第九話:担任教師は○○好き
屋上で不貞寝をしていたオレは、こんな気持ちのまま大して眠れる訳も無く、携帯のゲームをしながらごろごろと無駄に時間を過ごしていた。
そんなオレの耳に昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、更に憂鬱になる。
しかしながら、こうしてごろごろと何をしていなくても、十代の若さってのは自然とエネルギーを消耗するもので、オレの腹は空腹を覚えていた。
「あー、教室でっ時、弁当も持ってくりゃよかったな……」
教室に向かえば、あのムカつく金髪執事に会う事になる。それに何より、あの弁当はオレにとって最後の弁当になるかもしれない。
そう思うと余計に教室に向かうのが億劫になってくるのだった。
けれども腹の虫は早くと急かし付け、オレは体を起こすと、重い足取りで屋上を出る。
階段を下りてゆくと、目の端に白衣を着た教師の姿が映る。別に珍しい光景ではない。
オレは教室に向かおうとその教師とすれ違う事になったのだが、急にその教師がバサッと白衣を広げたのだ。
その教師は何かをボソボソッと言っていたのだが、オレはその教師の広げた白衣の中を見て我が目を疑った。
「ミカ!?」
そう、そこにはぴったりとその教師にしがみ付くミカの姿があったのだ。
ミカの姿を見て、嬉しさや寂しさやら、色んな感情が湧いて出たが、
な、何だこれは!? 夢か!? 幻か!?
だとしても何で教師にしがみ付いてやがんだ!?
オレは教師の顔を見て更に愕然とする。
た、確かこいつは、ミカのクラスの担任で、福山っつったっけ?
愛想の欠片もねー教師だが顔はいいって、女子どもが騒いでんのを聞いた事あっけど……。
オレはもう一度改めてミカを見てみる。
不安そうにオレを見つめ、そして視線を外し、更に請う様に担任教師を見上げている。
その視線を外した時、オレの後ろを見ていたなんて知る由も無い。そこに金髪執事が迫っている事など……。
まぁ、知った所で、結果は変わらなかったのだろうが、オレはミカが自分以外の男に縋り付いてるのを見て、今までの苛立ちも合わさって、物凄い腹立たしくなったのだ。
そこでオレは、
「おい、ミカ! お前何してんだよ!」
そう怒鳴って、ミカの手を掴もうとした。
しかし、
「ニ゛ャーー!!」
パシィッ!
ミカが奇声を発してオレの手を叩き落とした。
一瞬オレは、何をされたのか理解できない。
呆然とする中、ミカが真っ赤な顔で、
「だ、駄目ですニャン!」
と叫ぶ。
ニャン……これは切羽詰ったり必死になってる時に出てくる口癖だってのは、ミカと付き合ってる中で分かってきた事。
ミカは今にも泣きそうに、クシャリと顔を歪めると、何か言いたそうに口を開けたり閉じたりしている。
すると、今まで無言だった化学教師の福山が、グイッとミカの腕を掴んだ。
「行くぞ、昼休みが終わってしまう。いつまでもこんな下らん事で無駄な時間を過ごすつもりは無いぞ」
「えっ、あ……」
半ば引きずるようにミカを連れてゆく福山。
「お、おい――」
オレは引き止めようとして、そのまま言葉を詰まらせてしまう。
何故なら、福山が此方をじろりと睨みつけたからだ。
そして冷たい声で、
「教師として一言いっておくが、諦める事も時には大事だぞ」
そんな事を言ってフンと鼻で笑うと、そのままミカを連れて階段を下りて行ってしまったのだった。
「………」
呆然とその場に立ち尽くしているオレ。ふと自分の手に目を移す。
大して痛くなかったが、ミカが拒絶したその手は僅かに震えていた。
「これで分かったでしょう?」
いきなり背後から声を掛けられ、ビクリと肩を震わせてしまった。
「杜若……」
今一番聞きたくないヤローの声だ……。
「ミカお嬢様はあなたを拒絶した。つまりあなたはもう必要ないと言う事です」
その言葉はグサリと胸に突き刺さった。
「……これからは私がミカお嬢様をお守りします。ですので、あなたはもう、ミカお嬢様……いえ、ミカに会わないでいただきたい」
「っ!!」
オレはバッと振り返って奴を睨みつける。
しかし、何処までも真剣で真っ直ぐな奴の瞳に、オレはすぐに目を逸らしてしまう。
確かに、ミカはこいつと居る方が幸せなのかもしれない……。
でも……。
ギリッと拳を握り締め、歯を食い縛る。
やがてフッと力を抜き、弱々しく笑うと、諦めたようにオレはこう言った。
「分かった……ミカとは会わない……」
すると、一瞬目を見開かせた杜若は、ホッとしたように小さく息を吐いた後、ニッコリと笑って、
「それを聞いて安心しました。実力行使も厭わない所でしたので……賢明な判断です。
では、あなたとのお話はここまでに致しましょう。私は先程の教師の件でミカを問いたださねばなりませんので」
そう言って、優雅な所作で礼をすると、オレの脇を通って行ってしまった。
オレは近くの壁に寄り掛かると、ハァーと溜息をつく。
「ああ、また振られちまったな、オレ……」
ミカとはそんな事ないと思ってたんだけどな……。
+++++++
私の目の前には、福山先生の白衣に覆われた背中。
腕を掴んで歩いていながらも、此方の存在など全く無視したような歩み。
殆ど駆け足のような状態で、私はその背中に必死についてゆく――
「ちょ、ちょっと先生!? はやっ、歩くの速いです――んぶっ!」
先生は私の言葉に答えたからなのか如何なのか、いきなり立ち止まり私は彼の背中に見事にぶつかった。
あうぅっ、い、いたひですっ! 鼻ぶつけまひた……。
涙目で鼻を押さえていると、福山先生はゆっくりと此方を振り返った。
途端に、ビシィッと固まる私。
こ、こはひ……。
今の福山先生をどう言ったらいいものなのか、ズゥォォォォンと音が付きそうな位、何だか只ならぬオーラが噴き出している。
しかも、その眉間を走る縦皴は、いつもより数本多く、その目は冷たいなんてもんじゃなくて、極寒の地を思わせるブリザードの如く冷えに冷え切っていた。
「にゃ、にゃにゃにゃにゃんですかっ!?」
恐怖のあまり、プルプルと細かく震えながら、涙目で思わず去年の夏休みの負の遺産たる猫語まで使ってしまう。
だがしかし……。
「ぴっ!?」
これ以上もう怖くなりようが無いと思われた福山先生の顔が、ますます恐ろしい事に……。
なんと皆様……彼はその表情で唇の端を持ち上げて、ニヤッと……ニヤッと笑ったのでありますよっ!
これはもう、怖いなんてもんじゃありません! 恐ろしすぎますっ!
あうあう~、こあいよこあいよ~呉羽んとこに行きたいよ~。
私はますますプルプルと震えてしまう。
すると、福山先生。これまた恐ろしく低いバリトンの声で、「おい……」と声を掛けてきた。
ぎゃひ~! うわ~ん、呉羽~、助けて~!! 吏緒お兄ちゃんでもいいから~!!
しかしながら、返事をしないことにはこの状況もこのままな訳で、私は消え入りそうな声で、「ひゃひ……」と返事をした。
すると先生はピクッと眉を動かして、またもや低い声でボソリと言う。
「……それは何だ……」
「ふぁい?」
「だからそれだっ!」
「にゃっ!!」
いきなり声を荒げるものだから、またもや猫語を発してしまった。同時に身体も縮込めてしまう。
福山先生はヒクリと口の端を引き攣らせると、
「……何故猫語なんだ……」
「へ!?」
「……それに、何故微妙に震えている……」
ソレハアナタガ、死ヌ程恐ロシイカラデス……。
「……何故涙目なんだ……」
恐ロシクテ、泣キソウナノデス……。
「チワワの様に震えながら、猫語を話すとは何事だっ!!」
「ぬへぇぇぇええ!?」
お、怒ってるのそこぉ!?
先生は、教科書を小脇に挟み、自分の両手を眺めながら深刻そうに……と言うか、何かに耐えるように、
「チワワと猫……二つの可愛い生き物を一辺に表現するとは……先程も見事な猫パンチだった……」
「……はい?」
先程? 猫パンチ?
……ああ! 呉羽の手を叩き落としちゃったあれか!
アハハ、あれが猫パンチかぁ――って、えぇぇぇ!? 何言ってるの、この人!?
それで何でここまで怒ってるの!? 嫌いなの!?
そう思って、怖いけど恐る恐る訊ねてみた。
「あの、福山先生って、チワワとか猫とかが嫌いなんですか?」
すると、福山先生は少しばかりキョトンとした顔になって首を振る。
「いや、大好きだが?」
「えぇ!?」
「まぁ、小さい生き物は皆好きだ」
じゃあ何でそんなに怒った顔してんですかね、この人!
福山先生は、再び両手を眺めて、その手をプルプルと言わせてきた。
「あのような可愛い生き物は、こう、思い切り抱き締めたくなるじゃないか……」
「は、はぁ……」
「しかし、抱き締めたら抱き締めたで、愛しさのあまり抱き潰してしまいそうじゃないか……」
「……えっとじゃあ、何でそんなに怒ってらっしゃるんで?」
「怒る? 私は怒ってなどいないが?」
「え? でも、眉間に皴がいっぱい……」
「眉間?」
福山先生は不思議そうに、自分の眉間に触れる。そして、「ああ」と頷きながら眉間をゆるゆると揉むと、
「これは、思わず抱き締めて頬擦りしそうになる衝動を抑えていただけだ。人前で……しかも、生徒の前でなど、できる訳がないだろう」
「………」
つまりあれか? その顔は必死に我慢してる顔だと?
抱き締めて、頬擦りしたくなるのを?
何を? ……いや、誰を?
………チーン。
私かぁぁっ!!
私はズザザッと先生から後退る。
いーやー、こないでこないでぇ!
ふわーん、呉羽ぁー! ここに変態さんが居るよぅ!!
「一ノ瀬!? 何でそういう所まで他の犬や猫と同じ行動をとる?」
少々ショックを受けた顔をする福山先生。つまり、犬猫を前にして、同じような顔をし、そして逃げられたようだ。
そりゃ当然だね。そんな恐ろしい顔で近付かれたら、どんな人懐こい犬猫でもそりゃ逃げるっしょ。だって、怖いもん。
だから私はきっぱりと言ってあげた。
「先生のその我慢顔が、死ぬ程怖いからです!」
ビシィッと指を突きつける先で、先生はピシリと固まった。
あ、もしかして傷付いた?
やっぱり、面と向かって怖いと言うのはなかったでしょうか……。でも誰かが言ってあげないと……。
それにしても、先生が犬猫好きとは……いや、可愛い生き物好き?
どっちにしろ以外です。
しかも、抱き締めて頬擦りとは……ハァッ! 駄目だ! 想像できないであります!
その顔で頬擦り?
………。
こわっ! すっごい怖いって!!
「そ、その我慢顔を止めれば、に、逃げなくなるのでは? きっと近づけるようになりますよ。頬擦りも思う存分出来ますって」
「本当か!?」
「ふにゃぁぁぁああ!!」
だからその顔で近付かないでぇぇぇ!!
私はまたズザザッと後退る。
先生はハッとなって、自分の顔を撫で、
「いや、すまない。そうか、顔か……自分では気付かぬものだからな。盲点だった……」
そしてぶつぶつと呟きながら、
「フム、我慢顔を止める……我慢するのを止めるんだな? しかし、人前で締まり顔にならないようにと、常日頃から気を使っているからな……」
「それですよ!」
「は? 何がだ?」
「先生、生徒達からも恐れられているんですよ!」
「それは教師としてでは……」
「違いますよ! いつも怒ってる顔してるから怖いんですってば! ここは普通に、そうもっと普通に! そう! 心をオープンに表情も開放しましょう!」
私は、この恐ろしい顔から開放されたくて必死であった。
だから、先生が今何を我慢してこんな顔になっているのか忘れていたのだ。
「心をオープンにか?」
「そうです、オープニング、カモン!!」
グッと力を込めて言うと、先生は一度眉を顰めてから、キョロキョロと周りを見回し、「人は居ないな」と呟いてから決心したように頷いた。
そして、もう一度顔を一撫でした後、フゥーと息を吐き出し、ついでに肩の力も抜いて、福山先生は微笑んだ。
そう、微笑んだのだ。
その笑顔たるや、元々綺麗過ぎる顔をしている為に天使も斯くやと言うほどの聖なる微笑。
今までの恐ろしさが嘘のように、何の穢れもない心が洗われる様な、そんな微笑を浮かべているのだ。
流石の私も、その笑顔には身動きが取れなくなってしまった。
本当に、無邪気という意味を、私はその笑顔から学んだような気がした。
なので、先生が此方に向かって、両手を広げた時も、その腕に抱き締められた時も、全く反応できなかった。
すりすりと頬擦りされ、互いのメガネがカチャリと当たる。
私の愛する普通メガネが、腑抜けた銀縁お洒落メガネと禁断ランデブー……。
ゾワゾワッと鳥肌がたって漸く我に返る。
「ニ゛ャー!! はーなーしーてぇー!!」
「おお!! 本当に逃げられずに抱き締めて頬擦りできている!」
先生は以外にもあっさりと放してくれた。
興奮に頬を紅潮させ、喜びいっぱいという顔をしており、今までの恐ろしい顔が嘘のように、キラキラと輝いている。
世の女性たちが見れば、一発で惚れてしまうこと請け合いだ。
姉なんぞが見たら、『いやーん、聖天使様ぁー! メルへーン!』とかって言いそうである。
「そうか、この調子で他の犬猫にも接すればいいんだな?」
いまだ抱き締められて頬擦りされたショックの拭えない私の前で、福山先生は自分の両手を眺め、自信に溢れた顔で「これで、愛しのジャクリーヌに頬擦りできる……」と呟いていた。
ジャクリーヌって何でありますか……。
そんな私の素朴な疑問を余所に、目の前の銀縁お洒落メガネのイケメン化学教師は、私の頭に手を置くと、
「良いアドバイスだった、礼を言う」
そう言って、犬猫にするように私の頭をわしゃわしゃと撫で繰り回したのであった。
抱きついて頬擦りしてますが、福山先生は変態ではありません。ただ犬猫が好きなだけなんです。ミカの事は全然女性として意識していません。
普段目つきが悪いのは、ただ生徒に舐められちゃいけないという考えから、顔の筋肉を引き締めている為です。前のミカの担任の杉本先生は福山先生にとって反面教師だったりします。
因みに彼の女性の好みは、清楚な大和撫子。和風美人が好きなんですね。
結構大食いで、両生類と爬虫類が大嫌いです。