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ニヒリズム的思考からアンチニヒリズム思考へ

作者: Chanceoni

まず、この作品を開いたということは、虚無主義(すべてのことを無価値だと思うこと)な考え方をした経験がある。もしくは今現在、その思考で生きているという方だと思います。

先に述べると、その思考でこの作品を読んでください。

つまり‘‘人生に生きる意味はない‘‘というニヒリズム的思考、虚無主義者であるという人向けです。


 今人々は様々な生き方をしています。

なぜ生きるのか? と聞くと大抵の人は「お金を稼ぐ」、「人の役に立つ」など、大義名分があります。

しかし、「そこに意味はあるのか」と聞くと納得の行く答えは帰って来ないでしょう。

幼少期に「なんで学校に行くの?」や「なんで勉強をするの?」などいろいろな人に聞いても、共通した答えは帰ってこなかった経験がある人も少なくありません。

では、すべての人類が納得の行く答えとは……それは「意味がない」というのが答えになると思います。

そこでそういう思考に陥った時、つまりニヒリズム的思考になった時に今後の人生はどう生きればいいのかというものを話します。




 まず、ニヒリズム的思考を掘り下げていきます。


現在の意味で訳すと虚無主義と言われています。

虚無主義者は嫌われます。大抵の人には受け付けられないものだからです。

無作為に選んだ人に虚無主義を唱えても理解すらされません。

しかし、私はこの虚無主義者を一歩進んだ人間だと思います。

誰しも一回は生きる意味について考えたことはあるでしょう。

「お金を稼ぐ」、「人の役に立つ」、「楽しく生きる」など、様々なことを思い浮かべると思いますが、深堀をすると「どうせいつか死ぬのに」、「いつか人類は滅亡するのに」といった、思い浮かべたものを否定する考えが生まれます。

大抵の人はそこで考えるのを辞めますが、虚無主義者はさらに深堀して「人生に意味はない」といった結論になります。

そこです。思考を止めずに人生の意味を本気で考えた結果、生み出された答えを持っている人を一歩進んだ人間と私は言います。

しかしその考え方はなんら不思議ではありません。ネットなどを見るとそう言った思考を持っている人はたくさんいます。

つまりごく当たり前、誰もが思い着ける普通の考え方です。

では、この考え方になった人はどうすればいいのか?




 ニヒリズム的思考になった人は大きく分けて四つの行動に出ます。


一つ目は自殺

二つ目は宗教にはまる

三つ目はテロなどの犯罪を犯す

四つ目はアンチニヒリズムになる


これを読んでいる人は四つ目のアンチニヒリズムになってほしいと私は思います。


 まず一つ目の自殺。

だいたいはこれに行きつきます。

厳しい言い方になりますが、私はこれを現実逃避と言っています。

現実、つまり「生きる意味がない」という問題にぶつかったときに考えを放棄する行為だと思っています。

考えを放棄するという事は、先ほど言った生きる意味を考えることを途中でやめた人と似ているので、この人達も私は現実逃避した人間と言っています。


 二つ目の宗教にはまる。

これを私は他責思考と考えています。

「生きる意味がないのなら、誰かに作ってもらおう」という考え方です。

宗教にはまること事態は悪いことではないですが、すべての事象を「神のおかげ」、「祈ったおかげ」と考えるようになるのであまりお勧めはしません。


 三つ目のテロなどの犯罪を犯す

これは自暴自棄だと言えます。

「すべてのことに意味がない。なら何をやってもいい」という考え方です。

これだけは絶対に陥ってほしくない考え方です。

一見、筋が通っているように見えますが、自分が勝手に自己完結しただけであって、他人にまで干渉する筋合いはないからです。

他人に迷惑をかけないという行為なら筋は通っていますが、それが犯罪になる事例は少ないでしょう。


 四つ目のアンチニヒリズムになる

一見すると、虚無主義の反対。つまり楽観主義になると思いがちですが、全然違います。

アンチニヒリズムとはニヒリズム的思考を受け入れる、「すべてのことは意味がない。なら自分の好きなように生きよう」という考え方です。ただ、「何をやってもいい」とは別で、ニヒリズム的思考に陥っていない人と同じような生き方をするのがこのアンチニヒリズムです。




 しかし、実際問題アンチニヒリズムになるのはとても難しいです。


なぜらな今まで歩んできた、意味があるものとして行動してきたことをすべて否定する考え方だからです。

さらに、好きなことをして生きるなど抽象的なことを言われても分からないものです。

しかも受け入れるまではニヒリズム的思考のままで生活をするので、他の考え方になる可能性もあります。

この難しいことを勧めているのは非道かもしれないですが、一歩進んだ人間、言ってしまえば取り返しの付かないところまで進んでいるのでこの四択しかないのです。




 ですが、アンチニヒリズムになった後はすごく楽しいです。


なぜ生きるのかと言ったことの答えを知っていますし、生きる意味について問う必要がなくなったからです。「意味ない。でも好きなことをやる」といった開き直りの精神でものごとを追求し、「意味はない。でも人生の目標を持とう」といったニヒリズムに陥っていない人と同じ目標を持てます。




 最後に


一度ニヒリズムに陥ってしまっても取り返しがつきます。しかも陥る前よりも楽しい思いもするかもしれません。

ですがこれはあくまで一個人が言っている戯言でもあります。それにこの作品にも対して意味はありませんし、これを読んで何かしても私は責任をとれません。


ただ、ニヒリズム的思考に苦しんでいるといった方には、少しはお力になれたと思います。

悪いもでもない。一般化されてないだけで誰もが陥る現象。それに理解を示して自分の決めた人生を歩む。それがアンチニヒリズム的思考だと私は思います。

私の実体験も書いておきます。

私は幼少期のころ、親や先生に何度も「勉強はなぜするのか」と問いかけていました。

帰って来た答えは「お金を稼ぐため」、「社会で活躍するため」、「人生で楽をするため」といったものでした。

千差万別の答えに全くと言っても腑に落ちなかった私は「勉強する意味」を本気で考えた結果、「意味なんてないんじゃないのか」と結論づけました。

ですが当時、小学生の私はその答えが受け入れられませんでした。

アンチニヒリズムになるまでは様々な答えを探しました。ですが得られた結論はやっぱり「意味はない」でした。

このニヒリズム的思考は私を大変苦しめました。

この病気と診断されないニヒリズムのおかげで精神科に二度、入院したこともあります。

ですが、ある日。朝起きた時に、「人生に意味なんてないんだ」と受け入れました。

きっかけは分かりません。一種の諦めかもしれません。

しかしどんな邪道な理由でも受け入れらればアンチニヒリズム的思考になれます。

瞬間、好きなことをして生きて行こうと決めましたが、何をすればいいのかが分かりません。

そこで私はルールを作りました。それはたった一つ「後悔はしない」です。

死ぬ瞬間ですら過去を振り返るのは嫌だという私のエゴで決めたルールですが、迷いはありませんでした。

ルールを決めた時、どこか躊躇っていたエ〇ゲーを買い、深夜徘徊をし、コンビニで暴飲暴食をしてみたり……今もその小さな楽しみを味わっています。

「意味はない。でも人生の目標を達成する」もいいですが、明日の朝、ベッドから起きる理由になる「意味はない小さな目標」を作るのもいいかもしれません。

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>>なぜ生きるのか? と聞くと大抵の人は「お金を稼ぐ」、「人の役に立つ」など、大義名分があります。 人の役に立つについてはそんなこと思ったことないんで、まあ思う人には思うことがあるでしょうから振れま…
2024/12/03 21:11 混一色ドライチ
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