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第二十九章 花弁の行方




 それからイラリオンはアカデミーに入学し、ますますその秀才ぶりを発揮した。その優秀さは周囲の大人達の目を引き、彼の論文が魔塔に絶賛されるとイラリオン・スヴァロフの名は瞬く間に社交界に広まっていった。


 彼と繋がりを持ちたい貴族達から様々な呼び声がかかる中で、イラリオンは変わらずテリルの元に通っていた。寧ろ、テリル以外の者と親密になろうとはしなかった。


「ねぇ、ラーラ。また王太子殿下のお誘いを断ったの?」


「いいんだよ。僕は付き合う人間くらい自分で選べるから」


 剣を振りながら、イラリオンはなんでもないことのようにそう答える。


「でも……私ばかりと一緒にいないで、たまには他の人と交流を持ってみたほうがいいんじゃない?」


「……誰かに何か言われたのか?」


「…………」


 あれから数年が経っても、テリルの足は治らなかった。テリルの住居はクルジェット伯爵家の離れに移され、滅多に伯爵一家と顔を合わせることはなくなっていた。


 歩くことを諦めて限られた空間の中で生活するテリルにとって、イラリオンだけが唯一の外の世界との繋がりだ。


 しかし、イラリオンはそうではない。


『馬鹿なお姉様にばかり時間を費やして、イラリオン卿は社交活動だって満足にできないじゃない。この前なんか王太子殿下のお誘いを断ってお怒りを買ってたわ。このままじゃ彼、他の令息達からも爪弾きにされるわよ。未来の国王に嫌われたら出世も絶望的ね。彼の人生台無しだわ、全部お姉様のせいで』


 彼が多くの人に望まれていることを、嫌味交じりのソフィアに聞かされていたテリルは、自分の存在がイラリオンにとってマイナスなのではと思い始めていた。


 彼と過ごす時間が、子供の頃のように楽しめない。


 テリルにとって宝石のようにキラキラと輝いていたその時間が、後ろめたく歪なものに変わっていく。


「……僕は、君といるのが楽なんだ。最近は家にいても父から勉強だけしろとばかり言われるし。好きなように剣の練習ができるのも、魔術の研究ができるのも、君といるこの時間だけなんだよ」


「ラーラ……」


「あの論文だって、君のアドバイスで魔塔に直接送ったからこそ評価してもらえたんだ」


 つらつらと言い訳を並べ立てて、イラリオンはテリルの前に跪いた。車椅子のテリルとイラリオンの目が合う。


「君はいつだって、僕を応援してくれるだろう? 他の人は話したところで僕の夢を笑うだけだ。そんな奴等と一緒にいる時間があったら、気の合う君とこうして好きなことをしてるほうがどれだけ楽しいか。頼むから僕の憩いの時間を奪わないでくれよ」


「……うん」


 他でもないイラリオン本人からそう言われてしまえば、テリルには頷く以外の選択肢がなかった。







 その後、無事にアカデミーを卒業したイラリオンは、幼い日にテリルと立てた計画の通り、周囲の期待を無視して王室騎士団への所属を願い出た。


 宰相であるイラリオンの父をはじめとして、文官一族スヴァロフ家後継のイラリオンが騎士になることに懐疑的な目が集まる中、テリルだけはいつもイラリオンを応援した。


「私達のご先祖様の〝三銃士〟の時代に、血縁じゃなく実力を重視する制度ができたはずでしょう? なのにどうして、未だに血や家門に拘る古臭い人達がいるのかしら」


 珍しく怒ったテリルを見て、心が荒んでいたイラリオンは久しぶりに笑顔を見せた。


「君の言う通りだな。こうなったら、とことん僕の実力を見せつけてやるよ」


 その言葉通り、騎士団内でのイラリオンの活躍は目覚ましかった。


 あっという間に頭角を現したイラリオンは、史上最年少のソードマスターとなり、最短期間で王室騎士団長に任命された。


 新聞で見るイラリオンの活躍や、彼に対する賞賛の言葉の数々を自分のことのように嬉しく思うテリル。


 そんなある日、いつものようにテリルの元を訪れたイラリオンは、神妙な面持ちで切り出した。


「戦争に行こうと思う」


「……うん」


 テリルは、ついにこの日が来たのかと思った。前々から、戦争を終わらせることがイラリオンの目標の一つなのだ。


「暫くは帰らないから、会えなくなるけど……」


「そうよね。ねぇ、ラーラ。絶対に、無事で帰って来てね。約束よ」


「勿論だ。……それで、帰って来たら、君に聞いてほしい話があるんだ」


 それがどんな話なのか、テリルには分からなかったが、もうなんでも良かった。


「うん、待ってるわ」


 約束があれば、彼が必ず帰って来てくれると思ったから。仮令それが、もうテリルの世話はやめる、という話であっても、その話をするためにイラリオンが無事に帰って来てくれるなら、それでいいと思った。







 イラリオンが戦地に旅立っていくと、テリルの置かれた環境は一変した。


 それまで最低限の身の回りの世話をしてくれていた使用人達はいなくなり、テリルは完全に伯爵家の離れで隔絶された生活を送るようになっていた。


 日に一度だけ届く冷たい食事を摂りながら、テリルは改めて自分が家族から疎まれている事実を思い知る。


 これまではイラリオンが出入りしていたからこそ、彼等は体面を保つためにテリルに貴族令嬢としての最低限の暮らしをさせてきたのだ。


 イラリオンがいなくなった今、彼等がテリルのために財産を使う必要はなくなったということだ。



「ここはいつ来ても陰気臭くて嫌だわ。まるでお姉様みたい」


 テリルが荒れた庭に一人でいると、ソフィアが小馬鹿にしたような声でやって来た。


「…………」


「少しは身の程を知ったかしら。この前も話したけど、イラリオン卿とお姉様では釣り合わないの」


 無遠慮にズカズカと庭の花を踏みつけながら、ソフィアはテリルの前まで押し入って来た。


「ね? 自分の惨めさがよく分かったでしょう? だからもう彼を解放してあげて。彼に相応しいのはお姉様みたいな出来損ないじゃないの。彼にはもう、心に決めた人がいるのよ」


「え……?」


「あら。お姉様ったら、知らなかったの? イラリオン卿とアナスタシア王女殿下の話は有名よ。二人ってとてもお似合いでしょう? 戦争から帰って来たら、二人は結婚するの。だからもう、イラリオン卿の邪魔をしちゃダメよ」


「彼と、王女殿下が……?」


 クスクスと意地の悪い笑みを浮かべるソフィア。テリルは何も言えずに絶句する。


「わざわざお姉様の足が治らないよう裏工作までしたのに、お父様も残念がるでしょうね」


「な、なんですって……?」


 そのソフィアの言葉の意味が分からずテリルは困惑した。そんなテリルをとても愉快そうに見下ろしながら、ソフィアは真実を告げる。


「なにって、決まってるでしょ? お姉様のその足、本当なら治ってたのよ。それをお父様が、イラリオン卿に責任を取らせるために、薬を入れ替えさせてたの。お姉様が毎日のように飲んでたあの薬、本当は薬じゃなくて、足を麻痺させる毒だったのよ。お姉様はイラリオン卿をずっと騙してたってこと」


「…………ッ!」


 息を呑んだテリルは、動かない自らの足を見下ろした。この足のせいで、ずっとイラリオンを縛り付けてきた。それが父の思惑だったなんて知りもしないで。


『帰って来たら、君に聞いてほしい話があるんだ』


 戦争に赴く前、イラリオンが残していった約束。それは、このことなのだろうか。彼は気づいていたのか。それとも、王女との結婚のことを話そうとしていたのか。


 いずれにしろ、テリルにはもう、彼と一緒にいる資格がない。ずっと前からとっくに自覚し、テリルの心に深く根を張っていた恋心が、ズタズタに引き裂かれていく。



 テリルの中の何かが、壊れ始めていった。







「テリル! イラリオン卿が戦争に勝利し帰って来るらしいぞ! 彼が帰って来たら今度こそ、お前のその足の責任を取って結婚してもらう! どこもかしこも彼を賞賛する話題で持ちきりだ。彼との縁ができれば我がクルジェット家は怖い者なしだ!」


 ずっと娘を放置していたくせに、イラリオンの凱旋が報じられると都合よくテリルの元にやって来たクルジェット伯爵。


 伯爵の指示で戻って来た使用人達が、数日前から荒れた離れを掃除していたのはそういうわけだったのかと、無気力な頭でぼんやり考えるテリル。


「おい、聞いているのか、テリル! 早く彼を迎える準備をしろ!」


 胸ぐらを掴まれたテリルは、生気のない声で父に言った。


「……私と彼が結婚……? そんなこと、絶対にあり得ません」


 それを聞いたクルジェット伯爵は、顔を赤らめて激怒した。


「今さら何を言っているんだ、この役立たず! お前をイラリオン卿に嫁がせるために、これまでどれだけ多くの金を注ぎ込んだと思ってるんだ!」


 テリルの頰に叩かれた痛みが走る。しかし、テリルにとってはもうどうでも良かった。ずっと父だと思ってきた目の前の男のことが、気持ち悪くて仕方ない。


 この男の言う、テリルのために注ぎ込んだ金とは、テリルをここまで生かしてきた金のことか。はたまた、テリルの足をこんなふうにした毒を買った金か。


「私は……彼と結婚する気はありません」


 吐き気すら覚えながら、テリルは必死に言い募った。これ以上、自分のせいでイラリオンに迷惑をかけたくなかった。


「こんな歳まで独り身でいたくせに、イラリオン卿と結婚する気はないだと? ふざけるな! なんとしても彼にはお前を誑かした責任を取ってもらう!」


 テリルの足を犠牲にして、あくどい手段でイラリオンを利用しようとする伯爵。こんな人を家族だと思っていた自分が馬鹿みたいだ。


「お願いですから、どうかもうやめて」


 それでも伯爵に対して、懇願するしかないテリルは自分の無力さに絶望した。

 

「スヴァロフ家との繋がりが齎す利益は計り知れん。お前が橋渡しをすれば、我がクルジェット家はより繁栄するのだ。それが分からんのか!」


 怒鳴られたテリルは、我慢できずに初めて伯爵に怒鳴り返した。


「これ以上、彼を利用するのはやめてください!」


 初めて抵抗したテリルに、クルジェット伯爵もまた、理性が飛ぶほど怒り狂った。


「いいから早く、誘惑でもなんでもしてイラリオン卿を射止めてこい!」


「絶対にイヤです! 私は……私は、彼とだけは何があっても結婚しません! 彼とだけは、絶対に!」


 イラリオンと過ごしてきた思い出の庭に、テリルの絶叫が響き渡る。


 息を乱した伯爵は、最後までテリルを罵倒して去って行った。







 伯爵が去り、再び一人になった庭で、ぼんやりとしていたテリルは、不意に懐かしい足音を聞いた気がした。


「……ラーラ?」


 まさか、と思って呼びかけると、庭を囲む生垣の間から、ずっと会いたかった人が顔を出す。


「テリル……」


「帰って来たのね……!」


 その顔を見た途端、テリルは何もかもを忘れて涙を流していた。


 自分のしてきたこと、父のこと、彼に会わせる顔がないと思っていたことも全てを忘れて、ただ彼が無事で良かったと安堵した。


「……うん。ただいま」


 ゆっくりと庭に入って来たイラリオンは、テリルにハンカチを差し出した。


「良かった。……本当に良かった」


 いつものように彼に抱き着きそうになったテリルは、ピタリと動きを止めて、そのハンカチだけを受け取る。


「ありがとう」


 色んな想いを込めてそう言ったテリル。その涙が止まるまで、イラリオンは黙ってそこに立ち続けていた。



「……それは?」


 涙が落ち着いた頃、やっと周囲を見ることができたテリルは、イラリオンの持つ鮮烈な色に気づいて首を傾げた。


「ああ、これは…………」


 真っ赤なラナンキュラスの花束を見下ろしたイラリオンは、その手をぎゅっと握り締めると、乱暴に背中に隠した。雑な扱いに赤い花弁が数枚、テリルの庭に散る。


「…………王女殿下に持って行こうと思って」


「王女殿下に?」


「この後、王室の晩餐会に呼ばれているんだ」


「そうなの……」


 テリルの喉の奥が引き攣る。やはり、ソフィアの話は本当だったのだ。イラリオンは、王女のことを……。


 胸の痛みに気づかないフリをして、テリルはイラリオンに笑顔を向ける。


「あなたは本当にすごいわ。〝親友〟として、あなたが誇らしくて仕方ないの。きっと王女殿下も、あなたの帰りを喜んでくださるわ」


「……まあ、うん。王室からの招待は確かに光栄だな。ただその前に、どうしても君に会いたくて……でも、迷惑だったらごめん」


 笑顔のテリルから目を背けて、イラリオンは掠れた声を出した。


「どうしてそんなことを言うの? 嬉しいに決まってるわ。あなたが無事に帰って来てくれて、こんなに嬉しいことはないもの」


「……うん」


 自分の気持ちを隠すことで精一杯だったテリルは、イラリオンの様子がおかしいことにようやく気がついた。


「ラーラ、どうかしたの? 顔色が悪いわ……」


 伸ばしたテリルの手が届く前に、イラリオンがテリルから距離を取る。


「少し、疲れてるみたいだ。ごめん、もう行かないと……また来るよ」


 それだけ言うと、イラリオンは去って行った。地面に散ったラナンキュラスの赤い花弁が、風に吹かれて飛んでいく。


 テリルはそれを、見送ることしかできなかった。







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