第八話:何じゃこりゃな三つ巴
「な、何ですと!?」
私はその場でガタンと立ち上がり、叫んでいた。
周りからの視線がチクチクと痛い。
しかし、そんな事も気にならないくらい、私は衝撃を受けていた。
私の手には携帯。
そして私は今、呉羽からのメールを読んでいた。
『書店にはまだ出回っていない、オヤジ達最新巻を手に入れた。興味があれば、今日の昼休みオレのとこまで来い!』
そこにはそう書かれている。
写真まで添付され、証拠もしっかり映し出されていた。
こ、これは間違いなくオヤジ達!? しかもまだ書店に出回っていないですと!?
た、大変です! 流石はオヤジストの呉羽! どういった経緯でこのような物を!?
私もオヤジストとして、昼休みと言わず、今直ぐ実物を見に行かなくては!!
私はフラフラと教室の外に出ようと歩き出す。
「お、おい! 一ノ瀬ミカ? もう直ぐホームルーム……」
そんなカーリーの言葉など聞こえない。私はそのまま廊下へ一歩足を踏み出そうとした。しかしその時、私の目の前に白い色が……。
ピシッとした清潔感溢れる白衣。紺色のネクタイ。男性的な喉仏に顎、薄い唇……。
あ、顎の所にるみ子みたいな黒子がある……。
その意外な発見に、暫しぼんやりとその黒子を見ていたら、
「……一ノ瀬、ホームルームだ。席につけ……」
ゾクリとするような美声に、ハッとして顔を上げると、銀縁お洒落メガネの奥に、切れ長で冷たい目があった。それに掛かるように、黒く艶やかな前髪。
そう、彼はこのクラスの担任の、福山先生であった。
先生は、私を中に押し込むと、後ろ手にピシャリと扉を閉めてしまう。
はう~、オヤジ達が~……。
「一ノ瀬……」
静かだが、有無を言わせない先生の呼び掛け。私はゆるゆると顔を上げる。
少々恨みがましくねめつける様に見てしまう。
だってだって、この福山先生が私が特進だって言わなけりゃ、呉羽と離れ離れになる事なかったんですよぅ。
今頃、呉羽に親父たちを見せてもらってた筈です……。
うう~……でも先生、るみ子と同じ所に黒子があるなんて気が付きませんでした。まぁ、こんなに間近に見る事なんて無かったですもんね。
ムクク、福山先生は綺麗系のイケメンですから、女装すれば案外似合うかもしれません……。
ちょっとした腹いせに、私は福山先生の女装姿を思い浮かべ、思わずにやけてしまいそうになるのを堪えた。
そんな私を、相変わらず冷たい目で見下ろし、
「何をしている。早く席に戻れ」
と、言ってくる。
私は一度扉の方を見てから、ハァーと溜息をつくと、肩を落として先生の言うとおりに席に着いた。
これはやっぱり、お昼休みじゃなくちゃ駄目ですね……。
あ、でも、吏緒お兄ちゃんにばれないようにしなくては……ううーん、一体どうすれば……。
私はホームルームの間、吏緒お兄ちゃんにばれずずに呉羽に会う方法を模索していた。
お陰で、出席を取るとき、名前を呼ばれたのに気付かず、カーリーに小突かれて漸く気付いて福山先生に物凄く睨まれてしまった。
そして、ホームルームが終わって、一時限目の授業の用意をしていると、誰かが私を呼んでいる。
ハッと顔を上げると、福山先生が黒板の前で、私の名を呼んでいる事に気付いた。
はて、何ですかな?
私はとことこと先生の元に行く。
福山先生は相変わらずの冷たい瞳で私を見下ろしてきた。その薄い唇から紡ぎ出される美声。
その言葉は私を奈落へと突き落とす。
「昼休み、話があるから職員室まで来い」
ガーン!! 何てこったい!! 呉羽との約束が!!
ああ、でも会っちゃいけない事になってたんだしな。吏緒お兄ちゃんに内緒で会うなんて無理っぽいしな。
ああっ、でも! オヤジ達! オヤジ達がぁ~!!
「一ノ瀬、返事は?」
頭を抱えんばかりに悩む私の耳に、そんな先生の声が届く。
私はそんな先生の質問に、小さく「はい」と返事をするしかないのだった。
++++++
オレは携帯を開き、先ほど自分で打ったメールを眺める。
うーん、ちょっと卑怯だったか?
いや、こうでもしなけりゃ、ミカはオレに会ってはくれないんじゃねーか?
あの事を謝るにしろ、弁解するにしろ、まずは会って話をしない事には始まらねーもんな。
そう思って赴いたミカの教室。
しかしながら行ってみたらミカは居ないし、誰かに聞いてみたくとも、尋ねられる雰囲気じゃなかったしで、結局はメールに頼るしかなかった。
証拠の写真も添付して、後は返事を待つだけ……なのだが、いつまで経ってもミカからは何の反応も無い。
電源でも落としてんのか?
自分の教室に戻れば、会いたくない奴がいる。
そう、杜若のヤローだ。
奴は戻ってきたオレを一瞥すると、フンと鼻で笑いやがった。
きっとオレの様子に、ミカとは会えなかったのだろうと推測しての事だろうが。
何か物スゲーむか付く……。
「あれ? 如月君、一ノ瀬さんに会って来たの?」
「あら? でも、お姉さまには会ってはいけないのではなくて?」
首を傾げる薔薇屋敷と日向。
二人は、オレがミカと距離を置いた事を知っているようだ。
つーか、薔薇屋敷。会ってはいけないって……距離を置くってだけで、何で会っちゃいけない事になるんだよ。
口にするのもムカつくので、オレは無言のまま席に着く。
これまたムカつく事に、席はこいつらの真ん前だ。
オレは腕を組んだまま、振り返らずに前を向き続ける。
すると、いきなりガタンと衝撃を受け、オレは其方を睨みつけるように振り向いた。
日向が机を近づけた為、椅子の背もたれが机の側面にぶつかったのだ。
オレはそのまま無言で睨みつける。
「うわっ、なんかすっごい機嫌わるっ! なんか、以前の如月君に戻っちゃってるよ!
アハハ……いや、ごめんごめん。でもさ、何だって一ノ瀬さんと会えない事になっちゃってんの? 乙――薔薇屋敷さんも理由は知らないって言うしさ。事情を知ってる杜若さんも如月君に聞けって……」
日向の言葉はだんだんと尻窄まりになってゆく。
俺が睨みを強めたからだ。
杜若がオレに訊けだぁ!? よりによってこのオレに!!
何処までムカつくヤロー何だよ、杜若!!
それに日向! おめーもムカつく!
今おめーは、薔薇屋敷の事下の名前で呼びそーになったろ。人のいねー所では、すげーラブラブだって聞いたぞこら!
オレへのあてつけかってんだよ、このヤロー!
一度イライラし出すと、色んな事にムカついてくるようで、オレは八つ当たりするように怒りを日向に向けている。
しかしそれは、一番そう思われたくないヤローにもそう映るようで、
「八つ当たりとはみっともない事をしますね、如月呉羽。ミカお嬢様の所に行っても会えなかったのでしょう? ミカお嬢様はあなたにお会いになられませんよ。
まぁ、どうしても必要な用事であれば、私を通してください。ちゃんと伝えて差し上げますから」
「………」
オレと杜若の間に見えない火花が散った。
「さむっ! 今、この教室内の温度が一気に5℃は下がったよ!」
「あはん、お姉さまを巡っての男同士の戦い。泥沼チックですわ」
他の生徒もそんなオレ達の様子に気付いたのか、ハラハラとして此方を見ている。
そして、その雰囲気を打ち破ったのは、このクラスの担任で、以前もオレ達の担任をしたあの先生。病から復活した数学教師で気弱な杉本だ。
オレと杜若は睨み合いを止める。それと同時に、ガタンと席を立った。
「ああっ、如月君? ああああの、ホームルームが始まるので席に――ヒィッ!」
教室を出ようとするオレを引き止めようと杉本が声を掛けてくるが、此方がひと睨みすると相変わらず気弱な杉本は、怯えてあっさりと一発で引いた。
目の端に、余裕の笑みを浮かべるあのヤローが映った気がしたけれど、オレは見ないフリをしてそのまま教室を出る。向かう先は屋上。オレはそこで不貞寝をする事にした。
だってよ、こんな気持ちのまま授業受けたって身に入る訳はねーし、隠し切れないラブいオーラを放つ薔薇屋敷日向カップルと、勝てる気がしない何処までも完璧ヤローの杜若の存在がある限り、オレはどうしたってこのムカ付きを押さえる事ななんか出来ねぇ……。
そして、屋上にやって来たオレは、早速ふてにをしようといつもの低位置でごろんと横になるのだが、一人になる富む活よりも、ミカに会いたいという気持ちが強くなる。
ただでさえ、この屋上はミカとの思い出の詰まった場所だ。そうなって当然といえば当然かもしれない。
オレは懐から一冊の本を取り出す。
そう、オヤジ達だ。
これに釣られて来てくれるだろうか。
ぼんやりとした面持ちで、オレは携帯を取り出す。
何気なく眺めていると、不意に何故か、お袋の言葉が蘇ってきた。
『呉羽! ミカちゃんからのメール、もう一度じっくり見るのよ!』
お袋の奴、何でそんな必死になんだ?
なんか、そのメールに隠されたミカの本当の気持ちを探れだのなんだのと……。
オレは手持ち無沙汰から、あの時のメールを開いてみた。
そこにはやっぱり、変わらず『距離を置きましょう』という文があり、こんな一文から、どうやって気持ちを探れというのか、お袋の意図が全く理解できない。
「ん?」
でもオレは、眺めていると何故だか違和感を感じてきた。
何だ? この違和感……?
オレは首を捻りつつ、もっとよく見ようと体を起こした。
だけれど、その時丁度、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴り、少しばかり気を取られていると、携帯がメールが来たとオレに知らせてきた。
ミカからのショートメールだった。
『先生に呼び出されて昼休みは行けません』
「………」
オレは暫しそのメールを眺めていた。
そう、ミカはオヤジ達に釣られなかったのである。
「ははっ、何処まで愛想つかされてんだオレは……」
乾いた笑いを漏らしつつ、今しがた感じたメールの違和感も忘れ、携帯を閉じてそのままその場に倒れふす。
青い空が眩しくて、オレはごろんと横を向いて、情けなくも泣きそうになったのだった。
++++++
お昼休み、Myお弁当を持った私は、うーんと悩んでいた。
「カーリー、どうしましょう。先生に呼ばれてるんですが、お昼を食べてからがいいのでしょうか」
「だから、カーリーって止めてくれよ! それに、そんなの一々僕に聞くなよ!」
相談する相手もなく、カーリーに訊ねた所、顔を真っ赤にして怒鳴られた。
彼は自分のバックから水筒とお弁当を取り出す。
如何やらカーリーはお弁当派のようです。
「愛妻弁当ですか?」
「何で愛妻なんだよ! まだ結婚できる歳にもなってないよ!」
「カーリーは彼女もいないと……」
「なに哀れんだ顔してるのさ! 君の同情される覚えはないよ!」
「では、手作りマザー弁当ですか?」
「何だよその言い方!? 普通に母親が作ったでいいだろ!?」
「で? 如何なんです?」
「そーだよ! 母さんの手作りだよ! 悪いか!」
一々真っ赤になって喚くカーリーに、私はにんまりと笑って、
「いーえー、別に悪くないですよー」
と言っておく。
するとカーリーは、ますます真っ赤になって、
「何だよその顔は! 僕は別にマザコンじゃないからな!」
「え!? カーリーマザコンなんですかぁ!?」
「何でそーなる!」
とまぁ、私はカーリーをおちょくって遊んでいたのだが、
「一ノ瀬」
と不意に呼ばれて振り返ってみれば、そこには福山先生が立っている。
授業の帰りなのか、教科書などを持って私のすぐ後ろに立っていた。
わざわざ迎えに来てくれたようである。
気配もなく、怒ったような表情で冷たい瞳でこんな近くで見下ろされると、流石に怖いであります。
「ほら、先生がわざわざ来てくださってるんだから、君はさっさと行けば」
「あうっ、もうちょっとカーリーで遊びたかったのに……」
「何だよ遊ぶって!? 僕はおもちゃか!」
「おい」
先生の低い声が響く。何だか苛立ってるように思える。
いけないいけない。カーリーと話していると、ついからかう方向にいってしまう……。
私は今度こそからかうのを止め、福山先生に向き直る。
銀縁お洒落メガネの奥から、鋭い眼差しが私を見下ろしている。
しかしながら私はその眼差しを受け流しつつ、自分のお弁当を示し、
「あの、お弁当がまだなんですが……」
「持ってきて、話しながら食べればいい」
そして、有無を言わせぬ雰囲気で、「行くぞ」と顎をしゃくって、さっさと歩き出す。
「あ、待って下さい!」
小走りに私は先生の後を追いかける。
あうっ、それにしても、先生の話って一体なんなのでしょうか……これ以上、何か面倒な事にならなければいいのですけど……。
はうっ、でも! この先生の話さえなければ、今頃呉羽の元にぃ……って、駄目駄目!
会ったが最後、呉羽が吏緒お兄ちゃんにお仕置きをされてしまふ!
あかんあかん! その為に一週間会わない約束をしたんじゃないですか、私!
そうですよ! 逆に先生に呼ばれて良かったと思わなければ! でなければ、誘惑に負けて会ってしまったやもしれません。
オヤジ達の誘惑はそれほどまでに強いのであります!
そうして自分の中でそんな葛藤をしている間に、階段に差し掛かったのだけれど、そこで私はぎくりとしてしまう。
なんとそこに、呉羽の姿を見つけてしまったのだ。
彼は丁度、階段を下りてくる所であった。
そっちは屋上へと続く階段。彼は今まで屋上にいたようである。
お、おおおおお!!
何たる事でしょう! 葛藤に打ち勝ちそうになった所に決心を鈍らせようと甘い誘惑がっ!!
はう~ん、呉羽、呉羽~! 今直ぐ呉羽の元に~! ハッ、駄目です! お仕置きが~!!
ぬお~! 我慢! 我慢です私!
幸い、あちらはまだ此方の存在に気付いていない。
何とか突破口を見つけ、この窮地を脱するのだ!!
そんな隊長の声が脳内にこだまする。
イエッサーであります隊長!
私は隠れ場所を探そうと、キョロキョロと周りを見回してみたが、そんなスペースも物影も存在しない。
突破口は、見つける物ではない! 造り出すのだ!!
またもや隊長の声が聞こえて売る。
あい! またまたイエッサーであります隊長!
心の中で敬礼をしつつ、私は目の前を歩く福山先生に目がいった。
突破口みーッけ♪
私はトタタッと先生に駆け寄ると、彼の白衣の裾を掴み、ガバッと捲り上げた。
「いや~ん、えっち!」とこれがスカートならば悲鳴を上げられている所であるが、これは白衣。
福山先生はピタリと立ち止まると、切れ長の目を見開き此方を振り返る。
私は構わずバフッとその白衣を被ると、二人羽折り宜しくで先生にぴったりと体を密着させた。
「おいっ、一ノ瀬――」
『すみません、先生。匿って下さい』
「匿う?」
先生は訝しんだ後、前方にいる呉羽の姿を見て、目を眇めた。
果たして先生が、私が彼と付き合っている事を知っているのかどうかは分からないけれど、察して協力してくれればと願うばかりである。
しかし! しかしでありますよ、皆さん!
もう少しで呉羽をやり過ごせると思った瞬間、先生ってば白衣をバサッと広げてしまったんであります!
そして先生は、あわわと焦っている私を冷たく見下ろし、銀縁お洒落メガネをクイッと上げると、ゾクリとする美声で一言。
「下らん痴話喧嘩に私を巻き込むな」
おまけに、フンと鼻で笑いやがったのであります。
下らんって……ムキー! 痴話喧嘩じゃないし、下らなくもないんだもん!
私が抗議しようとした時、
「ミカ!?」
突然呼ばれた私。
それは、愛しい愛しい彼の声。その声で名前を呼ばれるのはとても嬉しい事。
しかしながら、それはこんな状況じゃなければの話である。
ギギッと其方に顔を向ければ、何とも表現しようのない、色んな感情の混じった複雑な表情を浮かべる呉羽が。
そして彼の目は私と福山先生を見つめ、表情が更に複雑なものになる。
その時、更に不味い事に、呉羽のその向こうで彼の教室から吏緒お兄ちゃんが出て来たのだ。
ぬ、ぬぬぬぅわんてこったい!!
吏緒お兄ちゃんはすぐさま此方に目を向け、少しだけ目を見開くと、すぐさま無表情となり、右手の手袋を左手でギュイッと引っ張ってギリリッと右手を拳の形に。そして逆の手もまた同じようにして静かに此方に向かってこようとしていた。
や、やる気ですな、お兄ちゃん。呉羽にお仕置きを……。
でも、吏緒お兄ちゃんも呉羽もなんか、福山先生を睨んでいるような……って、ハァッ!!
そ、そうだった、私今、先生にしがみ付いている!
そうなのだ。私は福山先生の白衣に身を隠そうとしていた為、先生にぴっとりと引っ付いた状態であった。
つまり、
私にしがみ付かれている冷たい表情の化学教師に、
それを真ん前で目撃してしまっている今会ってはいけない私の恋人に、
更にそれを少し離れた場所でその全容を目撃した何だかやる気の金髪執事、
という、何とも奇妙な三つ巴状態に……。
………チーン。
な、ななななんじゃこりゃー!!
そんな叫びが私の脳内に響いたのでありました。
カーリーはある意味、ミカのおもちゃ?
そんでもって、担任教師、出てきました。
美形だけど怖い。誰も近寄らない。
そんな彼ですが、ある秘密があります。
次回はそんな福山先生の秘密が……。
おまけに、ミカと呉羽の仲にも亀裂が!?
そんな感じでお楽しみに~。




