田舎町の教会
王都から離れた、田舎の町の教会。
夕暮れの空気はひんやりとしていて、鐘楼の影が長く石畳に伸びていた。
古い馬車が軋む音を立てて止まり、神父はひとり、地面に足を下ろす。
王城からの帰途。
娘の顔を見られただけで、何ひとつ持ち帰れなかった日だ。
「……」
頭を下げ、馬車が去っていくのを見送ったあと、神父は祈るように胸の前で指を組み、一度だけ目を伏せた。
その背後から、足音がした。
「お疲れでしょう」
振り返るよりも先に、低い声が耳に届く。
いつの間に立っていたのか、教会の塀の影から一人の人物が姿を現した。
顔ははっきりとは見えない。だが、その手の中で、鈍い光を放つものがあった。
鎖の先に揺れる、小さなペンダント。
光の揺らぎが、空気そのものを歪める。
「……それは」
神父が目を細める。
「以前お渡ししたものとは、別物です」
相手は淡々と言った。
「見た目を変えて見せるだけの、あの程度の幻影ではありません」
ペンダントが、わずかに脈打つ。
「これは、相手の精神そのものに干渉します。
思考の向き、感情の流れ、選択の“理由”を、少しだけ書き換える」
言葉は静かだったが、その内容は明確だった。
「もちろん、使用者への代償はあります」
一拍。
「……それでも、構わないと?」
神父は、答えを迷わなかった。
「構わない」
即答だった。
握りしめた拳が、わずかに震える。
「娘は……クレアは、その気がない様子だった」
苦々しく、しかし確信をもって言う。
「もう、同じやり方は使えん。
遠回しな言葉も、周囲からの働きかけも……すべて、無意味だ」
視線が、遠く王都の方角へ向く。
「外堀を埋める手が通じないのであれば」
そして、静かに。
「もはや、殿下の意思を直接変えるしかあるまい」
沈黙。
風が教会の扉をわずかに鳴らす。
「……それは、“神の御業”とは呼べません」
相手が、確認するように言った。
「分かっている」
神父は、そう答えた。
だが、その声に迷いはなかった。
「だがこれは、背信ではない。
正しいものを、正しい場所へ戻すための手段だ」
聖女は、王家と結ばれる。
それは法であり、信仰であり、この国の“秩序”だ。
それを乱しているのは誰か。
「……神は、沈黙なさっている」
だからこそ。
「これは、神が与えた機会だ」
そう言って、神父はペンダントに手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、冷たい痛みが走る。
それでも、手は引かなかった。




