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婚約破棄事件の首謀は神父ということで判決が決まった。
しかし、外部の介入は、明白。
神父は極刑を免れ、聖務院の管理下に置かれることになった。
信仰も、愛も、否定はされない。だが二度と、外には出られない場所だ。
一方で、彼に拾われた娘であるクレアは王城の保護下へ移ることになった。
彼女は首謀者ではない。ただ、信仰に利用された“被害者”だったというのが、理由だった。
それは慈悲であり、同時に政治的判断でもあった。
聖女の立場は、個人の感情よりも重い。もともと王族との婚姻は、聖女の力を国に縛るためのものでもある。この状況になっては、“婚姻”などなくても彼女を城の監視下で運用する格好の理由になっただけだった。
神父の移送が終わり、クレアの荷が兵たちによって教会から王城の部屋に運ばれてくる。新しい部屋は、一時的に置かれていた部屋より広く日当たりもいい。
荷運びの兵士たちが廊下を往復する様子を、シルティアはその列の外側から静かに眺めていた。
窓の外では、王城の庭を渡る風が、木々をわずかに揺らしている。
ただ——その時、侍従がひとり駆けてきたかと思うと、首を振りながら兵士に何かを告げ、兵士が肩を落とすのを見た。
「だめです、ご本人が出たくないと。荷も、このままでいいと仰って」
「前の部屋におられるのか」
困りきった声。シルティアは侍従が駆けてきた方向は視線を向ける。
靴先を向け、歩き出すと、やがて、部屋の前に、中に入れずに立ち往生している人だかりを見た。
彼らはシルティアを視界に入れると、ハッとしたように一歩ずつ扉から離れた。
前へ進み、扉を叩く。
「……クレア様。よろしくて?」
はい、と中から控えめな声が返る。
シルティアは扉を開け、中へと足を進めた。
クレアはベッドの木枠に腰かけていた。
「……シルティア様」
頭を上げ、シルティアを見返す。その目の縁が真っ赤になっていた。
可哀想に思う気持ちはシルティアにもあったが、すぐに切り込む。
「まだ、出られないと聞きましたわ」
「……っ、すみません」
ハンカチで鼻を覆い、潤んだ目を擦りながら、クレアが顔を逸らす。その目の奥が随分と暗かった。
「……クレア様、こちらは人が暮らすのに向いた部屋ではありません。短期間ならともかく、今後は」
「わかって…います」
クレアが項垂れた声で挟んだ。
「新しいお部屋、見せていただきました。……でも、私、わたし……あんな立派なところ……っ」
シルティアがぴくりと眉を寄せた、それと同時に、クレアの声が一気に跳ね上がる。
「必要ありません……!」
それからまくしたてるように続く。
「私は、父があんなことをしたのに、ずっと気づいていませんでした! 学園では、シルティア様にも殿下にも失礼なことをたくさんしてきました!
私はあまりにも愚かで……私も、父と同じように捕まるべきでした……!」
あまりに切実な、本気の声だった。
しかし。
「だから、せめてもの罰として、この薄暗い部屋に閉じこもると仰るのね」
シルティアの凛とした声がそれを遮った。
言葉を詰まらせたクレアが、シルティアを見る。
「それほどショックな出来事だったことは、理解します。同情もしています」
シルティアは優しい顔をしなかった。
「ですが——そんな自罰は不要です」
一言で切るように、落とした。
「あなたは聖女です。その力をもって、生涯、国に奉仕しなければならない存在です。弱るとわかっている環境にわざわざ身を置いて自分を傷つけることも、閉じこもることも、許されません。今回の措置はそういうことです。必要だから残されている。罪を問われない。罰が欲しいなら、まずそれを自覚することですわね」
「わ、私……」
「あと、城の者は大半が聖女より下の身分です。あなたが『こう』と言えば逆らえないし動けない。反省する気持ちがあるなら、その影響と迷惑まで考えてください」
「……」
クレアが俯く。ずっと平民だった彼女が、急にここまで理解するのは難しいかもしれないが、わかってもらわなくては今後が困る。
シルティアは扉の外からこちらを伺う気配を背に感じながら、ふっと息を溢し、手のひらをクレアにむけて差し出す。
「……行きましょう」
「……は、い」
弱々しい声で返事がある。怖々伸ばされた手をそっと取り、軽く引いて立ち上がらせた。
部屋を出て、面食らった。扉を開けると、さっきまでいたはずの兵士たちが姿を消していて、代わりのように立っていたのはエリアルただひとりだけだった。
「やあ」
と朗らかに笑う彼に、シルティアは苦笑した。クレアは無意識に少しだけ頭を引っ込めるようにして、シルティの背に隠れた。
「引越しの日、今日だったと思って。シルティアのことだから来てるんだろうなって寄ってみた」
「ご明察ですわ」
三人で新しい部屋に向かって歩き出す。
その背後でこそこそと兵士たちは部屋の中の残りの荷を運び出しにかかった。
それからしばらく。三人は、新しい部屋の前で、荷が運びこまれていくのを見ていた。
やがて、廊下の行き来が減った頃、クレアがふと口を開いた。
「殿下は、シルティア様としか、結婚されるおつもりはないんですよね」
何かを考えているような口ぶりだった。
エリアルがわずかに眉を上げる。
「うん。ないね」
迷いのない即答だった。
「シルティア以外は、ないよ」
はっきりと断言する。
「……そうですよね」
クレアは、小さく頷いた。
胸元に手を当て、深く息を吸う。その仕草は、耐えるためではなく——整えるためのものだった。
「……では」
顔を上げる。
「殿下は、そのままでいてください」
一瞬、シルティアが彼女を見る。
クレアの目は、まだ潤んではいたが、揺れてはいなかった。
「そのうえで、聖女である私が、どうするべきなのかを……考えます」
空気が、静かに変わり、クレアは一礼する。
「……本日は、ありがとうございました」
それだけを残して、部屋の中へ。「私も手伝います」と明るさを装った声で入って行った。
扉が閉まる音が、やけに小さく響く。
しばらくして、エリアルがぽつりと言った。
「……あれ、怒ってた?」
「いいえ」
シルティアは首を振る。
少し間を置いて、静かに言った。
「覚悟を、決めただけでしょう。この城の中で、聖女として求められる道をどう歩くのか、考えながら進むことを」
エリアルはほんの少しだけ考える素振りを見せる。が、すぐに「ふうん」と言って興味を失ったように視線を逸らした。
「まあ、問題はなさそうだね」
窓の外を見る。
王城の上に、雲が流れていく。
聖女と王家。
婚約者。
選ばれる者と、選ぶ者。
今回の一件は王城の一部を静かに揺らした。
その時、控えめに横から割り込む声。
「失礼します。殿下」
近衛が、短く報告する。
「学園側の入退記録を洗いました。
“王子”を名乗っていた男——変身のペンダント。あれは、学園の結界門を通れません。毎回、中に入ってから変身したものと」
一拍置いて続ける。
「ですが、あそこでは、職員も搬入の業者も顔と名を記録しています。外の者が紛れるのは容易ではありません」
シルティアの目が、わずかに細くなる。エリアルに向けて言う。
「……やはり。以前、クレア様にも聞きました。エリアル様と会っていた場所……本物のエリアル様の導線と重ならず、人目もしのげる。向こうからの指定だったようですが、よく考えられていましたわ」
エリアルが静かに口角を上げる。
「うん。中のことをよく知ってる誰かがいるね」
窓枠に指先を置き、軽く叩く。
「——鍵は、内側にいる」
外の雲が、ゆっくりと形を変えた。




