギギィ!』
女王ゾンビがうなり声をあげ、同時に毒針を射出した。鋭い音とともにサユリに円錐型の凶器が襲いかかる。
銃弾ほどではないにしろ、かなり高速だ――弓から放たれた矢程度のスピードはあるだろう。
しかし、サユリはとぎすまされた感覚で毒針の軌道を見切っていた。
軽く身をそらす程度の動きであっさり毒針を回避し、サユリは女王ゾンビに向け、疾走を開始する。
『ギギギギギィィィッ!』
そこへまた毒針が撃ちこまれた――が、サユリはこれもあっさりと避けて見せる。
進路をふさぐような位置へ射出された毒針は、手にした日本刀の一振りで切り払った。
その間、サユリは一度も足を止めない。
いや、むしろさらに加速し、巨大ゾンビにせまっていく!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――全力で女王ゾンビに突進しつつ、サユリは心の中で叫ぶ。
(タッくんは、わたしにとって大事な人……なんです!)
サユリにとって桜井タクトは初めてできた友だちで――そして初恋の人だった。
幼い日のサユリには友だちがいなかった。兄以外に心を開かず一緒に遊びもしない。同級生たちを子どもっぽいと冷たく見下していたのだから、しかたないことだろう。
ひたすら剣のけいこに打ちこむ日々――サユリはそれでもいいと思っていた。
仲の良さそうなクラスメイトをみるたび感じるさびしさは、くだらないと切り捨てていた。
そんなとき――、
少年のころの桜井タクトがサユリの祖父の運営する道場にやってきた。
(最初は……タッくんのこと、大嫌いだった)
道場へ来た理由は『近所だから』というくだらないもの。へらへらと笑顔を浮かべてあいさつしてきた少年をサユリは嫌った。
いつの間に人の輪に入って親しげに会話している――タクトの人当たりの良さも、人見知りのサユリには憎かった。
そして……なによりサユリが気に入らなかったのは、剣で負けたこと。
(物心ついてからずっと励んできたのに。剣をとって数日の子どもに敗れた。本当に屈辱だった)
あっさりサユリを破っただけでなく、小手を打ってしまったことを申しわけなさそうにしている姿に腹が立った。あまりにも悔しくて、その後、タクトの行動すべてに八つあたりし文句をつけた。
「――桜井くん! 道場によそのひとをつれてこないでください!」
「あ、ごめん、学校で話をしたらこいつらも来てみたいっていうからさ」
タクトが門下生を増やしてくれたときにも苦情を言ったし――、
「私語は厳禁です! タクトくん!」
「サユリちゃん、防具の付け方を教えてるんだけど……」
「うるさいです! いいわけしないでください!」
新しい門下生にタクトがあれこれ教えているときも、どなりつけた。
しかし負けおしみの言いがかりにも、タクトはこまったような笑いで応えるだけ。
それがよけいにサユリをみじめな気分にさせ、タクトへの態度はきつくなっていった。
だが、夢中でタクトに食ってかかるうち――。
気づけばサユリは兄以外の人間ともふつうに会話できるようになっていた。
(いつの間にかタッくんに勝つことが目標になってました。競う相手がいるけいこは本当に楽しかった)
だが、そんな日々は――いきなり終わりを告げた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
タクトの急な転校――話を聞かされた当時のサユリは動揺した。
しかし結局、最後までタクトに対してはきつく当たったまま――別れの日を迎えた。
(意地を張って、本当にわたしはバカでした。わたしの失敗で迷惑をかけてしまったのに……)
転校の少し前、サユリは投げそこなったボールで民家のガラスを割ってしまっていた。そして謝罪に行くサユリについていったタクトが、なぜか代わって怒られた。
そのかばってもらった礼も謝罪も言えないうち――タクトは引っ越してしまう。
そして――タクトの引っ越しから二日、三日と過ぎて日曜日。
まだタクトの不在に実感の湧かないサユリは二人でよく遊んだ公園にむかった。
そこに行けば、またタクトと会えるような気がしたのだ。
(でも、いつまで待っても……タッくんは現れなかった)
もう二度とタクトに会えないかもしれない――昼から日が暮れるまでずっと公園で待って、サユリはようやくその事実に気づく。
サユリは自分が失ったものの大きさを、そのとき知った。
「タッ……くん」
心細さにぽろりと涙がこぼれる。あふれた涙は止まらず、いつしかサユリは大声でタクトの名を呼びながら泣いていた。
「タッ……くん! ひっぐ……タッくぅぅぅんッ!」
――気丈なサユリが号泣したのは、後にも先にもそのときだけ。
それからずっと……タクトとの思い出はサユリの心に残り続けていた。
いつまでも抜けないトゲのような痛みは、意地を張った自分への罰――サユリはそう思っていた。
だが――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(でも……またタッくんに会えた!)
――サユリは再びタクトに会えた奇跡に心から感謝する。
遠くの大学に進学した兄の誘いで始めたネットゲーム。
運営の思惑でサユリとヒサヨシの属する道場がつぶされかけたとき――、
(……タッくんは助けに来てくれた! 昔みたいに!)
桜井タクトは絶望的な状況にも関わらず兄妹と共に戦ってくれて、しかも思いがけない策で危機を打ち破ってくれた。
奇跡の再会、その後の共闘とタクトの雄姿――サユリの恋心を燃え上がらせるには十分だった。
(でも……タッくんは戦いのあと、銃器ガチャでリベレーターしか引けないようにされてしまった。わたしたちを助けなければ、こんなことにならなかったかも……)
サユリがタクトに同行していたのは恋心だけでなく、責任を感じていたからでもある。
そして今、タクトは女王ゾンビの奇襲で窮地に立たされていた。
(『麻痺』はたしか数分で回復するはず。それまで絶対にタッくんを守る! 今度はわたしがタッくんを助ける番……たとえ、あの大きなゾンビと刺し違えても!)
決意とともに疾走するサユリ――捨て身の突進は限界を越えて速度を増す。
駆け抜ける少女の姿が一瞬消えた。
そして次の瞬間――女王ゾンビの至近距離に現れたサユリが愛刀をふるう。
と――。
ボトリ、何がが落ちる音がして――、
『ギイイイイイイイヤアアアアアアアアアアッ』
やや遅れて室内に女王ゾンビの悲鳴が響く。
サユリの一撃は女王蜂ゾンビの尻――毒針を打ち出していた部分を見事に両断していた!




