街路での攻防2
弾かれたように壁に立て掛けた鞘をつかみ、ロウァニカはノワールに言う。
「ちょっと行ってくる。キリエは任せた」
開け放った窓から、風のように自然に飛び降りる。軽やかに着地したロウァニカは、地面を踏みしめて、狭い路地へ飛び込んだ。
目の前一面にひろがるソレを、抜き取った刃で両断すると、質量を感じさせないままに暗闇は辺りへ散っていった。ロウァニカは無意識に舌打ちして、さらに奥へと駆けていく。
積み込まれたゴミの塊を足場に、一際高い建物の屋根の上へ飛び上がると、赤い月の光のもと、いくつもの影が町中を徘徊しているのが見えた。
意思のないモノたちーー彼らはラダの使いであった。意味もなく動いているだけに見えるけれども、恐らく何らかの命を受けているに違いない。家々に灯りはなく、皆寝静まっていることがせめてもの幸運だろうか。
それよりも、なぜ、ここにそんなものがいるのか。深く考える暇もなく、月光とは異なる強い光が、ある通りの方から放たれた。
素早く通りへ駆けつければ、四散する影たち。光は、見覚えのある色をした男の、その右手にある本から放たれていた。
「誰だっ」
男はロウァニカを視認すると、切羽詰まったように叫び、その拍子にふらりとよろめいた。
危害を加える相手に忍び寄ろうとしたひとつの影を、ロウァニカはさっさと凪ぎ払い、男かに肩を貸してやった。
「無事か、ひとまず離れるぞ」
ロウァニカは男をぐっと担ぎあげ、辺りを払いながら安全そうな建物の影に連れていった。そのうち、なんとか身体を支えられるようになったらしい男だったが、、やはりまだ顔を青いままだ。
「あ、りがとうございます……あの」
はあ、はあと肩で息をするのに合わせて、黒い髪が踊る。対面して、ロウァニカは彼が昼間の呪術師と確信した。
「礼はいい。お前は?」
男は少し言葉をつまらせたが、素直に答えた。
「あ、はい、僕はウェルナー、です」
「そうか、俺はロウァニカ。お前は魔術師か?」
「俺……」 「どうなんだ」
「え……あっはい、一応魔術師の端くれで……あなたは一体、いや、それよりあの、化け物はなんなのでしょう?」
ようやく落ち着きを取り戻したか、呼吸も正常になりつつある男ーーウェルナーに対し、どう話すべきだろうか。
「さあ。そういえば、お前」
迷った末、ロウァニカは話題をそらすことにした。さりげなくウェルナーの肩に手をおいて、逃げられぬように固定すると、単刀直入に聞いてみた。
「キリエが、迷惑をかけたんじゃなかったか。俺はその、保護者なんだが」
そこまでいいきらないうちに、ウェルナーの顔がほんの少し堅くなったことがロウァニカには知れた。その証拠に、身動ぎして逃げようと試みていたのだから。結果はロウァニカに先手をとられ、微塵にもその場から動けなかったが。
「ああ、キリエさんの。お気になさらず」
「そういう訳にもな。そうだ、猫は見つかったのか?」
びくり、とあからさまに反応を示したウェルナー。『当たりだ』とロウァニカは内心ほくそ笑んだ。
「無駄なことはもうわかるだろう。何のつもりか、白状してもらえないーー」
「お断りします!」
瞬間びりりと、痺れがロウァニカの手から腕へ、全身へとひろがる。
ーー呪術
『相手の力の出所を感知しないことだ』
未知の体験に、ノワールの言葉を思い出す。触れるなどもってのほかであった。ふがいなさに唇を噛んだ。
怯んだロウァニカの手を払い落として、ウェルナーは入りくんだ方へと逃げていく。ロウァニカはどうにか身体の痙攣を抑えるため力を込めたが、弱いものとはいえ、どうにかなるものではない。
ふらふらと今にも倒れそうなウェルナーの後ろ姿が、徐々に小さくなっていくことに焦り、ロウァニカはようやく薄れる気配をみせ始めた痺れを振り払った。
ひとっとびで追い付ける。ロウァニカにとってはその程度の距離だった。ただ、それは呪術という得体の知れないものがなければの話で。それは瞬きする間もないうちに起こった。
影だ。ロウァニカは見た。ウェルナーの死角、彼の左方から、一際大きい影の波が襲うところを。
手を伸ばす。が、ウェルナーは死に物狂いの表情で、その手を叩き落としーー
「あっ」
どちらが発したのかはわからない。呆けた声が無音の中に木霊し、彼の姿は飲み込まれた。
一瞬の、こと。
痺れが消え去ったロウァニカは、寸でのところで安全なところに着地し、目の前でどうっと影が流れ出していくのを見ていた。