エピローグ 契約満了日
親友である王太子ヴィクトル曰く、美貌の英雄イラリオン・スヴァロフは今や、愛妻家を通り越した妻バカさえ超越した妻狂いだ。
妻の世話は自分がしたいからという理由で相変わらずメイドが一人しかいないイラリオンの屋敷。その庭にはカラス専用の止まり木があちこちにあるし、屋敷の中も妻の好きな動物達が過ごしやすいようにとすっかり改築されている。
他にも仕事人間だったのが嘘のように毎日定時で帰るし、妻のためにここまでやるか?と言いたくなるようなアレコレを恥ずかしげもなく次々としでかす英雄に、周囲はすっかり呆れ果てていた。
宣言した通りに愛妻家(を通り越した妻バカさえ超越した妻狂い)の称号さえ手に入れてみせた有言実行の男イラリオンは、一枚の紙を妻に差し出した。
「さて、テリル。この一年間、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、イラリオンと一緒にいられて、本当に幸せな一年間でした」
「もうすぐこの契約が終わりますね」
二人で署名した契約結婚の契約書。今日が一年間の期限を設けたその契約満了日だ。
「既に何度もお伝えしているので、充分ご存じかと思いますが。私はあなたを愛しています」
今日まで毎日何度も聞かされてきたはずなのに、イラリオンの告白にテリルの耳先は赤くなる。
「はい。嬉しいです。私もあなたを愛しています」
そう答えたテリルは、契約書を持ち上げるイラリオンを見て、ぎゅっと拳を握り締めた。
「でも、まだ少しだけ、不安になる時があるんです。あなたの気持ちを疑っているわけではなく、これは私自身の問題です。どうしても、古い記憶がフラッシュバックして……」
「……テリル」
「だけど私はこの先の未来もずっとあなたといたい。だから不安な気持ちをお伝えしたくて話しただけで、絶対に後ろ向きなわけじゃないんです。それだけは分かってください」
イラリオンを気遣って無理をするわけでもなく、正直な心を曝け出してくれる彼女に、イラリオンは温かな目を向けた。
「構いません。いくらでも不安になってくれていいし、その気持ちを私にぶつけてください。その度に私が、あなたの不安要素を一つずつ取り除いてみせます。ですから……」
イラリオンは、互いの指に光る指輪とあの日交わした契約書を見下ろした。そこには、『どちらかからの解約の申し入れがない限りこの契約は一年毎に更新される』と記されている。
「あなたが、心から安心できるその時まで。この契約結婚を更新し続けましょう。毎年契約が更新される度、私は何度でも、あなたに求婚します。ですのであなたは毎年少しずつ、私に愛されることに慣れてください」
潤み出すテリルの夜明け色の瞳に、イラリオンの青が映り込む。
「そしていつの日か、あなたが本当に微塵も疑う余地すらないほどに、私の愛を信じられたなら。私に愛されることに、絶対の自信を持てたなら。その時にあなたからこの契約を終わらせてください。そうして、私の残りの人生を全て貰ってください」
「……あなたは私に甘過ぎます、イラリオン。そんなに甘やかして、私をどうする気ですか?」
「決まっています。あなたを私の虜にして、永遠に添い遂げさせるつもりです」
大真面目なイラリオンのその言葉に、テリルは潤んだ瞳でクスクスと笑ってしまう。
「いつからそんなに狡賢い人になったのですか?」
「欲しいものを手に入れるためなら、狡賢くも薄汚くもなりますし、なんだってします」
清廉潔白の化身のように美しく微笑みながらそう答えるテリルの夫。
「それじゃあテリル」
真っ赤なラナンキュラスの花束を差し出して、国宝級令息イラリオン・スヴァロフは、その美貌を惜しげもなく晒しながら跪いた。
「あなたを愛しています。次の一年も、どうかあなたの夫となる栄誉を私に与え続けてください」
その花束を受け取ったテリルは、心底嬉しそうな顔で大きく頷くと、この世で何よりも愛する夫の胸の中に飛び込んだのだった。
国宝級令息の求婚 完
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