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ヤンデレ王子に愛される婚約者令嬢のおかげで、王国は今日も安泰です  作者: 月乃ふくや


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序幕の月




 この世界に神なんていない。


 だけど僕の世界に女神様ならずっといる


 


 まるで、空の上の月がそのまま落ちてきて人の形をしたみたいだった──。

 後に幾度も語られることになる、ある国の王子と、未来の婚約者となる令嬢との出会い。

 それは、国の記念日を祝う宴の夜のことだった。



 その日、宮殿では盛大な舞踏会が開かれていた。

 幼い王子、エリアル・ライトリング・アーチボルトも日が暮れるまでの出席を命じられており、入れ替わり立ち代わり現れる貴族たちに、年齢に似合わぬ完璧な応対を見せていたが、その内心は呆れていた。

 

 朝から王宮は祝い客で賑わい、騒がしかった。

 昼には庭で立食の茶会が催され、エリアルと同年代の貴族子女たちが顔を揃えたが──それが自身の“見合い”を兼ねていることを、彼は悟っていた。


 しかし、リボンやフリルのついた幼い令嬢たちとの会話は退屈なママゴトにしか感じられなかった。

 なのに、その近くの母親たちの目は、自分の放った煌びやかな餌に大魚が食らいつくのが待ちきれないとばかりにギラギラしている。


 ──別に、“王子”の婚約者の席を狙うのが悪いことだとは思わないけど


 だけど、もう少しそのいかにもな表情は上手く隠せないものかと彼は思っていた。


 エリアルは、恋愛にも結婚にも特別な憧れは持っていない。

 ただ、将来国母になる相手を選ぶのだから、王家と軋轢のない家柄で、品性のある家の子のほうがいい──それくらいの理屈はわかっているつもりだった。

   

 ──せめて少しは賢そうなふりをしてくれればいいのに


 人をおだてたり喜ぶことを言って気持ちよくさせるのは簡単だが、話すのが好きなわけではない。


 朝から昼から、そして夜になった今も続く愛想笑いに、エリアルはいつにも増して多大なフラストレーションを溜めていた。

 

 だから──


「ねえ、もう、いい?」


 舞踏会も一通りの挨拶が終わった頃、彼は王と王妃に小声で尋ねた。

 ──尋ねた、と言っても、ほとんど宣言のようなものだったが。


「もうこんな時間だったか」


 目を丸くした王が小さく呟く。そして、小首をかしげて息子を見やる。


「気になる者はなかったか?」


「うん」


 王の問いに、エリアルは笑顔で即答した。


「あ、でもね。ルシフェル侯爵とダンウィル伯爵のご令嬢は、ずいぶん羽振りが良さそうだったよ。

 あの領地、数年前の大雨と水害で作物の収穫量が落ちてたはずだけど……別でしていた事業がよっぽど儲かってたのかな」


 王と王妃は一瞬だけ顔を見合わせ、それから目を細めた。


「そうか、彼らが……。一度、近いうちに話をしてみるとしよう」


 王はそう言って、そっとエリアルの肩に手を置いた。


「もう遅いことだし──お前は、休んでおいで」


「おやすみなさい、エリアル」


 そうして、王がここで幼い息子が退席することを宣言すると、エリアルは静かにその場を後にした。

 大人たちのダンスが始まった賑わいに乗じて、大広間を抜け、そのまま裏の庭へと降りる。


 もちろん背後には護衛がついていたが、いつものことだった。


 彼らは護衛、つまり“空気”──エリアルにとって、気に留めるほどの存在ではない。




 ……しかし、


 このあと、月が落ちる。



 

 喧騒から離れ、裏庭へ出たエリアルは、小さく息を吐いた。

 宮殿の灯りが遠のくごとに、月明かりだけが静かに広がる。


 白く光る道に、自分の影だけが細長く落ちる。

 強くない風に混じる草の青い匂いが鼻をついた──そのときだった。


「だめっ!」


 空気を射るような、幼い子供の声。

 

 同時に、「にゃっ」と追い立てられるように茂みから飛び出してきた白猫が前を横切り、エリアルは思わず立ち止まった。


 猫が出てきた茂みに視線を向けた──その瞬間。


 視界を、銀の髪が撫でた。


 低木の生垣、その向こうに、地面にしゃがみこんで何かを掬い上げる少女の背中があった。


 顔は、よく見えなかった。小さな肩にかかったそのまっすぐな髪の一房が、横顔の頬から下の輪郭を隠していて。

 

 ふっと、少女が立ち上がる。緑のドレスの銀刺繍が月の光を跳ねて瞬く。

 けれど、その手の上にいるのが羽と首があらぬ方向に折れた鳥の雛だと気付いた時、エリアルはほんの一瞬、体の動きを止めた。


 少女の見た目はエリアルと同じ歳くらいの幼い子どもだった。

 なのに、そんな小さな手の上に、歪んだ体でもがき鳴く雛がいる。──少し、異質だった。


 それでも、少女はその命を壊れもののように丁寧に手のひらで抱きしめていた。


「……いい子、ね。大丈夫。わたしがちゃんと連れて帰るから」


 俯きがちに伏せたまつ毛を震わせ、言い聞かせるように、少女はそっと雛の羽根を撫でる。


 ふと、彼女のそばの木から、ピィピィと鳴く兄弟鳥たちの声がしているのに気づき、エリアルは察する。


 先ほどの猫。だめ、と言った声。


 巣から落ちて猫に襲われていたあの雛を、この少女が咄嗟に守ろうとしたのだろう、と。


 しかし、そう理解しても、エリアルには納得できなかった。


 ──弱い生き物が他の強い生き物に喰われるのは自然の摂理だ。


 ──そうでなくても羽も生えそろっていない雛鳥なんて、巣から落ちた時点で末路は見えていて、わざわざ猫を追い払う意味なんてない。


 なのにそうした少女の行動は、いかにも子供らしくて愚かに見えた。


(そんなことをしたって、救いはないのに)


 結果的に、猫は腹を膨らませられず、雛鳥はただ死ぬまでもがき苦しむだけ……。


(合理的じゃない)

 

 そう、冷静な頭の部分では思うのに。


 同時に、雛を両手に抱いて慈しむように胸に当てた幼い少女から、なぜか目が離せない。


 頭は、いつもどおり冷静な見解を出している。


 なのに、少女の銀の髪が、木の葉の隙間から差しこむ月明かりを受けて輝くと、釘付けになる。


 その髪が風に吹かれる。


 一瞬だけ、全て露わになった横顔が、まるで死を悼む月の女神の化身のように見えて、息が止まる。


 胸の奥で何かが、はっきりと音を立てて弾けた気がした。


 時間が、流れていかない。

 

 ぼうっとする頭は、ただ、その子とその子の抱いた雛鳥の声だけを捉えていて。


 そのまま、どれくらい見ていたか自分でもわからない。


 ──誰だろう、この子は。


 何か、言葉をかけようと足を踏み出しかけた。しかし、エリアルが口を開くより先に、ぱき、と足元で枝が折れる。


 音に気づいてハッと振り向いた少女と、視線がぶつかった瞬間、思った。


(吸い込まれる──)

 

 エリアルが対峙したのは、月の表面のような灰色の瞳だった。


 決して、目立つ色ではない。どちらかというとこの国では地味なほうだ。


 だけど、ただ逸らさずにまっすぐに見つめ返してくるそれが、とても深くて、綺麗だと思った。

 痺れるような感覚が、目から全身にむけて走る。

 

 生まれてこのかた、整った容姿の人物なんていくらでも見てきた。

 

 だけど、胸がうるさく鳴る。

 目を合わせているだけで、自分の頬が、体が、熱くなる。


 話すのは下手ではないはずなのに、うまく言葉が出ない。

 声すら満足に出せなかった。


 名前を知りたい、話したい──ただ、それだけで心がいっぱいになっていく。


 けれど、宮殿のほうから大人の呼ぶ声が響き、少女がそちらに目を向けた。


 ──行ってしまう。


 それを察した瞬間、体が勝手に動いていた。


「ま、待って……!」


 勢いよく茂みを掻き分ける。


 まだ話したかった。

 行かないで欲しかった。

 離れないで欲しかった。

 自分のそばから。

 どこにも。


 少女が驚いたようにエリアルを見つめ返す。それだけでもう。


(──心臓を、持っていかれる)


 耳ではすぐ近くまで来た大人の足音を捉えながら、ごくりと唾を飲み込み、胸を押さえたエリアルは、口にする──


「あ……あのっ! ぼ、僕とっ、結婚してくれる……っ?」


 ……それは、ちょうど、その少女の保護者らしき人物が姿を現した瞬間のことだった。



 



──



 ──あの出会いの瞬間、エリアル王子は突発的に、けれど“計算高く”少女に婚約を申し込んだ。

 それは、胸の内から溢れた言葉であると同時に──人々の前で告げることで、彼女を自分のものに縛りつける一手でもあった。



 そんな彼だからこそ──

 

『シルティア・フォン・ルネライト嬢!! 僕は君との婚約破棄を宣言する!』


 ──年頃に成長した二人が通う学園の卒業パーティーの最中に、そんなエリアルの声が響き渡った瞬間、シルティアはその灰色の目を丸くするしかなかった。



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