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第三十一章 麻の中の蓬



 我慢ができず、イラリオンはテリルの体を搔き抱いた。


 腕の中で震える小さな体。この愛しい人を、どうしてくれようか。どれほど愛し抜いたら、彼女を幸せにできるのだろう。


「テリル、私は……」


 イラリオンが、声に力を込めたその時だった。



「おーーい! イラリオン! 来てやったぞーー! いるかーー!?」



 屋敷中に響くような大声で、イラリオンを呼ぶその声に、テリルもイラリオンもビクリと反応して咄嗟に体を離す。


「…………」


「…………」


「…………えっと、イラリオン。……呼んでますよ?」


「………………チッ」


 それは国宝級令息にはあるまじき見事な舌打ちだったが、思わず出てしまったのは仕方ない。大事なところを邪魔されたイラリオンは一瞬、何も聞こえなかったことにして再びテリルに手を伸ばそうとした。しかし。


「……王太子殿下! 勝手に上がられては困ります……!」


「いいから、俺はイラリオンの親友だから問題ないって」


「で、ですが、旦那様は今、奥様と……」


「大丈夫。そのうち会う約束をしてたからアイツも分かってるだろ」


 すぐそこの廊下から聞こえてくるヤナの戸惑った声と、それを堂々と押し退けて入って来たであろう聞き慣れた親友の声が聞こえ、イラリオンは深い深い溜息を吐いた。


 テリルに一言断りを入れて、部屋の外に出るイラリオン。


「いったい何の用だヴィクトル。今日は非番なんだが」


 苛立った様子の親友に、ヴィクトルは尚も顔を輝かせた。


「イラリオン! お前の屋敷、本当にメイドが一人しかいないんだな! 王太子の俺に出迎えがメイド一人だなんて、なかなか新鮮な歓迎だったぞ」


 楽しそうに笑うヴィクトルは、イラリオンのドス黒いオーラに気づいていない。


「だから、いったい何の用なのかと聞いている」


「何って、お前の嫁さんに会いたいって言ってたじゃないか。ちょうど時間ができたからわざわざ来てやったんだ」


 感謝しろと言わんばかりのヴィクトルに、イラリオンは再度舌打ちが出そうになった。


「あの……イラリオン?」


 と、そこで。イラリオンの後ろから、困り顔のテリルが顔を覗かせる。


「テリル、あなたは休んでいていいですから」


 苛立ちを引っ込めたイラリオンが優しくテリルを部屋に促すも、ヴィクトルは謎に包まれたイラリオンの仮初の妻の姿をガッツリとその目に映していた。


 寝室から顔を出したテリルの、その乱れた髪に服、そして泣き腫らした赤い目を見たヴィクトルは、声を上擦らせて親友に詰め寄る。


「お、おい、イラリオン! お前っ、こんな真っ昼間から何してたんだよ……!」


 何を誤解したのか、真っ赤になったヴィクトルは口をパクパクさせながら、目が離せないとばかりにジロジロとテリルを見つめている。


 イラリオンの頰にビキリと青筋が浮く。


「……なぁ、ヴィクトル。君、いい加減にしろよ……?」


「……ッ!」


 決してテリルには見せないような、ナイフのように鋭い目でヴィクトルを睨みつけるイラリオン。その低い声を直接耳元に吹き込まれたヴィクトルは、ゾッとしながら一瞬にして口を噤んだ。


 空気の読めないヴィクトルは、ここに来てようやく自分がお邪魔虫だったことに気づいたのだ。


「……オホン。ヤナ、殿下を応接室に案内して、お茶を出してください。ヴィクトル王太子殿下、すぐ行きますのでどうか()()()()()()()()()お待ちいただけますか」


 ニコニコと微笑むイラリオンに、ヴィクトルは黙ったままコクコクコクと頷いてヤナの案内に従って行った。




 その背中が見えなくなるのを待って、イラリオンはテリルの華奢な肩を掴むと部屋に押し込んだ。


「テリル……! お願いですから、そんな格好を他の男に見せないでください」


 必死のイラリオンに、キョトンとするテリル。


「えっと? あ、ごめんなさい、私……そんなにだらしなかったですか?」


 自分の体を見下ろして慌てたテリルが、手櫛で髪を整え出す。その乱れた髪も、はだけた服も、濡れて赤くなった目元も、妙に扇情的だ。このままヴィクトルのことなど放っておいて、彼女を押し倒してしまいたい衝動に駆られながら、イラリオンはなんとか理性を保った。


「……そんなことはありません。ただ、あなたの無防備な姿を見ていいのは、夫である私だけです」


 大事な話の途中でとんだ邪魔が入ったことを激しく恨みながら、イラリオンは優しい手付きでテリルの髪を直す。乱れていた服も直してやり、横抱きにして運ぶと寝台の上に丁寧に寝かせる。


「邪魔者はさっさと帰らせますから、話の続きは後でしましょう。それまでどうか、ここで私を待っていてください」


 そして最後に、触れるだけの口付けをその額に落として、真っ赤になったテリルを残し、部屋を後にしたのだった。









「その……イラリオン、なんだ、あの……調子に乗りました。すみませんでした」


 震え上がるヴィクトルは、貼り付けたような笑顔で登場した親友に、これでもかと頭を下げた。


「百歩譲っていきなりいらっしゃるのはいいとして、勝手に上がり込んでくるのはどうなのでしょうか、王太子殿下」


「ひっ……!」


 ヴィクトルに対してだけはいつもタメ口なイラリオンが、椅子に座り足を組んで、敢えて敬語で詰めてくるその恐ろしさ。


「さらには人の妻の無防備な姿を不躾にジロジロと見るなんて。品性に欠けるとお思いになりませんか」


「わ、悪かったって! けど、いつの間にそんな関係になったんだよ、それくらい教えてくれたって……」


「…………君がタイミング悪く来さえしなければ、今頃そんな関係になれていたかもしれないな」


 棘のあるイラリオンのその言葉に、ヴィクトルはゲッと顔を歪ませた。


「うわ、マジか……! それは本当に申し訳なかった!」


 想像以上に最悪のタイミングで邪魔してしまったことを悟ったヴィクトルが、本気で頭を下げる。それを見たイラリオンは、怒りも通り越して溜息を吐いた。


「いいさ。時間はいくらでもあるし、焦ってどうこうするものでもないしな」


 力を抜いて背もたれに身を預けたイラリオンを見て、ヴィクトルもホッと胸を撫で下ろす。


「はぁ、良かった。本気で殺されるかと思った……。いや、それにしても、お前も頑張ってるんだなぁ、あれだけ相手にされなくて泣いてた奴が。俺も感慨深いよ」


 イラリオンが態度を和らげた途端、また調子に乗り出すヴィクトル。


 そんな親友を見ながら、イラリオンは先ほど聞いたばかりの、テリルの頭の中にある記憶の話を思い返していた。


 イラリオンとヴィクトルは今の世界線で、こんなふうにふざけたやり取りをするような、気安い間柄だというのに。一歩選択を間違っただけで、互いに破滅し合う未来があったなんて。


 ヘラヘラと笑う目の前の男が友であること、そしてその関係を与えてくれたテリルに、イラリオンは改めて感謝した。


「ヴィクトル」


「こ、今度はなんだよ?」


 急に呼びかけられて再び身構える親友に、目を細めたイラリオンはさらりと告げた。


「……君が、私の親友で良かった」


「へ……?」








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