第十七話:なむじぇい……
「なむじぇい……」
一体何故こんな事になっているのか……。
オレの目の前には正じぃが不思議なポーズで構えている。
「ま、正じぃ?」
「ふぉ~~……」
おまけに、変な呼吸までしている……大丈夫か!?
えーと、確かオレは親父の店で客の誕生日パーティーをするとかで呼ばれたんだったよな?
ああ、ここは親父の店だ。
それなのに何で此処に正じぃがいるんだよ!?
オレは親父に頼まれたとおり、その客のエスコートをしていた。
エスコートっつっても別に特別なことをするでもなく、そもそもオレにエスコートを頼む時点で間違いだと思うんだがな。
それでも、その客はなんか浮世離れした上品なばぁさんで、自然とオレにエスコートさせてくれるっつーか……そうさせられてるっつーか……。
とにかく、なんか只者じゃねー様な雰囲気を纏ったばぁさんなんだ。
「まぁまぁ、本当にお父さんそっくりね。呉羽君、私の事は咲さんって呼んでね」
「えっと、はい……咲さん」
「私、あなたのお父さんの先生だったのよ」
「え? そうなんすか?」
「あらあら、そうなんですか、よ。正しい敬語を使いましょうね」
「うっ……はい」
とまぁ、こんな風に自己紹介なんぞしつつ何気ない話をしていた最中だったと思う。
いきなり店の入り口がバーンと開いて、正じぃが乱入してきたんだ。
相変わらず頭には鳥の巣が乗ってて、その中には仲睦まじく体を寄せ合うピーちゃんとピー助がいた。
皆が皆ぽかんとした顔をして正じぃを見てた……否、一人だけ……咲さんだけはニコニコしてたけど。
んでもって、正じぃは店内を見回し、そして此方を見たかと思うと、そのままこっちに向かってきて、並んで座っている咲さんとオレを見て、もう尋常じゃないほどに震えだした。
その異常さに、「正じぃ大丈夫か!?」と慌てたが、正じぃはオレを真っ直ぐに見つめ……というか、これって睨んでる?
つか、ものすげー怒ってないか、これ?
何でだ!? オレ正じぃに何かしたか!?
それから正じぃは、震えをぴたりと止めると、オレから距離を置いて、さっきも言ったようにポーズをとり始めたんだ。
「ま、正じぃ!? どうした!? 何でここに!? って言うか何してんだ!?」
「あ~……もどよう!!」
「はぁ!? も、もう土曜!? 今日は土曜じゃないぞ?」
正じぃお決まりの意味不明な言葉に、オレは戸惑いの声を上げるしかない。
つーか、本当にどうした、正じぃ!?
オレがおろおろとしていると、場違いに穏やかな声が。
「あらあらまぁまぁ。正一さんの南無三式Jバット、懐かしいわぁ」
「はぁぁ!? 南無さん……なんだよそれ!?」
咲さんの謎の言葉に戸惑うオレ。
相変わらず謎のポーズのままの正じぃに場違いなくらいにニコニコ顔の咲さん。オレと同様に戸惑いを見せる親父達一同。
「なむじぇい……」
そして冒頭に戻るわけだが……。
「つーか咲さん正じぃ知ってんの!?」
「あら? 言ってなかったかしら。正一さんは私の旦那様ですよ」
「なぁぁぁぁ!?」
今日一番の衝撃だった。
……つーか、南無何たらって何だ?
「うふふ、南無三式Jバットは、正一さんの一撃必殺の壮絶に強力な攻撃ですよ。早く逃げないと……あの攻撃を受けたら大変よ?」
「へー、あれって攻撃なのか……って攻撃!? 何で!?」
「どうやら私があなたにちょっかい出だされていると思ったみたいねぇ」
「なぁっ!! ちょっ、正じぃ!! 違うからっ!!」
いくらなんでも歳離れすぎだろーがっ!!
思いっきり手を前に出してぶんぶんと首と一緒に横に振るが、正じぃは聞く耳を持たないらしい。
正じぃからはゆらゆらと何かが立ち上っているように見える。さっきからピリピリと肌が痛い。物凄いプレッシャーを感じる。
その何とも言えない感覚に、口の中が乾き、じわりと背中に冷たい汗が流れ落ちた。
今にも何かをけしかけそうな雰囲気の正じぃに、成す術のないオレ。そんなオレの前に立つ者が居た。
すると今まで感じていたプレッシャーが和らぐ。
「あ~……さきちゃ?」
「正一さん、早とちりしては駄目ですよ?」
「あ~……はちり?」
正じぃが訝しげに顔を顰めて首を傾げると、オレと咲さんを交互に見やる。
「そうですよ。正一さんの早とちりですよ」
「あ〜……さきちゃ、めんご!!」
正じぃはあっけなく咲さんの言葉に納得すると、両手を合わせて謝った。
もうさっきまでの重々しいほどに感じていたプレッシャーは微塵も感じない。おまけに小首を傾げる仕草付きだ。
普通なら、大の大人が、それも普段から「まともに字が書けんのかよ!」とつっこみたくなるほど震えてる歳くったじいさんが、そんな仕草をすれば気持ち悪いだけだが、不思議と正じぃがするとあまり違和感がない。むしろ愛らしさを感じるとか……。
そんな正じぃはオレの学校のマスコット的存在な訳で、おそらく正じぃファンクラブの連中だったら無条件で許していただろうその仕草。しかし……。
「あらあら、謝るのは私じゃなくて誰かしら?」
「っ!?」
その時の咲さんの微笑みを何と例えればいいのだろうか。
オレは、その時感じた悪寒を一生忘れることはないだろう。
ああ、正じぃの震えが止まったんだ……。
そして次の瞬間には震えを取り戻していたけれど……。
なんかいつもの震えじゃ無かった気がする。
正じぃはその柴犬の様な円らな瞳をオレに向け、プルプルと震えながら謝ってきた。
うん、謝ってたんだと思う。
相変わらずの言葉遣いだったから。
「あ〜……ごめちゃ!」
「え、いや、あの…ま、まぁ別にもう気にしてないっすよ」
「ふふふ、正一さん。呉羽君が優しい子で良かったですね」
とまぁこんな感じだったんだが、一歩下がって様子を見ていた咲さん。彼女はそんな感じで穏やかに笑っていた。
そして、それを見た正じぃの額にオレはしっかり汗を発見したのだった。
もしかして、これがカカァ天下ってやつか!?
なんかそんな感じがする……。
ふと目線をあげれば、相変わらず正じぃの鳥の巣の中でピーちゃんとピー助が仲むつまじく寄り添っている。
我関せずといった風情である。
しかしながら、この後に言った咲さんの言葉にオレは凍り付いた。
「まったく、正一さんたら。ピーちゃんが卵を温めているのに南無三式Jバットなんてやっちゃだめですよ。もしそれで卵が割れちゃうようなことがあったら、離婚しちゃいますよ」
「あ〜、めっ!!」
咲さんの離婚発言に激しく首を振る正じぃ。
けれどもオレは、驚きと衝撃に正じぃの頭を凝視する事を止める事が出来ない。
た、卵!? ピーちゃん卵産んだのか!?
い、いつの間に!?
いや、つーか振るな!! 正じぃ頭振るな!!
「正じぃ、卵!! 頭っ!! 振る、割れる!!」
あまりの事に片言になってしまったが、なんとか正じぃには伝わったようである。頭を振るのを止めてくれた。
そして、そんなになっても卵を温め続けているピーちゃん夫婦にちょっと感動しないでもない。
それから少し落ち着いた正じぃは、咲さんを見てちょっとばかしビクビクしながら席に着いた。
因みに咲さんの隣である。
例えカカァ天下でも、ベタボレなんだな、正じぃ……。
それを見てオレは、せっかくなので夫婦水入らずでと思って二人を残して席を立とうとしたけれど、咲さんに止められてしまった。
正じぃは不満そうにしていたけれど、咲さんに微笑みという圧力を掛けられて大人しくしていた。
どんだけ尻に敷かれているんだろう。
彼らの普段の夫婦生活がほんの少し気になった。
「ふふふ、お話し途中だったでしょ? 何か悩みがあるって聞いてたんだけど? こんなおばあちゃんでよければ相談に乗るわよ? それに正一さんの学校の生徒みたいだし、校長として正一さんも力になってくれるはずよ。ね、正一さん?」
「あ、あい!!」
「………」
有無を言わせないただならぬ雰囲気に、正じぃは元気よく返事をしたのだった。
それからどれほどの時間が経ったのだろうか。
オレは咲さんと正じぃに自分の悩みを打ち明けた。いや、打ち明けさせられた。
ムリヤリとかそういうのではなく、「アレ?」と思った時には全てを話した後で、しかも気持ちがすっきりしていた。
自然の流れの中で、全て、包み隠さず、洗いざらい話してしまった。
何というか、聞き上手なのだ。それから相槌も絶妙で、いつの間にか誘導されている感じだ。
この人はただ者じゃない……。
そう思った。
(因みに、この時正じぃは真面目な顔で空気になっていた)
しかし、しかしだ。
一言言わせてもらいたい。
“何故こうなった!?”
全て話し終わった後は、誕生会もお開きにしようという流れになっていた筈じゃなかったのか……。
オレも咲さんに礼を言って、席を立とうとしていたのだ。
その時には親父も出てきて、挨拶をしていただろう!?
あははうふふでサヨナラする筈じゃなかったのか!?
じゃあ何故だ!? 何故オレは今、正じぃに弟子入りする事になってんだ!?
そんでもって何で南無なんたらとかいう技を伝授してもらう方向にいってんだ!?
「あらあら、呉羽君は金髪で腕っ節も強いイケメン執事さんに愛する彼女さんをとられそうなんでしょう?」
戸惑うオレに咲さんは言う。
確かにそうだがあんな完璧な奴そういるものじゃないし、ミカが選んだのなら、幸せになれるのなら……。
「でもそれはただの逃げでしょう?」
心の中で言い聞かせていたつもりが声に出していたらしい。
顔を上げると、少しばかり厳しい表情で咲さんが此方を見据えていた。
「彼女さんが選んだのなら、幸せになれるのなら、なんてただ自分を守る為の言い訳にしかならないでしょう? 自分が傷つかないように偽善者ぶってるようにしか聞こえないわ。傷つかない恋愛なんて存在しないでしょう?
勝てないのなら勝てる努力をなさい。幸せは自分で掴むものよ。このままじゃ逃げ癖と負け癖が付いちゃうわよ」
そんな感じで時には厳しく、諭すように言ってくれた。
オレは今の言葉を噛み締めていた為、咲さんが親父の方をチラリと見た事と親父が自嘲気味に笑っていた事には気づかなかった。
その時、ポンと肩に軽い衝撃を感じた。
見れば正じぃが凛々しい笑顔でサムズアップをしていた。
「あ〜……ぎょうかいだ!!」
「は? 業界だ?」
「あらあら、違うわ呉羽君。正一さんは“修行開始だ”って言ってるのよ」
「………」
やはり正じぃの言葉は理解不能である。
でも、その修行をしたらもしかして正じぃの言葉がわかったりすんのかな……。
何だか正じぃのどや顔を見ていたら不思議とやる気が湧いてきた。
多分、他のじいさんがやってもムカつくだけだろう。
「えっと……正じぃ、修行って一体なにすんだ?」
「あ〜……やまもり!!」
「えーと、山盛り?」
「うふふ、山籠もりですって」
「へ〜、山籠もりって一文字抜けただけかぁ……ん? 山籠もり? はぁ!?」
驚くオレを余所に正じぃはオレの襟首をむんずと掴むと、物凄い力でオレを引きずってゆく。
「ぬおっ!? ま、正じぃ!? どっからそんな力をっ!? つーか首が締まる!! それよか山籠もりって!! 突っ込み要素が山盛りなんだけど!!」
オレはダメ元で親父の方を見る。
何とも言えない生温かい眼差しをしてやがった。
助ける気はこれっぽっちも無いようである。
因みに、先輩たちは床にはいつくばって笑っていやがったから、常にスルーしていた。
はぁ、と一つ溜息をつく。
あ゛あ゛ー!! 一体どうなるんだオレ!!