第一話 二人だけの部屋
妹のジュリンと一緒にバイクで俺が住んでいるマンションまで走らせた。空港からマンションまで結構距離があるため、一時間ほどバイクのシートに座っていたから、少しお尻が痛かった。だけどそれ以上に、かなりの美貌の持ち主であるジュリンが後ろに乗っている事に緊張してしまったのか、ジュリンから離れるまで痛みは感じなかった。
それから緊張によるものか、はたまた何を言っていいのか分からないのか、無言でジュリンの荷物を俺が持って一緒に俺が住んでいる部屋に向かった。
自分の部屋に向かっている途中にマンションに住んでいる住民と何度かすれ違った。住民はその度に見惚れるように立ち尽くしたり、頬を赤らめて俺の隣を歩いているジュリンを見たりと、分かりやすい反応を示していた。だけど誰一人として俺達に話しかけることは無かった。きっと俺も同じ立場に立てばそうなると思う。だって話しかけても良い返事が返ってくるとは思わないからだ。それはジュリンの性格が悪い、そうとは思っては無い。ただジュリンの笑顔が作ったもののように感じるからだ。
自分の部屋に着いたところで鍵を開け、部屋の中に入った。そしてジュリンも俺の後に中に入る。それから短い廊下を歩き、直そこにあるドアを開け、居間に入る。
とりあえず居間の真ん中にあるロングソファの上にジュリンの荷物を置いた。それからジュリンに手招きして、今日の昼に掃除をした部屋に入る。その部屋にはベッドも無ければ机も無い、ただの空き部屋としか言えない部屋だ。
『えっと、まだ荷物が届いてないけど、一応この部屋を使ってね。今日は俺の部屋にあるベッド使ってください』
俺がそう言うと、ジュリンは小さく頷くだけだった。今日始めて会い、そして今に至るまでジュリンの声を一度も聞いていない。どんな声かは気になるけど、無理には話してくれなくてもいい。だって今のジュリンは悲しい気持ちでいっぱいだと思うからだ。
それから居間にある掛け時計見れば、もうじき十時半頃だった。
『そういえばお腹は空いていない? もし空いているなら何か作りますよ?』
ジュリンはさっき同様に左右に首を振った。
『そう、なら今日はもう寝ます? 長旅で疲れたでしょう?』
そしたらジュリンは小さく頷いた。だからジュリンを俺の部屋に連れて行き、俺は机の上に置いてある携帯電話だけを持ち『おやすみ』とだけ言って部屋から出た。
俺は居間で寝ようにも、時間が時間のため眠りにつくことは出来なかった。だから俺は幼馴染である梨花の部屋にお邪魔しようと思い、携帯で梨花に電話をかけた。ちなみに梨花の部屋は俺と同じマンションの隣で、俺が一人暮らしをすると知った時に、俺が一人だと心配だと言って梨花も同じマンションで一人暮らしをしている。その時に、実家から近いのにお金の無駄だとか、何かあったら心配だとかで両親と相当な口論をしたらしい。
何度か呼び出し音が鳴り、何度目かで梨花が電話に出てくれた。
「もしもし、梨花?」
『うん、どうしたのいっちゃん?』
携帯の向こうから聞きなれた綺麗な声が聞こえてきた。そして俺の事をいっちゃんと呼ぶのは、梨花を含めて二人しかいない。一人は梨花で、もう一人は実の妹である真帆だけだ。
「今からそっちに行ってもいいか?」
『うん、いいよ。だけどどうしたの?』
「いや、ちょっとな。それじゃあ、今から行くから。またな」
そう言って俺は通話終了のボタンを押した。
それからメモ用紙に『友達のところに行きます。もし何かあったら電話してください』と、俺の携帯番号を書いたメモ用紙を机の上に置いておく。
玄関で靴に履き替えて、梨花が住んでいる隣の部屋に向かった。
直隣の部屋には数秒で着き、呼び出し音のチャイムを鳴らした。その直後に部屋から物音と共に、部屋のドアが開かれ、そこから俺のよく知っている梨花が出迎えてくれた。梨花は少し長めの髪を自然に垂らし、大きな瞳と全体に整った可愛らしい顔にマッチしている可愛らしいパジャマ姿だった。
「こんばんは、いっちゃん。ほら、早く中に入って」
少し棒立ちだった俺の腕を引いて、俺は梨花の部屋に入った。
俺と梨花の部屋の内装は一緒だ。だけど俺の部屋とは似ても似つかないほどに綺麗に整頓されていて、居間なのに女の子の部屋と一目で分かるほど可愛らしい部屋だ。
「梨花の部屋に入ったのは久しぶりだな」
そう言いながら俺はじゅうたんの上に座った。
「うん、そうだね。いつも私がいっちゃんの部屋に行っているからね。それはそうと、今日はどうしたの?」
梨花はそう言いながら冷えたお茶が入ったグラスを二つ持って、机の上に置いてから座った。
「ありがとね。今日は梨花には言わなきゃいけない事があるんだ」
「言わなきゃいけない事?」
そして梨花は少し首を傾げた。その仕草が似合うのは俺が知っている中では一番だと思うほど似合っているのだ。
「今から言う事を信じられる方がおかしいが、それでも信じてほしい」
「うん、信じるよ」
まだ何も言っていないのだけど、梨花は笑顔で答えてくれた。
「えっと、せめて俺が何か言ってから信じてくれないかな? あれですか、俺の事ばかにしているのか?」
「違うよ、私はいっちゃんの事信じているからだよ」
その予想外の発言に嬉しく思えた。
「あ、ありがとう」少し照れながら言った。そして続けて「それじゃあ、本題に入るぞ……実は俺に妹ができたんだよ」
「妹さん?」
「ああ、だが、これが普通の妹じゃないのだよ。ブロンドヘアーでグリーンアイのイギリス人なのだよ、これが。しかも、これがまた超美人なんだけど、いまだかつてその子の声を聞いたことが無いのだよ。いったいこれは如何してだと思う? 父さん曰く、よく話す良い子って話だったんだけど、それは嘘なのかな? それとも今までに俺が何か不味いこと言ったのかな? だけどさ、一応今までに言ったこと覚えているけど、何一つ変な事を言った覚えが無いんだよ。それなら俺の第一印象が変だったのかな? ん~、だけど第一印象と言っても俺は特に何もしてなんだよな? そういうことは第一印象じゃないのかな? あっ、もしかして残念な事に俺の事全てにおいて受け付けないって事なのかな? それだと、これからの生活どうしたらいいのかな? ってか、梨花聞いているか?」
かなり俺の事を呆然と見ていたから聞いてみた。その直後に梨花は顔の前で、手を交差する。
「うん、ちゃんと聞いていたよ。ただ、こんなに沢山一気に喋ったいっちゃんが久しぶりだったから、つい」
そして梨花は懐かしそうに目を細めた。
「そうか?」
「そうだよ。それよりも話は大体分かったけど、いったいいっちゃんは妹さんとどうしたいの?」
「どうって言われても……やっぱり一緒に住んでいるからには仲良くはしたいよ。だけどさ、中々上手くいかないんだよね、これが」
ジュリンの事を気にならないと言えば嘘になる。俺としては気軽に話したいし、ジュリンの気持ちを全部とはいかないけど、知りたいと思っている。それにこのままだと、一応兄としては不味い気がするからだ。
「だけどさ、直に仲良くなれる訳でも無いから、時間をかけてゆっくりと仲良くなればいいんじゃないのかな? それにいっちゃんの事きっと悪くは思ってないと思うよ」
「どうしてそう思うんだ?」
「なんとなく、そう思うんだよ」
「なんとなく?」
「うん、なんとなく。だけどさ、女の勘って結構当たるんだよ」
そして梨花は笑みを見せた。
「……そうだよな、別にこんなに悩むことは無かったんだよな。うん、ありがとう梨花」梨花にお礼を言って、俺は立ち上がった。そして玄関に向かって歩き出す。だけど、俺は玄関に通じるドアの前で立ち止まる。「なぁ、梨花。もしまた何かあったら相談に乗ってくれないか?」
「うん、私はいつでもいっちゃんの相談に乗るよ。だって私にとっていっちゃんは大切な人だから」
どこか意味ありげな事を言われた気がしたけど、俺は特に気にはしなかった。
「ありがとう」
そしてドアを開けた。後ろから「頑張ってね」と聞こえたけど、俺は何も言わないで玄関で靴に履き替えて、ドアを開けて隣の自分の部屋に戻った。
自分の部屋に入り、玄関のところで嗚咽まじりの泣き声が聞こえてきた。俺にはその声がジュリンのものだと直に思った。だって両親を亡くして、一人で何も知らない異国の地に来たのだから。
俺は直に靴を脱ぎ、そして居間に通じるドアを開けた。案の定そこにはジュリンが居た。ソファに座りながら顔を手で覆い、暗い部屋で月明かりだけがジュリンだけを照らしていた。そして頬を流れる涙が月明かりで宝石のように輝いていた。
その光景を見て俺は一つの事を確信した。ジュリンは寂しがりやなのだと。だからこそ、俺が今からとる行為は一つしかなかった。
あまり足音をたてないで、ジュリンが座るソファに歩んだ。そしてジュリンの顔を見上げるように床に座った。
『どうしたの?』
出来るだけ優しく言った。
ジュリンは少し体を震わせ、顔を覆っている手を退けた。そして手で涙を拭って、無理やり笑顔を見せてくれた。だけどその笑顔が無理に作ったもので、今にも泣き出しそうだった。
『無理に笑顔を見せないで、泣きたい時は泣いてもいいんだよ』
そう言いながら、右手でジュリンの頬に触れる。そして親指で優しく目元を拭った。
ジュリンは俺の手の上に自分の手を重ね、その直後に大粒の涙が頬に流れた。それがきっかけなのか、小さく声を上げて泣き出した。
『……あ、あり…がとう…い、一樹…さん』
ジュリンは泣きながらも俺に言ってきた。だけど、静かな部屋じゃないと聞こえないほど小さな声だった。それでも俺にはしっかりと届いた。ジュリンの容姿に合う綺麗な声が。
そしてジュリンは俺の胸に飛び込むように抱きついてきた。
ジュリンの涙で服が濡れたけど気にしなかった。
『……うん』
それからジュリンは沢山の涙を流して、泣きつかれたのか俺の胸元で寝てしまった。泣いて気持ちがスッキリしたのか、寝顔は少し笑みを見せていた。その笑みは作りものでも何でもない心からの笑みのように見えた。