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ヤンデレ王子に愛される婚約者令嬢のおかげで、王国は今日も安泰です  作者: 月乃ふくや


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9/12

事件を起こす──起きない



 王都外れの、使われなくなった小さな礼拝堂。


 夕暮れの光が、割れたステンドグラスの隙間から差し込み、床に色の影を落としていた。


「……呼び出しに応じてくださって、ありがとうございます」


 神父はそう言って、深く頭を下げた。


 その前に立つのは、エリアル・ライトリング・アーチボルト。

 護衛の姿は見えない。たった一人で現れた王子は、穏やかな笑みすら浮かべていた。


「ううん、問題ないよ」


 軽い調子でエリアルが言う。


「神父さまから、どうしても僕に話したいことがあるって聞いたら、来ないわけないよ」


「……ええ」


 神父は一歩、近づいた。


 胸の奥で、鼓動が速くなる。


(ここだ)


 娘の未来のため。

 聖女のため。

 国のため。


 神に与えられた正義を、遂行する時。


 神父は、懐から例のペンダントを取り出した。


 淡い光が灯る。


 空気が、歪む。


 幻影の魔術が発動する──はずだった。


 


 だが。


 


「……?」


 何も、起きない。


 魔力は確かに流れている。

 呪式も、間違っていない。

 対象も、目の前にいる。


 それなのに。


「……なぜ」


 神父の声が、わずかに掠れた、その瞬間だった。


 床を蹴る音のあとに扉が勢いよく開くと、「確保!!」と叫んだ近衛兵が四方から飛び出し、神父に一斉に取り押さえにかかる。


「な、な……っ!?」


 床に押し伏せられ、腕をねじ上げられながら、神父は叫んだ。


「なぜだ……!! なぜ、かからない……!!」


 その問いに、エリアルは首を傾げた。


 困ったように。でも、その表情はどこか楽しげだった。


「んー……」


 一歩、近づく。


「もう、遅かったんじゃないかな」


 紫の瞳が、静かに細まる。


「だってさ」


 神父の耳元で、囁くように。


「僕の“意思”って──もう、とっくに」


 少し間を置いて、こう続けた。


「あるひとに、奪われてるから?」


 神父の目が、見開かれる。


「……なに、を……」


「操るなら、空いてる場所を狙わないと」


 エリアルは笑った。胸の上を、大きく開いた手で撫でながら。


「僕の中はね、もうぎゅうぎゅうなんだよ」


 白い手袋の指先だけが神父の視界に残る。


 近衛兵が、拘束を強めた。


「王子に対する不敬罪、並びに王権侵害の疑いで身柄を預かる」


 その声を、神父はほとんど聞いていなかった。


 頭の中で、ただ一つの名前だけが、反響していた。


 ──シルティア。


 


 連行されていく背中に、エリアルは手を振った。


「呼んでくれてありがとう」


 心底、楽しそうに。


「でもね」


 扉が閉まる直前、最後に呟いた目は笑ってはいなかった。


「彼女のことに関しては──僕、最初から、誰にも渡す気なかったんだ」


 


 礼拝堂に残ったのは、静けさだけだった。





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