庭で溶ける謝罪
事件の翌朝、王家からの公式発表が出た。
《昨日、王子を騙っていた者は、王家の名を騙る行為、及び国政に混乱を招いた罪により、厳罰に処される》
それを聞いた人々は口々に語った。
「たしかに、あの王子、いつもと様子が違ったって」
「本物のエリアル様があとですぐ否定してくださって助かったわ」
「それにしても……彼女、シルティア様。あの冷静さは只者じゃないよな……」
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その頃、城ではーーー
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「ごめんね。ごめんね。シル。本当にごめん」
「七十七回も謝罪せずとも、もう気にしていませんわ、殿下」
緑溢れる王宮の庭で、シルティアの腰に抱きついたエリアルは、謝罪しながら、その柔らかな小麦色の髪を梳かれていた。
「婚約破棄なんて僕の気持ちじゃない」
「はい、存じておりますよ」
「きみが大好きで、愛してるんだ。君と別れるなんて絶っっっっっ対に僕は言わない」
「存じております。殿下は、わたしのことをかなり“大好き”でおられますもの」
始まってからかれこれこんな感じの会話が、延々と続いていた。
城下の浮かれた若いカップルでも流石にそこまでせんだろ!とツッコみたくなるような甘い会話は、聞いていると全身がむず痒くなってくるというか……なんとも理性のある人間には耐え難いものだった。
だから理性をなくせば耐えられる。
「殿下はわたしのことを愛してくださっていると、いつも、たしかに伝えてくださいます。
だから殿下のお気持ちを疑ったことはありませんわ。
だから偽物にも一目で気づいたし、騙されなかったじゃありませんか」
──あー、祖母の故郷ではこういうときには心頭滅却っつって〈経〉という呪文を唱えるらしい。
と、この場にいた近衞兵の一人は心の中で呟き始めた。
ナムアミダブツナムアミダブツ…ダッフンマー…ナウマンゾウ…のウンコ…?
隣でそれを聞いている友人兵士は、(あ、こいつ壊れた)と悟り、なにも言わなかった。
しかし、その時
「──ね、そうですよね?」
「はいっ!──アッ」
心の中で呪文を唱えていたせいで、兵士は、不意にシルティアの尋ねた声に、反射的にそんな“返事”を返した。
──返してしまった。
友人兵士は心の中で額に手を当て、項垂れる。
(やりやがった──)
一介の兵士(※性別・男)がシルティアに話しかけられて、それに答えてしまった。
いつもなら彼女に何を問いかけられても、敬礼と首振りだけで応えるのがここの不文律だ──でないと。
シルティアと会話を“成立させた”男を見て、エリアルのアメジストの宝石のような瞳に淀んだ陰が差す。
(もう終わった……)
友人兵士は遠い目をし、言った当人は膝を震わせるばかりになる。
「えーと、君、だれだっけ」
シルティアの膝からゆらりと顔を上げたかと思うと、名前を聞くエリアルに恐怖する。
(……また、あの時みたいに“舌を抜かれる”のか──)
一瞬、そんな噂話が、脳裏を掠める。
自分達が仕えているこの国の王子はかなり人間として破綻している。それも、悪いことを悪いと思えない、蟻と人の命が本当に同列に感じているタイプの。
それは、そばで働いている者なら知っている事実。
よりによって、それの悋気を起こすとは。
すでに魂が抜けかけている兵士に、エリアルがゆっくりと近づいてくる。
しかし、その時。
「──エリアル様。そのような者より、わたしのほうを見てください」
その言葉にぴくりと反応したエリアルはシルティアを振り向いた。
「いまは、殿下は、わたしに謝罪してくださっているのではなかったのですか?
わたし以外の方に、意識を向ける余裕がおありですの?」
「! ごっ、ごめんね! そうだった!
ごめん、謝るから、もう一度名前を呼んで?」
びくりと肩を跳ねさせてシルティアのもとに帰り、跪くエリアル。彼女の片手をとると、ぎゅうっと握りしめた。
「ごめんね、きみがいるのに余所見なんてして。怒っている?」
「いえ、わたしも配慮が少し足りませんでした」
そう言って、あえて小さくため息をついてみせたシルティアは、エリアルから目を逸らす振りをしてエリアルの気を余計に惹く。
そうして、自分に詰め寄ってくるエリアルの頭の後ろに回した手を、兵士にむけてサッサッと振った。
早くどこかにいけ。の合図だ。
すぐにそれを汲み取った兵士──先程まで震えていた彼は、涙ぐみながら、足音を立てずその場から速攻で退却した。
友人兵士は、少し困ったような顔でその後ろ姿を見送るシルティアに向けて、深く、深く、心の底から深ーく感謝の意を込めて、頭を下げた。
「いまのことは忘れてくださいますか?エリアル様」
「きみがそう言うなら」
それはつまり、エリアルは、さっきの彼を咎めることはしないという約束だった。
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エリアルの子供の頃は本当に、父である現王が心配していたという。この子を次の王位につかせて良いものかと。
一人息子で、頭も良く剣の腕も立つ、他の能力も申し分ない。
なのにそんな息子の、何を見たか聞いたか──誰もその秘密は知らないが、そんな悩める王が前向きな考えに変わったのは、エリアルがシルティアと出会ったからだった。
エリアルはあの舞踏会の夜、シルティアに一目惚れをした。
そして、その場でプロポーズをして“見せた”直後、彼女のためなら人らしく生きてもいいと、そのうえで国のために働いても良いと決めたと王に宣言しにきた。
それを聞いた王は、彼女がいれば、彼がたとえ道を過っても軌道修正ができる、ぶれない完璧な政治が可能な王になれると考えた。
ただ一歩間違えれば暴君だが。
シルティアが彼の歪な考えに染まってもおしまいだが。
ヤバい王子の舵取りを、ひいては国の行く先を、令嬢ひとりに押し付けるなんて正直どうかしている。
だが、王も必死だった。王妃も必死だった。
素早くシルティアとエリアルの婚約を結び、彼女を完全に囲い、彼女に王妃教育と王の教育のどちらも施した。
シルティアには、エリアルよりも王のことを理解してもらい、かつエリアルをコントロールする者として色々と自覚してもらう必要があったからだ。
そうして今に至る。だから──
「ねえシル。シルティア。僕はきみを愛しているよ。君も僕を愛しているでしょう?
ねっ、君には僕しかいらないよね?」
膝に顔を埋めてくるエリアルに、シルティアは微笑む。
「ええ。でも、わたしは、未来の王妃としてこの国の民の全員を……いえ、世界のすべての人々も慈しみたいですから。
エリアル様以外を全ていらないとは言えませんね」
こうして、折に触れては、エリアルに民のことを思い出させるよう、彼女は言葉を選んで返してきた。
「また、そういうことを言う。君のそういう皆んなに優しいところも好きだけど……あんまり言わないで。ぜんぶ壊したくなる」
「まあ、怖いことを」
エリアルの不穏な言葉に、兵士がびくりと肩を揺らすなか、シルティアはくすりと笑ってみせる。
「……でも、あなたが真っ当な王子でいられるために、わたしはここにいるのです。あなたを支えるのが、わたしの役目……放棄されては困りますわ」
「うーん……まあ、そうなんだけどさ……」
眉を寄せて複雑そうに唸るエリアル。わかりやすく、納得いかないという顔。
その頬に、シルティアはそっと手を伸ばす。
「……でも」
静かに、こめかみから金の髪を指で梳いた。
「愛していますよ。」
「そう?……ふふ、そっか」
くすぐったそうにエリアルが笑い、髪に差し入れられたシルティアの手にそっと自分の手を重ねる。
「うん、僕もシルを愛してるよ。きみが他のたくさんのものを愛してもいい。僕にはきみしか一生いらないけど、きみが愛するものなら僕もきっと大切にしてみせられるよ」
──みせられる、ね。
粘りつくような愛の台詞を言いながら甘えてくる王子。
それをいなしつつかまいながら、シルティアは、改めて気を引き締めなければ……と心の中だけで思った。




