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夜行馬車に揺られて

作者: 木山花名美

 

「あらら……」


 震える手から、ポロリと落ちる粒。

 こうなってしまっては、もう私には探せない。


 あれが最後の一粒だと思うけど、貰いに行くのも億劫だ。目だけじゃなく、もう身体のあちこちが悪くて、どの薬がどこにどう効いているかも分からないし。

 振ってみても何の音もしない瓶を、私はそっと篭へ戻した。


 女一人、四十年も住み続けているこの小さなお城。

 迷惑が掛からないようにと、仕事を辞めてから少しずつ身辺整理をしてきた為、今では生活に必要な最小限の物しかない。

 友人も親戚もほとんど亡くなったか疎遠になり、最近はほぼ、医者と毎日牛乳を配達してくれる少年としか会話はない。

 いつでも……何なら今お迎えが来ても構わないと、揺り椅子に座り目を瞑った時、ふとある言葉が頭を過った。


『期限は無期限。半分に千切って夜空を見上げれば、いつでもお迎えに来るそうですよ』


 そうだ……! あれ、あれを使ってみたいと、立ち上がる。わくわくする気持ちとは反対に、身体は鉛みたいに重いのだから嫌になってしまうわ。

「よっこらせ」なんて言いながら、やっと辿り着いたクローゼット。隙間だらけのそこに掛けられた、懐かしいワンピースのポケットを探れば、カサリとした感触がある。


 取り出したのは、すっかり色褪せているだろう長方形の紙。掌に収まってしまう小さなそれには、『夜行馬車』と書かれているはず。そう、確か裏にはこんな説明書きがあった。


『あなたの過去を遡り、景色を楽しみながら好きな場所で降りることが出来ます。

 但し、片道切符なので、元の場所には戻れません』


 今の場所には、もう思い残すことなどないのだから。戻れなくたって何も困らない。それよりも、素敵な乗り物の窓から、過去の自分を眺めてみたかった。……この目で見られるのかは疑問だけれど、空気は感じられるはずだと信じて。



 さて。まずは旅に備え、家中の食料をかき集めた豪華なお弁当を作る。支度が整うと、文字が書ける内に用意しておいた手紙と、もうほとんど意味のない眼鏡をテーブルに置き、出発の時を待った。

 鳩時計の音と闇で夜を知った私は、鍵も掛けずに家を出る。荷物はバスケットと、肩から下げた水筒、そしてあの切符だけ。


 ふふっ、こんな格好、子供の頃のピクニック以来かしら。


 真っ暗な空へ顔を上げ、夜風の香りを吸い込みながら、切符を半分に千切る。するとすぐに、カラカラと宙を回る車輪の音が聞こえてきた。

 上空から目の前へと、大きな何かがすいっと停まる気配。興奮しながら切符を握り締める私の耳へ、男性の綺麗な声が響いた。


「夜行馬車へようこそ。過去の旅をごゆっくりお楽しみくださいませ」


 本当に来てくれたという喜びで、止まりかけの心臓がドキドキしてしまう。震える手を胸に当てていると、案内人兼御者? らしき人はそれをすっと取り、車内へと丁寧に導いてくれた。

 あまりに鈍い動作に痺れを切らしのだろうか。座席に腰を下ろすや否や、ドアを閉められてしまう。行き場をなくした「ありがとう」を、吐息混じりにぽつりと呟いた。


 カポカポ鳴る蹄。ガラガラと回る車輪。

 それらは次第に速度を増し、ふわりと宙に浮いた。


 わあ……


 ぐんぐん高くなるにつれ、視界の闇が晴れていく。

 まるでお姫様が乗るような、豪華な装飾の車内にあっ! と声を上げた瞬間、その窓から見える景色にも息を呑む。

 藍色の空を埋め尽くす、星、星、星。下を覗けば、町は遥か遠くで影となり、自分の家などもう何処か分からない。


 夜って黒じゃなくて、こんなに明るい色だったのね……眩しいなんて感じるの、いつぶりだろう。


 キラキラ揺れる涙を拭いながら、優しい浮遊感に身を委ねる。しばらくうっとり眺めていると、星が流れながら馬車の周りに集まり、凄まじい光のトンネルとなった。


 ううっ、眩しい!


 ギュッと瞼を閉じ……突き刺す光が和らいだところで、恐る恐る開く。するとさっきまで星空だった窓には、過去のある景色が広がっていた。



『まあ……可哀想に』


 何かを見てそう呟く、少し若いおばあさん。

 それは十五年前の自分だった。


 猫かカラスにでもやられたのか、羽を怪我して庭にうずくまっていた小鳥を、掌に包んだあの時だ。

 幸い傷が浅かったのか、手当てをしたら飛べるようになったけれど。何故か出て行こうとせず、結局家の子になったのだ。


 私の目にもはっきり映る、鮮やかな青い羽。とても綺麗で、『ルリ』なんて名前を付けてしまったけど、後で男の子だと知った。もう少しカッコいい名前にしてあげれば良かったかしらね。

 綺麗な歌を聴かせてくれて、温かな身体で寄り添ってくれて。孤独な老人の心はどんなに慰められたか。

 ……いいえ。むしろルリが来たことで、孤独に気付いてしまったのかもしれない。『あの人』の瞳によく似た青が、胸の奥の錆びた扉を開けてしまったの。


 一緒に暮らし始めてから五年後、どこかへ飛び立って二度と戻らなかったルリ。もう戻らないと分かっているのに、空の何処かに青を探し、歌声に耳をすませては毎日泣いた。

 一度開いた扉は、キシキシと悲しい音を立てるばかりで。上手く閉じてはくれなかったから。



「こちらで降りますか?」


 御者の声にドキリとする。

 ……そうね。ここで降りれば、可愛いあの子ともう一度一緒に暮らせる。でも……

 必ず訪れる別れに、もう二度と耐える自信はない。


「いいえ」と返事をすると、馬車は懐かしい景色を置いて、ふわりと動き出した。



 またしばらく星空を進むと、再び光に飲まれる。

 目を開けると、さっきと同じように、過去のある景色が広がっていた。



『お世話になりました』

『お身体に気をつけて。いつでも遊びにいらしてくださいね』


 若い女性から、笑顔で花束を受け取る中年の女性。

 それは長年勤めた新聞社を退職した時の、五十歳の私だった。

 本当はもう少し働きたかったけど、いよいよ目に限界を感じた頃。贅沢しなければ残りの人生を一人で生きていくだけの貯金もあるし、私が立ち上げた女性向けの週刊紙を、安心して引き継げる優秀な部下もいる。ここが潮時かなと退職を決意したのだ。


 女性陣の横でぐすっと鼻を啜るのは、髪が薄くなったり、ぽこんとお腹の出たおじさん達。

 そうそう、まさかこの人達が泣くなんてねと可笑しくなる。


「こちらで降りますか?」とは訊かれずに、馬車はすいと動き出し、別の景色を窓に映し出した。



『女性向けの記事? はっ! 新聞は女の読み物じゃないんだよ』

『そうそう、女なら大人しく詩集か育児書でも読んどけ』


 わらいながら、私が考えた企画を放る男性社員達。

 そんな彼らに怯むことなく、二十代の私は毅然と言い返す。


『その考えは、あと十年後には笑い話になっていますよ。時代を先読みし、読者のニーズに応えなければ、たとえ我が社とて古新聞のように捨てられてしまうことでしょう』


 ギラギラと燃える若い目に、私はふふっと笑う。

 懐かしいなあ。こうして何度もぶつかり合って、少しずつ認められて、性別を超えた信頼関係を築いていったのだっけ。



「こちらで降りますか?」


 御者の声に、私はすぐ「いいえ」と答える。

 ここで降りれば、もう一度仲間と一緒に仕事が出来る。でも……

 もう二度と、この時以上の情熱は味わえないから。



 星空の中で、私は気付く。馬車が停まるのは、過去のターニングポイントだということに。

 孤独、仕事、だとすれば次は……


 眩しい光にぐっと覚悟すれば、次の景色はやはりあの場面だった。



『……ごめん』


 カフェの一角。向かいで頭を下げ続ける『あの人』に、私は軽い調子で答える。


『いいのよ。それでいいの。私もそうして欲しいと願っているんだから』


 それでも上げられない頭に、私の胸はキリキリと痛む。


 小さな印刷店の娘と、大手の製紙会社の息子。

 両親に連れられた創業記念パーティーで知り合い、身分違いの恋をした。

 幸い彼は次男だった為、私との交際を認められ、順調に愛を育んでいた……と思う。ところが、婚約してからひと月後、彼の兄が不慮の事故で亡くなり、急遽次男の彼が跡を継ぐことになった。それに伴い、彼の兄と結婚する予定だった貴族のお嬢様が、必然的に彼の婚約者となってしまったのだ。


 当時は恋愛結婚の方が珍しかった時代。大きな商家や貴族の子女ともあれば、親が決めた相手と結婚するのが普通だった。


『慰謝料を沢山頂けて、正直家はすごく助かるの。新しい機械を買えるし、店舗も増築出来る。それに国内最大手の新聞社とのご縁まで。謝られるどころか、むしろこちらからお礼を言わなければいけないくらいよ』


 その言葉に、彼はやっと頭を上げ、力なく頷いてくれた。


 もしもこの時、私に何の負い目もなければ────

 素直に泣き崩れて、貴方を愛してる、私を捨てないでと懇願していたかもしれない。

 優しい貴方のこと、実家と闘ってでも、私を選んでくれたかもしれない。


 ううん、それよりも……私が普段からもっと彼に愛を伝えていたなら。

 真っ直ぐに私の手を取り、何処かへ逃げてくれたかもしれない。


 何度も何度も考えては、生(ぬる)い後悔に苛まれた。


 もしも今、ここで馬車を降りられたなら……

 腰を浮かしかけ、ピタリと止まる。

 窓の向こうで交差する視線が、私に全てを教えてくれたから。


 愛が溢れる女の瞳と、愛を遮断する男の瞳。

 何も言わなくても、あの時の私は充分愛を語っていて。あの人はそれに苦しみながらも、どこかホッとした顔で別れを選んでいた。


 ふふ……こうして客観的に見ると、簡単に気付くものなのね。


 それ以上見ることが出来ず俯くと、馬車はすいと動き出し、少し前の絶望を窓に映し出す。



『遺伝性の眼疾患です。徐々に視力が低下し、いずれ夜だけでなく、昼間もほとんど見えなくなるでしょう。薬で進行を遅らせることは出来ますが、完治する見込みはありません』


『遺伝……子供にも遺伝しますか? 子供には遺伝しなくても、孫やひ孫に』


『その可能性は高いですね。ですが必ず遺伝するとも限りませんので、あまり思い詰めませんように』


 幼い頃から夜が怖かった。

 だけど、眼鏡を掛ければ月も星もぼんやり見えたし、ただ視力が悪いだけだと診断された。昼間も少しずつ見えなくなってはいたけれど、慣れてしまったせいか、さほど気にすることもなく。

 婚約を機に大きな病院で受診した結果、こうして残酷な事実を突きつけられてしまった。調べたところ、母方の遠い親戚に失明した人がいたことも。


 病院から出たその足で、私はふらりと街を歩く。

 真っ暗な心とは反対に、その日は丁度秋祭りが行われていて、沿道は沢山の出店と人で賑わっていた。


 手を繋ぐ親子を見ては、苦しくなった胸。

 あの人に何と言おうか……あの人は何と言うだろうか……。いいえ、何と言われても、別れてあげなければいけないと。


 その後すぐに彼の兄が亡くなったことで、結局目のことは告げずに済んでしまった。けれど彼の罪悪感を軽くする為にも、自分が欠陥品であることをちゃんと告げ、謝罪するべきだった。

 こちらだけが被害者のふりをして、慰謝料までもらって。……私は臆病で卑怯で最低の人間だ。


 疲れて座り込む過去の私の前には、沢山の品物が。どうやら敷物の上で中古品を売る出店のようだ。実用的な食器類から、どう使うのか分からない明らかに不用品といった物まで。その中で私はふと、一枚の小さな額に目を留めた。


『夜行……馬車?』


 硝子を隔てた中には、絵でも写真でもなく、白い長方形の紙が挟まっている。

 そうそう、間違いなくこの店で……

『どうぞ、ご覧になってください』

 フードを被った店主らしき人は、額から紙を抜き、私の手に乗せる。


 表の字をもう一度見て、裏の説明に首を傾げていると、店主はこう言った。


『それは遥か昔、この世に時戻りの魔法が存在した頃の、貴重な切符です。期限は無期限。半分に千切って夜空を見上げれば、いつでもお迎えに来るそうですよ』


 ……いつでも好きな過去へ戻れるということ?

 ……魔法で?

 と考え、私は思わず吹き出してしまう。

 確かに数千年前までは魔法が信じられていたらしいけど、それは儀式の一種だったということは、子供でも知っている。

 しかも数千年前には存在しない馬車? おまけに現代語で書かれた切符? と考えれば考える程可笑しくなる。可笑しいついでに値段を訊いてみれば、更に可笑しくなった。


『……いいわ。買います。きっとこの先沢山後悔して、何度も過去に戻りたくなるでしょうから』


 私は銀行で貯金を下ろすと、その日着ていた……彼がプレゼントしてくれたワンピースと全く同じ値段でそれを買い取り、無造作にポケットへしまったのだった。


 ……あの時は笑ったりしてごめんなさいね。魔法は本当にあったのに。


 ここでも景色はすいと流れ、二つ前の季節へ遡る。



『……うん。すごくよく似合う。それにしよう』

『でも……こんな高いもの』

『いいんだよ。僕が欲しいんだから』


 微笑みながら、スマートに会計を済ませてくれる彼。こんな時、やはり彼は大企業のご子息なのだと、思い知らされた。


 手を繋ぎ、桜の下を歩けば、同じ色のワンピースが春風にひらひらと揺れる。華やかな景色の中、どこか不安気な私の顔だけが、ぽっかりと浮かんでいた。

 大丈夫、ちゃんと恋人同士に見えているわ。貴女はとても綺麗よ。


 彼にも不安が伝わってしまったのだろうか。ふと長い足を止め、青い瞳から愛を注いでくれる。


『僕は君が大好きだよ。少し気が強くて、思いきり笑って、僕よりご飯を沢山食べる。そのままの可愛い君が大好きだ』


 私も……私も大好きだった。優しくて、素直で、勇敢なくせに寂しがり屋な……お坊っちゃまでも何でもない、そのままの貴方のことが。


 上手く言葉にならずに、私はわざと唇を尖らせる。


『まあ、からかっているのでしょう? 生意気でゲラゲラ笑って食いしん坊なんて。一体どこが可愛いのよ』


『からかってなんかいないよ。素直に言っただけだ』


『もう! ならちょっと早いけどお昼を食べに行きましょう? さっきからお腹がペコペコなの』


『ははっ。よし、じゃあ今日は川沿いのレストランで……』


 腕を絡め、再び桜の道を歩き出す。

 眩しくて、暖かくて、切なくて。

 こんな時をもっと大切にすればよかった。もっともっと抱き締めればよかった。


 隣を見上げる私の瞳には、やっぱりどうしようもない程愛が溢れていた。



「こちらで降りますか?」


 御者の声に、私は静かに首を振る。

 ここで降りれば、もう一度彼と恋が出来る。そしてきっと、もっといい形でお別れ出来る。でも……

 彼は今、家族に囲まれて幸せに暮らしているから。もう二度と戻る必要なんかないの。

 ……そんなこと、あのワンピースを着られなかった時点で、とっくに分かっていたのにね。


 桜色とは程遠い、くすんだ灰色の袖で涙を拭う。

 幸せな私だけを絵画のように残して、馬車はカラカラと走り出した。



 星空と光を経ても、まだ視界はゆらゆらと揺れている。その向こうにパッと輝いたのは、教室で他愛ないお喋りをする、学生時代の私だった。


 昨日読んだ詩のここが好きとか、流行りのお菓子を食べに行こうとか……そよ風みたいにくすぐったい恋とか、そんな話をして。



『眼鏡の女の子なんて、どうせ告白したって振られてしまうわ』


『そんなことないわよ。今は少し珍しいけど、眼鏡は瞳を印象付ける、素敵なファッションアイテムなんだから』


『そうよ。それに貴女はとても魅力的だわ。眼鏡ごときで振る人なんか、こちらからお断りよ』


 明るくて、優しくて、大好きだった親友達。

 二人とも私より、うんと早くに旅立ってしまった。



 降りるかと訊かれる前に、私は「発車してください」と声を掛ける。

 ここで降りれば、もう一度やり直せるだろう。勉強も初恋も、不器用な青春の全てを。でも……

 もう二度と、この時以上のときめきは味わえないから。


 私は甘酸っぱい三人に、バイバイと手を振った。



 ……次の景色で最後じゃないかしら。

 沢山の思い出の中の、どの景色で停まってくれるのか。頭の中でパラパラとアルバムを捲っては、涙がどっと溢れた。


 やがて────

 今までで一番優しい光と共に、一番優しい声が耳朶を打った。



『……お姫様はこうして、王子様と幸せになりました。めでたしめでたし』


 母に寄り添い絵本を読んでもらう、小さな小さな私。

 王子様に抱っこされるお姫様を指差し、きょとんと首を傾げている。


『ねえ、どうしてお姫様は、王子様にお迎えに来てもらってばかりなの?』


『さあ……どうしてかしらね』


『キーラは王子様を待ったりしないわ。だって、キーラが王子様を捕まえに行くんだもん!』


 私らしい答えに、母もふふっと笑う。


『そうね、キーラちゃんならきっと、素敵な王子様を捕まえられるわ。逃がさないように、大きな網を持って行くのよ?』


『うん!』


 母は絵本を脇に置くと、私を寝かせ、優しく布団を掛ける。


『ねえママ……夜は怖いわ。外もお家も真っ暗になるんだもん』

『大丈夫よ。ランプも点いているし、ママが傍でお歌を歌ってあげるから』

『ずっと傍にいてくれる?』

『ええ。ずっとキーラちゃんの傍にいるわ』


 布団の上からトントンと優しく胸を叩き、母はすうと息を吸い込む。


『優しい夜の優しい闇よ

 どうか真っ暗に染めておくれ

 キーラの夢が光るように

 描いた道が光るように』


 優しい優しい子守唄に、今の私も歌声を重ねる。


『静かな夜の静かな音よ

 どうか喧騒を消しておくれ

 キーラの歌が届くように

 明日に歌が届くように……』



「次が終点になりますが。こちらで降りますか?」


 ……飛び降りたい。優しい母の胸に抱かれて、思いきり泣きじゃくりたい。でも……

 もう一度母の温もりに触れたら、もう二度と動けなくなってしまう。


「いえ……いいえ。終点までお願いします」


 終点がどんな場所なのか、見当もつかない。もしかしたら、光に飲まれて消えてしまうのかもしれない。

 ……それでも構わなかった。長い人生の終わりに、こんな素晴らしい旅が出来たのだから。


 最後の景色を焼き付けようと目を向ければ、母がこちらを見て微笑んでくれた気がした。



 カラカラカラカラ


 速度を増す車輪。星空をぐんと駆け上がり、光の階段を昇っていく。


 カラカラカラ……カラ…………ふわり


 真っ白な何処かで停まった。


 雪? それとも雲の中かしらと窓に張り付いていると、後ろで扉が優雅に開かれる。


「ご乗車ありがとうございます。終点でございます」



 …………あっ!



 そこに立っていたのは、青い髪に黒い瞳の美しい青年。綺麗な綺麗なその声は……


「ルリ?」


 私の呼び掛けに、彼はにこりと微笑みながら手を差し出してくれる。


 そうか……

 私を迎えに来てくれたのは、私の王子様は貴方だったのね。


 温かな手を取り白い地面へ降りれば、灰色の古ぼけた服は、真っ白なドレスへと変わる。

 身体はふわふわと軽くなり、曲がった背や腰もピンと伸びて。二十代……いえ、十代の頃に若返ったのだと感覚で分かった。

 嬉しくて嬉しくて、弾む膝でスキップしてみる。


「ねえ、ルリ。ここは何処?」


「キーラが決めていいんだよ。ここは真っ白だから、好きな道を自由に描けるんだ」


「本当!? それなら私、色を見たいわ。私の知らない、綺麗な色をたっくさん! 遡るんじゃなくて、新しい景色に逢いたいの。あ、お弁当も沢山あるわよ」


 ルリは「キーラらしいな」と笑いながら、私をバスケットごとお姫様抱っこしてくれた。


「じゃあまずは虹の橋へ行こうか。そこで一緒にお弁当を食べよう」

「……うん!」



 すいっと舞い上がった白い空は、瞬きする間に、ルリのような澄んだ青になる。遥かな裾からキラキラ架かる七色の橋に、私はわあっと声を上げた。

 鮮やかなアーチに腰を下ろし、サンドイッチに思いきりかぶりつく私達。頬にソースを付けては笑い合う景色に、淡い過去から優しい花びらが降り注いだ。



ありがとうございました。

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>逃がさないように、大きな網を持って行くのよ? え? ↑いや待て(笑) 何この王子捕獲大作戦。 母もキーラもカワイイ(*´∀`*) …から、さらに遡っての優しいラスト。 ほんわりステキなお話でした!…
拝読させていただきました。 思うにこの方、キーラは不遇な目にもたくさん遭いましたが、誠実に懸命に生きてきたんですね。 そして終点。もう頑張らなくていい。穏やかに幸せになってください。 そんなメッセージ…
とてもきれいで優しくて切ない、童話のようなお話でした。
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