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ヤンデレ王子に愛される婚約者令嬢のおかげで、王国は今日も安泰です  作者: 月乃ふくや


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5/12

学園での思い出と、今



 その言葉は、学園にいた頃から、何度も向けられてきた。


『シルティア様、お願いです。どうかもうエリアル様を自由にしてあげてください』


 思い出すたび、胸の奥に小さな棘が刺すそれを、シルティアは静かに仕舞ってきた。





 あれは、学園の回廊だった。


「シルティア様!」


 背後から駆け寄ってくる足音に、シルティアはわずかに足を止めた。

 制服のスカートの裾を蹴り上げるように走ってくる、セミロングの桜色の髪。


 振り返った先にいたのは、クレア・ハートだった。


「……クレア様」


 ほんの少し目を丸くしてから、シルティアはすぐに表情を整えた。


「淑女が校内を走るのは、いかがなものでしょうか」


 落ち着いた声音でそう注意すると、クレアは一瞬だけ気まずそうに目を伏せたが、すぐに首を振り、真剣な顔で言葉を重ねてくる。


「そんなことより……シルティア様、また、エリアル様のところに行かれていたんですね?」


「……ええ」


 体の向きを変え、静かに肯定すると、クレアは唇を噛みしめた。


「昨日、あれだけお伝えしましたのに……エリアル様は、ご迷惑に思っておられると」


 その声音には、煽るような調子も嘲るような態度も混ざっていない。ただ純粋な悲しみだけが乗っていた。


「いったい、どうしてなんですか……?」


「はあ……」


 思わず、息が漏れる。


「どうして、と言われましても……」


 そう口にしたところで、クレアは遮るように言葉を続けた。


「いえ、わからないわけじゃないんです。シルティア様にとっては、認められない話ですよね」


 一拍、置いて。


「……私なんかに言われて、聞く気になれないのも、当然だと思います」


 そう言いながら、彼女は両手を祈るように組み、まっすぐこちらを見つめてくる。


「でも……休憩時間のたびに、生徒会室やラウンジでご一緒されている今のままだと……同じ生徒会の一員である私も、まともに仕事ができませんし……」


 声が、少しだけ震えていた。


「なにより、エリアル様が……その……ス、ストレスに感じておられるんです」


 一応、言葉を選ぼうとした様子はあったが、結局、選びきれてないまま、そんな風に言う。


「だから、勇気を出して……お伝えしたんです、私」


 その空色の瞳に、邪心はなかった。

 本気で、“エリアルのために代わりに発言している”と思っている顔だった。


 ──だからこそ、厄介だ。


(これは……説明したところで聞き入れられないでしょうね)


 シルティアは眉をひそめ、ゆっくりと息を吸った。


「……あなたが、何かを誤解されているのは理解いたしました」


 静かに、粛々と。


「ですが、わたくしがあなたの忠告を、わざわざ受け止める理由はございません」


 それだけ告げると、え、という表情をするクレアから顔を背け、踵を返す。


「……もし、何か仰りたいのでしたら。

 せめて礼儀を身につけてから、改めてお越しくださいませ」


 しかし、背を向けて一歩、彼女から離れたその瞬間。


「そんな、シルティア様──!」


 縋るような声が、背にかかった。


「お願いです……どうかもう、エリアル様を、自由にしてあげて……!」


 それは、あまりにも──物語のヒロインさながらといった言葉だった。


 



 


 それからも、何度も、何度も。


『殿下は、あなたを愛していません』

『あなたと一緒にいると、息が詰まるんだそうです』


 繰り返し、繰り返し、シルティアは善意のその言葉を聞き続けた。そしてあの日。


『本当は……私の方を──』


 その続きを言われる前に、乾いた音が、学園の回廊に響いた。


 掌がじんじんとする。自分の手が、相手の頬に触れていたことを、シルティアは遅れて理解した。


「……っ」


 頬を押さえ、目を見開いたクレアの瞳に、唖然とした表情の自分が映っているのを見た。


 クレアは震える唇で何か言おうとして──けれど、結局、声を出さずに視線だけを落とした。


(……しまった)


 シルティアが思ったのは、それだけだった。


 次の瞬間には、周囲の視線が突き刺さっていた。



 それで、何かが新しく始まったわけではない。


 学園の空気は、もともと、そうだった。


 王子の婚約者は冷たく、聖女の少女は守られるべき存在だと。いつのまにか、真実のように語られていた話があった。


 だから、あの出来事は──噂を生んだのではなく、噂を「確定させただけ」だった。


 同級生たちは、それまでと同じように、ひそひそと囁いた。


「やっぱり、シルティア様ってエリアル殿下にベッタリで、他の女に厳しいのね……」

「嫉妬深いのかな……殿下も大変だなあ。本当は聖女こそお相手になるべきなのに」

「ちょっと怖くない? この間まで殿下に懐いてた子も、シルティア様に呼び出されてから、もう目すら合わせてないって……」


 ベッタリの真実は、エリアルが、シルティアから離れたくない、とそばに呼んでいるだけだ。


 他生徒を呼び出したのは、エリアルがシルティア以外の女性に近づかれるのを嫌うため。


 学園や外では“優しい王子”の猫を被っているエリアルだが、ストレスが溜まれば、苛立ちを彼女たちにぶつけるかもしれない。そういうのを回避するための、シルティアの事前の配慮で、言い方も「貞淑に」と軽く注意しただけ。


 ──しかし、噂は、話す子たちに好きな顔をする。

 

 シルティアも、否定しなかった。


(ちょうどいいわ)


 胸の内で、そう結論づけた。


(殿下の評判さえ、保たれていれば)



 ──それでも。


 手を出したのは、紛れもない失態だったことも自覚していた。


「……いけませんわね」


 小さく息を吐き、シルティアは歩き続けた。


 そして現在。王城の一角。クレアが仮保護されている部屋の前で、シルティアは足を止めた。


(……混乱しているでしょうけれど)


 それでも。向き合わなければならない。






 後から思えば、あれは彼女の自意識が過剰だったから起きた無礼──では決してなかった。


 この国において“聖女”は、祈りによって、結界を張り、人を癒す特殊な力を持つ女性のことだった。

 初代の王が、“はじめの聖女”とともに建国したという伝説以降、数年〜数十年おきに現れては、国に起きる災を退けてきた歴史があり、また法律も、聖女の保護を最優先にしている。

 

(そして、クレア様は今世で久しぶりに現れた“聖女”。彼女自身が肥大したのではなく、周囲が彼女を特別視する土壌の上に、裏では偽王子に接近されていた)


 ──となれば、クレアの中では、あの言葉たちは彼女が受け取った“正しい事実”だったのだろう。


 決して「非がない」とはいわない。しかし、また、許されない邪悪でもない。


 ノックをすると、控えめな声が返る。


「……どうぞ」


 部屋に入ると、クレアは椅子に座っていた。

 目元は腫れているが、取り乱してはいない。あの卒業パーティーが終わってから数日。もう事情も真実も十分に聞かされていた。


「失礼いたしますわ、クレア様」


「……シルティア、様」


 一瞬、身構え──すぐに、それは消える。


「…….来てくださって、ありがとうございます」


「体調はいかがですか」


「……大丈夫です。まだ少し、混乱はしていますけれど……」


 視線が揺れ、そして、躊躇うように口が開閉したあと、ゆっくりと言葉が続いた。


「……殿下は、私を愛していたわけじゃないんですよね」


 シルティアはほんの少し肩を落とした。


「それをわたくしに聞くのですか」


 ほんの少し呆れて返しても許される気がした。


「っ……すみません」


 クレアが眉間をぎゅっと寄せる。


「……浅はかでした。今はもう、わかっています」


「……」


「殿下のことも、シルティア様が、悪い人じゃなかったことも」


 沈黙。

 その中で、シルティアは、まっすぐにクレアを見た。


「……学園でのこと、謝罪いたします」


 静かな声で。


「どのような理由があっても、手を出すべきではありませんでした。ごめんなさい」


 クレアが顔を上げ、ゆっくりと首を振った。


「……いいえ。失礼を重ねたのは私です。こちらこそ申し訳ありませんでした」


 そして、ぽつりと。


「……今思うと、あの時の私は、誰かの言葉を、自分の願いだと思い込んでいただけでした」


 それを聞いて、シルティアは、ほんのわずかに目を伏せた。


「……ええ」


 それだけ答えた。


 まだ、すべてが解決したわけではない。

 しかし、誤解のまま、終わる関係でもなくなった。


 


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