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第二十八章 湖の出会い



 イラリオン・スヴァロフとテリル・クルジェット。二人が初めて出会ったのは、()()()()の初夏のことだった。


 当時九歳だったイラリオンと、八歳だったテリル。二人の出会いは偶然であり、必然でもあった。



 貴族に人気の避暑地、ボンボンにあるスヴァロフ家の別荘近くで出会った二人は意気投合し、とても楽しいひと時を過ごしていた。



 夢を語り、将来を語り、互いのちょっとした秘密を教え合った二人は、すっかり互いを気に入っていた。


 どこまでも青い瞳に目の前の少女を映し、湖面に反射する光を背に微笑む美少年。


「ねぇ、僕たち、とっても気が合うと思うんだ」


「そうね」


 少年がそう言ってくれたことが嬉しくて、少女はクスクスと笑いながら頷いた。


「その……友達になれると思うんだけど、どうかな?」


「いやだわ、何を言ってるの! 私たち、もう親友でしょ!」


 くるくると表情を変えてそう断言する少女に、少年は嬉しさを隠し切れなかった。


「じゃあ、君の名前を教えてくれないか」


「私? 私はテリル・クルジェットよ」


「クルジェット? あの伯爵の……」


 彼女の名前を聞いて、何かを呟いた少年。今度は少女が彼に問いかける。


「あなたの名前は?」


「僕はイラリオン・スヴァロフ」


「スヴァロフ? あの〝三銃士〟の?」


「うん。イヴァン・スヴァロフは僕のひいおじいさんだよ」


「私ね、〝三銃士〟の話がとっても好きなの。特にアリナ様のことが大好き!」


 それを聞いたイラリオンは、思わず吹き出した。


「〝三銃士〟といえば、エフレム王とイヴァン・スヴァロフとオレグ・ジャンジャンブルの三人だろう? アリナ・スヴァロフはイヴァンの妻で僕のひいおばあさんだ。ふふ、〝三銃士〟の話で真っ先に彼女のことを思い浮かべる人は君ぐらいだろうね」


「あら、どうして? だって、アリナ様がいなければその三人は仲良くなっていなかったっていうじゃない。それに、三人の側にはいつもアリナ様がいたって聞いたわ」


 頰を膨らませたテリルがそう言うと、クスクスと笑っていたイラリオンは楽しそうに手を差し出した。


「確かに。君の言うことも間違ってないな。ねえ、じゃあ。アリナ・スヴァロフに会いに行かない?」


「え……?」







「すごいわね!」


 イラリオンがテリルを連れて来たのは、スヴァロフ家の別荘だった。


 そこに並んだ肖像画、イヴァンとアリナ夫妻が描かれた絵を前に、テリルは目を輝かせる。


 スヴァロフ家の先祖の肖像画が並ぶその場所を自由に見ていたテリルはふと、イヴァンとアリナの絵の数枚先にある、比較的新しい肖像画に目を奪われた。


「ねぇ、この赤ちゃんを抱いているキレイな人は誰?」


 テリルの小さな指が差すほうを見たイラリオンは、寂しげに微笑んでから答えた。


「僕の母上だよ」


「あなたのお母様? 『愛するラーラと』ってタイトルがついてるわ。ラーラって?」


「僕のことだ。母上は僕のことをそう呼んでたんだ。けど今は、誰もそう呼んでくれないけどね。母上はもうこの世にいないから」


 懐かしそうな目を肖像画に向けるイラリオンを見て、テリルはその手を握って宣言した。


「だったら、私が呼んであげるわ、ラーラ!」







 それから二人はボンボンにいる間、毎日のように一緒に過ごした。


 イラリオンもテリルも、本来であればあまり人付き合いを好むタイプではなかったが、二人でいるのが何より心地好かった。


「ねえ、テリル。前から気になっていたんだけど、どうして君はいつも裸足なの? 危なくない?」


 ある日イラリオンは、前々から気になっていたことを問いかけた。


「え? これはえっと……裸足が好きなのよ」


 目を逸らしたテリルはそれだけ言うと、いそいそと本棚に走って行って話題を変えた。


「ねぇ、ラーラ! ここの本、見てもいい?」


「……うん、もちろんだよ」


 テリルのその行動に違和感を覚えながらも、幼いイラリオンはそれ以上何も聞かなかった。


 それが後の悲劇を生むことになるとは知りもしないで。


 話題を変えるために近づいた本棚で、テリルはふと違和感を覚える。


「ねぇ、ラーラ。この本棚、何か変じゃない?」


「え?」


「ここ、この本とこの本は同じシリーズなのに、こっちの本だけ少し前に出ているの。あ、こっちの本もだわ」


「本当だ。……もしかしたら」


 テリルの指差す本を見て何かを閃いたイラリオンは、それらの本を強く押し込んだ。


 ガチャリ、と何かが動く音がしたかと思うと、本棚が動いて隠し扉が現れる。


「わあ! なにこれ!?」


「隠し部屋だ。こんなところにあるなんて……行ってみよう」


 二人が降り立った地下室は埃を被っているが、元はきちんと整えられた部屋だったのがよく分かる調度品が置かれていた。


 その中の机に、一冊だけ置かれた丁寧な装飾の本を手に取ったイラリオンは、表紙を見て目を輝かせた。


「アリナ・スヴァロフの日記だ……!」


「すごい! 本当にあのアリナ様の日記? ねぇ、私も見ていい?」


「うん、もちろん! でも今日はもう帰る時間だろう? 明日また、二人で見よう」


「分かったわ。約束よ」


 とてとて、と足音を響かせて帰っていくテリルの背中を、イラリオンは笑顔で見送った。数歩だけ歩いては振り返り、何度も手を振るテリルに、見えなくなるまで手を振り返す。


 二人とも、明日が来るのが待ち遠しかった。







「遅いな……」


 翌日、約束の時間になっても現れないテリルを、いつもの待ち合わせ場所で待っていたイラリオン。遅刻したことなどないテリルがなかなか来ないことを心配していた時だった。


「カア、カアー!」


 イラリオンの耳に、カラスの鋭い声が届く。


「クロウ?」


 見上げると木の上に見慣れたカラスの姿。イラリオンが助けた若いカラスは、何かを訴えるように鳴いている。そして背を向けたかと思うと、振り返っては鳴くのを繰り返した。


「カァ、カア!」


「どうしたんだ?」


 呼ばれている気がしたイラリオンは、カラスのあとを追う。


「テリル!?」


 そして、森の中で倒れているテリルを見つけて慌てて駆け寄った。彼女の足は血だらけだった。


「ごめんなさい、ラーラ。時間、遅れちゃって……」


「そんなことはいいから! 何があったんだ?」


「ちょっと……転んだ、だけ……」


「テリル……!」







「お坊ちゃま、ご令嬢の足ですが、酷い状態です。今後、今までのように歩けるかは……」


 スヴァロフ家の別荘まで運ばれたテリルを診察した医者は、痛ましい視線を横たわる少女に向けていた。その話を聞いたイラリオンは愕然とする。


「そんな……」


「……うっ!」


「テリル!」


「ラーラ……?」


「大丈夫か? 何があったんだ?」


 ベッドの上に横たわったテリルは、イラリオンの顔を見ながら涙を流した。


「実は……お父様に、出歩くのを禁止されていたの」


 テリルが明かした話は酷いものだった。テリルを別荘の中に閉じ込めたかったクルジェット伯爵は、彼女の靴を全て処分したのだという。


 靴がなければ出かけないだろうと、テリルを一人別荘に残して自分達は豪遊していたクルジェット伯爵とその家族。


「でも昨日、別荘を抜け出してたのがバレちゃって……」


 テリルが裸足で出歩いていることを知った伯爵は、テリルがいつも抜け出していた窓の下に、嫌がらせで砕いたガラスの破片を撒き散らしたらしい。


 何も知らず、いつものように抜け出そうとしたテリルは裸足で勢いよくガラスの破片が散らばる地面に着地してしまった。


「迷惑をかけてごめんなさい……」


 その足を引き摺ってまで、イラリオンとの約束のために森を移動しようとしていたテリルの足は、ボロボロになっていた。


 包帯を巻いても血の滲むその足を見下ろしたイラリオンは、奥歯を強く噛み締めた。

 






「うちの大切な大切な娘が怪我をしたとは、いったいどういうことですかな。この責任をどう取ってくださるおつもりか、小侯爵殿」


 テリルを迎えに来たクルジェット伯爵は、威圧感たっぷりに幼いイラリオンを見下ろしていた。


 まるでイラリオンがテリルを傷つけたかのようなその物言いは、あまりにも一方的なものだった。


 しかし、言いたいことをたくさん呑み込んだイラリオンは、テリルの保護者であるクルジェット伯爵に向けて、子供らしからぬ強い目を向ける。


「傷が治るまで、僕が彼女の面倒を見ます」


「ほう……それはそれは。ふむ。……スヴァロフ家との繋がり……悪くないな……」


 ブツブツと呟いた伯爵は、ニヤリと笑った。


「いいでしょう。スヴァロフ家のご令息が、我がクルジェット家の大事な娘を看病してくださると言うのなら、この件は水に流しましょう」







 それからイラリオンは、王都に戻ってからもクルジェット家に通い詰めてテリルの世話をした。


「ねぇ、ラーラ。何度も言っているけれど、この傷はあなたのせいじゃないわ。いくらなんでも、そんなに毎日来なくていいのよ」


 戸惑ったようなテリルがそう言っても、イラリオンは聞き入れなかった。


「そういうわけにはいかないよ。君の足が心配なのもあるけど、あの伯爵が君にこれ以上酷いことをしないか、僕が見張っていないと。君のことは何があっても僕が守るって決めたんだ」


「でも……」


「気にしないで。それよりテリル、今日はいいものを持ってきたんだけど、受け取ってくれる?」


「わぁ、キレイね!」


 イラリオンが差し出したのは、一輪の花だった。


「ラナンキュラスっていう花だよ。母上が好きだった花。色によって花言葉が違うんだ」


「面白いわね。ちなみにこのオレンジ色には、どんな意味があるの?」


「オレンジのラナンキュラスの花言葉は、『秘密主義』。今日は二人だけの秘密を作ろうと思って、これを持ってきた!」


 イラリオンが次に取り出して見せたのは、あの日二人で見つけたアリナ・スヴァロフの日記だった。


「あ! あの時の……!」


 テリルの怪我のせいで断念してしまったその宝物のお披露目に、テリルの目もキラキラと輝く。


 歴史上の人物が残した秘密の日記を、ワクワクしながら捲る二人。


 その内容を読み進めた二人の表情は、次第に驚きに変わっていった。


「これって……!」


 そこには驚愕の事実が書かれていた。


「異世界……? 転生……?」


「ねぇ、ラーラ。これって、どういう意味?」


「分からない。けど、興味深いな。この世界には、時空すら越える力があるのか? いや、それとも逆に時空の亀裂を利用すれば、もっと別の……」


 イラリオンの頭が難解な問題を解き始めた時、日記の先を読んだテリルが急に声を上げた。


「ラーラ、見て! ここ、オレグ・ジャンジャンブルの花嫁のことが書かれてる!」


「え? なんだって? あの精霊の花嫁のことが……!?」


「……不思議な目の色、複数の色が入り混じった虹彩を持つ可愛くて特別な子……彼女がいると、いつも動物が寄って来る……」


「……ねぇ、テリル。君の目って、もしかして……」


「……ねぇ、ラーラ。実は私、あなたに隠していたことがあるの……」


 そう言ってテリルは、首から下げていた母の形見の指輪を取り出して、イラリオンに自分の中に眠る魔力を見せた。


「その魔力、じゃあやっぱり君は……」


「……私は、オレグ・ジャンジャンブルと精霊の子孫だったの……?」







 とんでもない秘密を共有した二人は、その後もいつも一緒に過ごした。


 しかし、どんなにイラリオンが熱心に看病しても、テリルの足が良くなる兆しは一向になかった。一年、二年……と月日が経っても、テリルは立ち上がるのがやっとで、自らの足で歩くことができなかった。


「王子殿下の話し相手を断ったの……?」


「ああ、うん。別に、大したことじゃないだろ」


 成長し、イラリオンが声変わりを迎えるような思春期になっても、イラリオンはクルジェット家に通い続けていた。


 その秀才ぶりが話題になっていたイラリオンは、王室から第一王子ヴィクトルの話し相手にと望まれていたが、イラリオン本人がそれを断った。


「私のせい……?」


「違うよ。僕がただ、王子殿下とは合わないと思っただけさ。絶対に君のせいなんかじゃないから、そんなに心配しないで」


「でも……」


「それよりもほら、今日は天気がいいから散歩に行こう」


 このことが後に、イラリオンとヴィクトルの確執を生むことになるのだが、この時の二人がそれを知るはずはない。


 テリルの車椅子を押すイラリオンは、彼女を隔離するかのように閉鎖的なクルジェット家の中庭で、今日もテリルに外の話を聞かせた。


「それで最近は、復興した帝国産のエメラルドが社交界で流行り始めているんだ。商人達がこぞって買い占めてるらしいよ。少し前は帝国産なんて紛い物ばかりだと思われて見向きもされなかったのに」


「へぇ……! じゃあ、もう少し前にそれを買ってたら大儲けしたでしょうね」


「君の発想は相変わらず逞しいな」


 談笑を楽しんでいたテリルは、ふと咳払いをすると、真面目な顔でイラリオンを見上げた。


「あのね、イラリオン。……今日ね、ビスキュイ公爵が会いに来てくださったの」


「公爵が? 君になんの用で?」


「……おじいさまの話を聞かせてくれたわ。おじいさまは、私を後継者に望んでくれてたって」


「……先代の伯爵が……」


「でも、お父様が爵位を継いでくれて良かったと思うの」


「何を言っているんだ。あの人は君のものを奪ったってことだろう?」


「だって、私には継げないもの。この足じゃ……。それに、お父様と対立したくないわ。だから、公爵様にはそのことを黙っていてほしいとお願いしたの」


 グッと拳を握り締めたイラリオンは、車椅子の彼女に向き直った。


「僕には理解できないよ。どうして君はいつも、あんな人達を気にするんだ?」


「だって、あの人達は私の家族なのよ。好かれたいと思うのは当然でしょう?」


 伯爵一家に気味が悪いと罵られるせいで、ここのところ前髪で目を隠しているテリルは、不安そうな声でそう答えた。


「君のことを気味悪がるような人達が家族だって? ねぇ、テリル。僕は君が心配なんだ。君が僕を心配してくれるのと同じように」


 テリルの手を握ったイラリオンの目が、歯痒そうにテリルに向けられる。


「でも、ラーラ。私、もう少しだけ、あの人達に歩み寄ってみたいの」


「……君がそう言うなら、もちろん僕は君を応援するよ」


 伯爵家の人間達が、テリルのことをどんなふうに言っているのか。家族が嫌がるからと、大好きな動物達からも距離を取るテリル。その辛さを間近で見てきたイラリオンは、それでもテリルの気持ちを尊重した。


「ありがとう。心配させてばかりで本当にごめんなさい」


「いいんだ。でも、何かあったら必ず僕を頼って。それと、これだけは覚えておいて。君のその能力は、絶対に恥ずべきものなんかじゃないし、君はどこもおかしくなんかない。むしろ、もっと尊重されるべき人なんだ。だって君は、他でもない僕の……親友なんだから」










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