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第三十章 溢れる想い




「クルジェット伯爵が、あなたに毒を盛っていたと?」


 そこまで黙ってテリルの話を聞いていたイラリオンは、怒りに身を震わせていた。


「何故ですか。どうしてそんなことまでされたのに、あなたは彼等のことを……ッ」


 イラリオンの言いたいことが分かったテリルは、悲しげに笑う。


「あの人達のことを恨みましたし、憎みました。私は家族として歩み寄ろうと努力していたのに、その全てを踏み躙られたのですから。でも、今を生きる私にとって、記憶の中にしかない行為のことであの人達に時間や感情を浪費するのは、とても惜しいことなのです」


 確かに今ここにいるテリルは、その記憶によって過去と未来を変えてきた結果、自分の足で立って歩いている。


 それでもイラリオンの中には、燃えるような怒りが広がっていた。


 伯爵一家がテリルを蔑ろにしてきたことも、彼女を道具としてしか見ていないことも、何一つ変わりはないのだ。


 できることなら、テリルの代わりに自分が制裁を加えたい。自分達が犯してきた罪を、全力で償わせてやりたい。


 怒りに燃えるイラリオンへと、テリルは今や口癖のようになっている言葉を告げた。

 

「今の私にとって一番大切なことは、あなたを幸せにすることだけ。他のことは、本当に何もかもがどうでもいいのです」


 彼女のその、頑固なほどに一途な想い。その言葉を複雑な思いで受け止めたイラリオンは小さく息を吐いて、心に燻る熱を追い出す。


「それで……戦争から戻った私の様子がおかしかったと言いましたね?」


 冷静になったイラリオンは、テリルの話が途中だったことを思い出して続きを促した。


「そうです。後から知ったのですが、あなたは戦争で肩に大きな傷を負うと共に、一人の部下を失っていました。エリックという騎士です」


「……ッ!」


 その記憶を脳裏に思い出しているのか、痛ましい表情を浮かべるテリル。それを聞いたイラリオンは、小さく息を呑んだ。


「そのことがあなたの心にも深い傷を負わせたそうです。それに、その騎士は王太子殿下とも繋がりがあったようでして……彼の死のことで、王太子殿下に激しく責め立てられているあなたを、私は見ていることしかできませんでした」


 申し訳なさそうに眉を下げるテリルに対してイラリオンは、黙り込みながら考えを巡らせていた。


 エリックのことなら、勿論よく知っている。明るく気のいい男で、騎士としても有能な部下。


 そして確かに、王太子ヴィクトルとは特別な関係にある。何故なら彼は、アナスタシア王女の秘密の恋人だからだ。


 今回の戦争でも、イラリオンとエリックは命の危機に晒された。


 それが二人とも無事に生還できたのは、他でもないテリルのお陰だった。


「だからあなたは……戦場で私と彼を助けてくれたのですね?」


 瀕死のイラリオンとエリックの元にテリルが現れ、追っ手から匿い看病してくれた、戦争での不思議な体験を思い返すイラリオン。


「はい。いつ、どうやって傷を負い、部下を失ったのか、あなたに聞いたことがあったんです。だから動物達の力を借りて戦場に行き、あなたと彼を救いました。……自分だけ助かったことを、あなたはずっと後悔していましたから」


 余程その記憶の中のイラリオンが悲惨な状態だったのか、テリルは悲痛な目をイラリオンに向けていた。


「……スヴァロフ領を救ってくれたあの食糧も、そのための資金集めも、未来の記憶を元に調達したのですね?」


「はい。賭けや投資で何が儲かるか、あなたが教えてくれた知識が役に立ちました」


「そうやって本当にあなたは……私が人生で失ったものを、一つずつ取り戻させるために生きてきたのですか?」


 イラリオンが問うと、テリルは真っ直ぐな夜明け色の目で力強く頷いた。


「そうです。だって私には、それくらいしかあなたに罪を償う方法がなかったから」


 想像を絶する想いで生きてきたテリルに、酷く打ちのめされた気分のイラリオンは、覚悟を決めて彼女を見つめ返す。


「……その後は、何があったのですか? それで終わりではないのでしょう?」


 イラリオンが、過去に記憶を飛ばす禁術に手を出した未来。挑むようなイラリオンの瞳から目を逸らしたテリルは、呟くように話した。


「悲劇の始まりは、王女殿下の突然の訃報でした」


「……!」


「あなたと王女殿下との縁談が、新聞に取り上げられた矢先のことでした。王太子は、王女殿下が亡くなったのはあなたのせいだと葬儀の場で罵倒したのです。あなたと王太子が対立しているという噂はあっという間に広がり……社交界が、あなたを支持する勢力と、王太子を支持する勢力に分かれました」


「私とヴィクトルが……対立?」


 信じられない、と驚くイラリオンに、テリルの声はますます沈んでいく。


「国王陛下はあなたの味方でした。他にも貴族の大半は、戦争の英雄であるあなたに同情と好意的な目を向けていました。ですが、タイミングが悪いことに、ここでスヴァロフ領に例の嵐による災害が起きてしまったのです」


 順調だったイラリオンの人生は、そこから坂道を転がり落ちるように転落していく。脳に刻まれたその記憶を思い返しながら、テリルは話し続けた。


「領地を立て直すためにあなたは王都を離れて……その間に、ビスキュイ公爵が王太子への支持を表明しました。力をつけ過ぎるスヴァロフ家を牽制するためだったとか」


「……」


 ビスキュイ公爵が、国王に向かってスヴァロフ家への厚遇が過ぎると諫言していたのを聞いたことがあるイラリオンは、そっと天を仰いだ。


「さらにスヴァロフ家が自領の食糧不足のために他領の食糧を買い漁ったことで、同じく嵐の被害を受けていた近隣領地の領主からも、スヴァロフ家は目の敵にされました。あなたが王都に戻った時には王太子の支持勢力が拡大していて、そして最悪の事態が起こってしまいました」


「……それ以上に最悪の事態が、ですか?」


 聞いているだけでも頭の痛くなるような展開に、さらに最悪があるのかとイラリオンは頭を抱えた。そんな彼に、テリルは沈んだ声のまま告げる。


「国王陛下が崩御されたのです」


「!? ……何故、陛下が」


「分かりません。ですが、王位を継ぐこととなった王太子は、あなたが陛下を弑したと騒ぎ立てて……」


 そこからは聞くまでもなかった。


「私は国王陛下暗殺の罪を……逆賊の汚名を着せられたのですね」


 イラリオンが淡々とそう口にすると、テリルは泣きそうな顔でこくんと頷いた。


「……最大の支援者だった陛下が亡くなったことで、あなたを支持していた貴族達も、あなたを見放しました。誰ひとり、英雄であったあなたを助けようとはしませんでした」



 テリルの話を聞いたイラリオンは、ピースを嵌めるようにテリルの話の裏にある事情を推察した。


 まず、エリックとアナスタシア王女は、今と同じように恋人同士だったのだろう。エリックが亡くなったことで、王女は嘆き悲しんだに違いない。


 イラリオンが経験したのと同じ状況でエリックが死んだのなら、その責任はイラリオンにも確かにある。


『彼女に見合う身分を手に入れるために、この戦争で手柄を立てたいんです! だからお願いします、団長。俺に行かせてください』


 無謀な特攻を願い出たエリックに、それを許可したのはイラリオンだ。毎日のように熱く語られる、彼の王女への愛を応援したかったからこその、判断ミスだった。


 エリックが敵に捕まったと聞いたイラリオンは、彼を救うため単身敵地に乗り込んでなんとか敵陣から連れ出したものの、負傷したエリックを庇い肩に傷を受けた。


『団長……俺のせいですみません。もう俺は助からないだろうから、どうか一人で逃げてください』


 あの時、もしテリルが現れなかったら。イラリオンは、エリックを置いて逃げ出していたのだろうか。そうして一人だけ助かって、王女にエリックの最期を話して聞かせ、泣かせていたのだろうか。


 イラリオンの拳が、音を立てるほど握り締められる。


 どちらにせよ、テリルの記憶している過去では、イラリオンは部下の命を見捨てて一人だけ生還したのだ。


 そんな中、何も知らない国王が、今世と同じく戦争から戻ったイラリオンと王女の縁談話を持ちかけたとしたら。王女がどれほど傷ついたか。


 恋人を失った悲しみと、恋人を見殺しにした男との結婚。そんなものをするくらいならと、アナスタシア王女は自ら死を選んだのだろう。


 そして情に厚く妹思いのヴィクトルは、前々から確執のあったイラリオンに全ての憎しみを向けた。


『もし俺が昔のような捻くれた性格のまま育っていたら、絶対にお前を妬んでいたと思うぞ。それこそ、どんな手を使ってでもお前の人生をめちゃくちゃにしてやりたいと思っていたはずだ』


 何気ないヴィクトルとの冗談混じりの会話を思い出したイラリオンは、あの時の親友の笑顔を思い出して心が沈んだ。


 その言葉通り、ヴィクトルは自らの手で父親を暗殺してまで、イラリオンに罪を着せて破滅させようとしたのだろう。


「私は抵抗せずに捕えられたのですか?」


 そんな状況でも、スヴァロフが簡単に屈するはずはない。そう思って問いかけたイラリオンに、テリルは顔を歪めた。


「あなたとあなたのお父様は、潔白を主張し続けました。でも……」


 テリルの夜明け色の瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。


「王太子に取り入ろうとした私のお父様……クルジェット伯爵が、私を人質にして……。優しいあなたは私なんかのために……やってもいない罪を、認めてしまいました」


 堪えていた涙が決壊したかのように、テリルはしゃくり上げながら溢れる涙を拭った。


「テリル……」


「あなたが王太子と対立したきっかけは、私にあります。私があなたの時間を奪っていたから。私がいなければあなたは王太子と信頼関係を築けていたでしょうし、あんなに恨まれることはなかったはずです!」


 テリルは嗚咽混じりの声で、必死にイラリオンに叫ぶ。


「足手纏いな私がいなければ、あなたは犯してもいない罪を認めることもなかった。英雄と讃えられていたあなたが、逆賊と罵られることなんて……ッ」


 泣きながら震える小さなテリルの体を、そっと抱き寄せたイラリオンは、静かな声で問いかけた。


「……だからあなたは、ずっと私に会わないようにしていたのですか?」


「私と過ごして時間を無駄にしなければ、あなたは幸せになれると思ったから……私が奪ってしまったあなたの時間を、全て返したかったのです」


 イラリオンの肩口が、テリルの涙で濡れていく。


「でも、あの日……真っ赤なラナンキュラスの花束を私に差し出して求婚してくれたあなたを見て、思ってしまったんです」


 涙声のテリルは、濡れた夜明け色の瞳で恋しそうにイラリオンを見上げた。


「これだけ我慢してきたんだから……少しくらいなら、一年くらいなら、またあなたの側にいてもいいんじゃないかって」


 息を呑んだイラリオンの腕に縋りながら、テリルはずっと心に秘めていたその想いを、涙と共に吐き出した。


「だけど、久しぶりに側で感じたあなたの温もりも、匂いも、その青い瞳も優しい声も笑顔も……一緒にいればいるほど、離れがたくなるんです」


「テリル……、」


 ドクドクと痛いほど高鳴る心臓の音を感じながら、イラリオンは涙に濡れた瞳で自分に縋る、ただ一人の愛しい人を見下ろしていた。


「……ごめんなさい、イラリオン。私……あなたが好きなの。本当は、ずっと一緒にいたい。何度人生をやり直しても足りないくらい、……あなたを愛しているの」










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