4.レオナルド様が攻略できない
レオナルド様にお会いしてからというもの、想定外な反応ばかりが続き、わたくしは動揺していた。
(もう遅いってどういう事?)
あれ程美しいと感じていたゲシェンク家の真紅のダリアも、すっかり色褪せて見える。
「……あの、レオナルド様、今何て?……」
「………………申し訳ありません」
レオナルド様は俯いたまま一言呟くと席を立ち、わたくしの側までいらっしゃると、まるで騎士のように跪いた。
(待って待って、嘘でしょう……!
このままお断りされてしまったら、どうしたらいいの? この方を逃したら、もうどなたも……)
婚約の申し出を断られるかも知れない不安で、指先が震えてしまうのを抑えながら問い掛ける。
「あの、どうぞお顔をお上げください。わたくし、何か失礼な事を……?」
顔を上げながら、そっとわたくしの手を取ると、レオナルド様は幼子に言い聞かせる様に穏やかに、それでいてわたくしには残酷に響く言葉を告げた。
「このような美しく可愛らしいご令嬢からの光栄なお話、大変嬉しく聞かせて頂きました。
ですが私のような身には、リーベン公爵家への婿入りなど恐れ多くて。
……今回の婚約のお話はとてもお受けできません」
「そんな……!」
「ご令嬢は私の『社交界での不埒な噂』をご存知ありませんか?」
「それは……」
(当然知っているけれど、そのまま伝えてもいいの……? もう何が正解か全然……)
「ご存知なのですね」
レオナルド様はわたくしの瞳を強くしっかりと見つめ、念を押していらした。
「それは……耳にはしておりますが……。
わたくしは気にしておりません」
わたくしは離れそうになるレオナルド様の右手を、両手で握り締めて引き止めた。
(断罪ルートに比べたら、酒癖の悪さも、女遊びも、金遣いの粗さも何でもないわ!
何なら、この先婚約までしておきながら、他の令嬢に心変わりして「運命の恋だ!」とか言い出す王太子の方が手に負えないわよ。
しかも婚約を破棄した挙げ句、よく分からない罪でリーベンとわたくしを断罪するなんて非道よね!!
放蕩三昧くらい、どんと来いだわ)
婚約を断られてしまった衝撃からか、思わず心の声がやさぐれる。
「きっと、相手が私ではご令嬢の名誉に傷が」
「つきませんわ」
「……しかし」
「仮についたとして、そのような些末事はどうでもいいのです。貴方が夫になって下さる事に比べたら」
「…………!」
こちらを見つめる、レオナルド様の澄んだ美しいサファイアブルーの瞳が揺れている。
ここぞとばかりに、必死に訴えるしかない。
「他の方では駄目なのです、レオナルド様でないと。もしお気に召さない所があるなら、一生懸命直しますから!」
「……あなたのようなお立場の方が、私みたいな詰まらぬ者に、その様な言葉を軽率におっしゃってはいけない」
「……え?」
「…………私は貴方に相応しくありません。それに、…………実は両親にも秘密にしていましたが、私には隠し子も」
これは間違いなく嘘だ。
そんな嘘までついて、この縁談を断りたいのかと堪えていた涙が溢れてくる。
このゲシェンク邸に向かう馬車の中、まさか公爵令嬢である自分が断られるなど夢にも思って無かった。
この貴族社会で最高位の令嬢シャルロッテ・リーベンなら、金のなる木が手に入ったと諸手を挙げて歓迎されるとばかり……。
蝶よ花よと育てられ、気付かぬうちに実家の資産と権力に驕っていたのかもしれない。
この世にはお金で手に入らないものなんて沢山あるのに……。
でも、今ここで過去の自分の傲慢さを悔いても未来は変わらない。
それにこの方との結婚に、わたくしとリーベン一族の命運が懸かっているのだから、諦めるわけにはいかなかった。
こんなに条件にぴったりの、ちょうど良い方なんて他にはいないのだから。
「そこまでこの縁談をお厭いですか?
貴方はそんな、隠し子を作るような方ではありません!
わたくし、見たから分かるもの!」
(後腐れなく、身綺麗に遊んでいらしたと書いてあったわ。信頼と功績『リーベン公爵家の影』が調べ上げた報告書に! )
「見た……? 一体何を……」
「…………えっ? ええと、ひ、瞳? レオナルド様の瞳を見れば分かりますわ!」
「……悪評高き私を、ご令嬢は信じると……?」
「わたくしは、自分の目で見たものを信じます」
唖然とした面持ちのレオナルド様に、きっぱりと言い切った。
(それに信じるも何も、乙女ゲームの知識で貴方の結末だって知っているわ。
知っていて、わたくしの未来の夫に選んだのだもの。だからお願い、結婚して下さい!)
わたくしは祈るような気持ちで返事を待った。
「…………ですが、公爵ご夫妻もこの婚約を内心快くは思っておられないでしょう。
私のような悪評の付き纏う男に、大切な一人娘を任せたいはずがありません。
大切に育てて下さったご両親の為にも、あなたはご自分のお立場と、その心根に合った相応しいお相手を選ばれるべきです」
「両親なら、賛成してくれています! だからこうして一緒に、婚約申し出の席にも来てくれているのです」
「それは、ご両親はあなたを想って仕方なく……」
レオナルド様は、その優美な眉尻を少し下げて、どうわたくしを説得すべきか思案してるようだった。
(先程から、ご自分の事を卑下してばっかり……。放蕩息子なんでしょう? だったら、今更自分の噂なんて気にしてないで、好きに思うがまま生きたらいいじゃない! )
逆に、シャルロッテの初恋物語が遊び人には重く受け止められてしまったのだろうか。
「何故ですか……? レオナルド様は、何故ご自分から輝かしい未来に背を向けようとなさるの?」
「……は?」
(リーベンに婿入りしたら、レオナルド様は思う存分、好きなだけ遊んでいいのよ。失礼だけれど、伯爵家では到底出来ない贅沢をさせてあげられるのに! )
と、今更明け透けに言える訳もなく……。
こんな事なら、恋する乙女バージョンではなく、契約婚バージョンにして破格の条件を提示した方が円滑に進んだだろうか。
「もし、何かお心に掛かる事がお有りなら、リーベン家が必ずお守りします!
レオナルド様は、何も心配なさらなくていいのです。
リーベンでお迎えしたなら、決して窮屈な思いはさせません。
貴方は貴方のお心のまま、思う存分ご自分の人生を生きて下さったら、それだけでわたくしはいいの……!」
結婚相手になってくれて断罪を回避出来たら、それだけでいい。
他には何も望まない……。
前世の両親に悲しい思いをさせてしまった分、今の両親に同じ思いをさせたくない、絶対に!
(この先、貴方が運命通りにどこぞのメイドと駆け落ちする時には、一生遊んで暮らせるお金を持たせてあげますから!
わたくしなら、貴方を路頭に迷わせたりしないわ……! )
「…………私の、心のままに、思う存分……?」
ぽつり、とレオナルド様がこぼした言葉が、わたくしの胸に届いた途端。
レオナルド様は陽の光を纏った眩い金髪を揺らしながら小首を傾げ、まるで愛らしい青薔薇の蕾が、春の女神の手によって綻ぶように美しく微笑まれた。
「それを、あなたが望んで下さると?」
「え? ……ええ」
レオナルド様の纏う空気が先程までとはガラリと変わってしまい、気圧されてしまう。
(…………この方は、本当にあの悪評渦巻くレオナルド・ゲシェンク様なの……?)
目の前で鮮やかに微笑むレオナルド様に気品と聡明さを感じて、わたくしは聞いていた噂との乖離に気の遠くなる思いがする。
(噂は調査書にあった通り、間違いではないのよね?……実は未来の夫にあまりぴったりで無かったとか、そんな事は無いわよね……)
この時のわたくしは、自分の告げた何気ない一言で、思い描いていた将来像が大きく外れていく事にまだ気付いていなかった。