黒猫は波乱をよぶ3
あのあとロウァニカはキリエを連れて宿に帰り、今までことを簡単に説明した。
「えっ、じゃあウェルナーさんは、みーちゃん……ノワールさんを狙う悪い奴なんですか?」
「ああ、そう思ってもらって構わない」
困惑するキリエに、黒猫、ノワールは極めて静かに言った。
「敵であろうと味方であろうと、魔道師は厄介だ。今のところ警戒するしかないだろう」
「悪いひとにはみえなかったのですが……」
「悪そうな奴がみんな悪いわけじゃあないんだから、逆もそうだろ」
ロウァニカが軽くキリエを小突き、ノワールも便乗する。
「キリエ殿、あなたには軽い『魅了』の術がかかっていた。彼と話しているとき、高揚しただろう」
「そういえば……魔術なんて初めてで、気にしていませんでした。でも、魔術には詠唱が必要っていいますよね。そんなの聞こえませんでしたよ」
キリエは自分の不甲斐なさに赤面しながらも、ノワールに疑問をぶつけた。
「わたし、これでも耳は良い方だと思いますし、さすがにあの距離だったら聞こえると思うんです」
うつむきつつ意見するキリエにロウァニカも頷いた。
「ああ、キリエの耳は俺が保証する。今朝も鳥の鳴き声がうるさいってのに、化け物がいるって先に気づいたのはキリエだったぜ。結構な距離だったにも関わらず、な」
二人の言い分に、ノワールは暫し唸って言う。
「しかし、『魅了』がかかっていたのは事実。なら音での詠唱が不必要なのか。相手がそこらの野良魔道師ではないのがはっきりしたな」
「じゃあ、具体的にどれくらいの力量かわかるか?」
「リボンに施された印は魔除けの類い。質は中の上といったところか。あなたなら心配ないでしょうが、キリエ殿には……」
そこでノワールは言葉を切る。伺いをたてるその仕草に、ロウァニカは頷いた。
「ああ。キリエ、お前はしばらく…」
「着いていきますから」
それを遮ってキリエが言いはなった言葉に、ぽかんと固まったロウァニカだったが、すぐに気を取り直してキリエを諭す。
「危険だ。わざわざついてきてもらって悪いが、巻き込むわけにはいかない」
「巻き込まれてるつもりはないです。わたしはロウァニカに着いていく。いいでしょう、ノワールさん。まだこっちのことが分かってないロウァニカと、外見が猫のノワールさんだけでは問題が多いと思いますし、道案内させてください。これでも地図とか交通には強いんです」
力強い眼でキリエはノワールに同意を求めた。キリエはここで、ロウァニカと離れるわけにはいかない。三ヶ月間抱き続けた思いの、その答えを見つけなければ、きっと自分は後悔すると、キリエにはわかっていたのだ。もちろん、先に述べた理由も一つだが、割合では私情が限りなく大きい。
ノワールは気づいてしまうだろうか。キリエの心臓が高鳴る。見つめ合った数秒が、彼女の心のように重かった。正確な時間はわからない。ただ、一瞬ノワールの眼が煌めいて、頷くのをキリエは見た。
「それもそうだ」
キリエの体の力が、一気に抜けた。
「キリエ殿の言う通り、三人で旅を続けるべきではないか。ロウァニカ殿」
ノワールの進言に、ロウァニカの思考は止まってしまう。
「だ、だめだ。道案内なら他のやつに頼めばいいだろ」
「キリエ殿ではいけない理由でもあるのか」
「あるわけないだろ! ただ、危険だから」
「別の案内人に依頼するにしても、条件は同じ。割に合わない仕事を回すよりは、キリエ殿に着いてもらった方が手間も金銭もかからない」
「ロウァニカ、わたしは着いていきたいんです。言うことは絶対守りますが、今このことは譲れません。それに、わたしに一人で故郷に帰れというんですか?」
キリエと加勢したノワールの前では、ロウァニカも我を通すことはできない。ロウァニカは長く息を吐いた後、しぶしぶ頷いた。
「わかった。キリエ、俺の傍を離れんなよ」
「……!! ありがとう、ロウァニカ!」
感極まって、キリエはロウァニカに飛び付いた。しかし、鍛えられた硬い体に柔らかい感触を見つけ、慌てて飛び退いた。
「す、すいません!!」
「気にするな。俺も頼りにしてるからな」
信頼の言葉と笑顔を投げかけられ、キリエは思わず顔を隠してやり過ごした。
(これだから、ロウァニカは!!)
こちらの気持ちを知らずに、キリエは悶える。その様を目にも留めず、ノワールがにゃあと鳴いた。
「では、話させてもらおう。『仮想の月』について、わたしが知りえる全てのことを」
静かな宣誓に、空気が冷える。黒い猫の眼が金色に光り、茶番の終わりを告げた。