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第二十五章 噂と業と涙



 イラリオンの結婚相手がクルジェット伯爵家の長女、テリル・クルジェットであることが公表されると、王国中が騒然とした。


「テリル・クルジェットですって? 妹のソフィア嬢ではなく?」


「社交界デビューすらしていない変わり者でしょう?」


「気が触れているって噂の……」


「病弱で出歩けないと聞いたぞ」


「ボサボサの髪で不気味な目をしてるって」


「アカデミーにも通っていなかったわ」


「あのイラリオン卿が、そんな女を選ぶはずないじゃない。何かの間違いよ」


「それともまさか、あの変わり者令嬢に関する噂は嘘だったの?」


 噂好きの貴族達が好き勝手に盛り上がる中で、国宝級令息イラリオン・スヴァロフは、相変わらず王室騎士団長としての務めを全うする傍ら、父である宰相を補佐して魔塔の研究に参加しながらその美貌と勇姿を人々の目に焼きつけていた。


 特に最近は、領地を襲った嵐の被害からいち早く領民の保護と復興を指揮して見事に成し遂げた。


 さらには同様の被害を受けた近隣の領地にも惜しみなく食糧を分け与えたことで、スヴァロフ領だけでない多くの命が救われた。


 その美談を聞いた国民は、ますますイラリオンを崇め、その人気は高まっていくばかり。


「例の被災の件、聞きました?」


「嵐の被害を見越して食糧を調達したのは、イラリオン卿の奥様だったって……」


「でも彼女は、噂では無能だと……」


「クルジェット家が支援したのではないか?」


「あのケチな伯爵がそんなことをするはずないだろう」


「じゃあやっぱり、テリル・クルジェットがスヴァロフ領と近隣の領地を救ったの?」


「彼女が変わり者だという噂はいったい、なんだったんだ」


「そもそも彼女に関する悪い噂の出所は?」


「私はソフィア嬢がいつもテリル嬢の悪口を話しているのを聞いておりましたわ」


「私は伯爵夫人から……」


「伯爵本人がテリル嬢のことを嘆いていた」


「テリル嬢に実際に会ったことがある人はいるの?」


「クルジェット家に行っても彼女はいつも顔を見せなかった」


「彼女がアカデミーに通っていなかったのは、本当に彼女の実力が足りなかったからなのか?」


「……もしかしたらクルジェット家唯一の直系であるテリル嬢は、クルジェット伯爵家で虐げられていたのでは?」







「どういうことかな、伯爵」


 王都中の視線が集まりどうにも騒がしいクルジェット伯爵家には、キュイエール王国の筆頭公爵家当主であるビスキュイ公爵が、それなりに苛立った空気を醸し出しながら訪問していた。


「こ、公爵閣下、いったいなんのことやら……」


「テリル嬢の件だ」


 シラを切ろうとする伯爵の態度が目についたのか、ビスキュイ公爵は鋭い声を上げた。


 ビクッと体を硬直させた伯爵に、公爵は持っていた杖を握り締めて怒りをあらわにする。


「君の話では、彼女は生まれつき体が弱く、事故のショックで精神的に不安定で、成長してからもまともに言葉も話せないと言っていたな。他人に会うことすらままならない状態で伯爵家の財産と爵位を継がせるのは可哀想だと、涙ながらに私に訴えたあの言葉は嘘だったのか!」


「それは……」


 公爵の気迫に狼狽えた夫を庇うように、伯爵夫人が前に出る。


「い、いえ! 嘘ではありませんわ、本当にあの娘は少々頭のおかしい娘でして、イラリオン卿の趣味が変わっているだけで……」


 この期に及んで言い訳を並べ立てる夫人に、ビスキュイ公爵はその青い瞳で睨みを効かせた。


「そのイラリオン卿の取り次ぎで、私は彼女に直接会ってきたのだ」


「……っ!」


「あの子のどこが、言葉もまともに話せない病弱な娘だと?」


 刺すような鋭い気迫を見せる公爵に、伯爵夫妻は顔を青くして震え上がった。


「先代クルジェット伯爵はクルジェット家の行く末を案じていた。だからこそ、私は君を信頼しタラスの遺言のことを黙っていた。これでは死んでも友に合わせる顔がない。私は徹底的にテリル嬢のために戦うぞ」


「ビ、ビスキュイ公爵、これにはわけが……」


「黙れ! 私を欺き、タラスの思いを踏み躙ったこと、絶対に後悔させてやる。覚悟するのだな」


 床に杖を打ちつけて立ち上がった公爵は、脅すようにクルジェット伯爵を見下ろしていた。





「だから言ったのよ! あの娘をイラリオン卿に嫁がせたのが間違いだったんだわ!」


 公爵が去ると、伯爵夫人はヒステリックな声でそう叫んだ。


「煩い! あのイラリオン・スヴァロフとの縁談を、ドブに捨てるわけにはいかないだろうがっ! それにしてもあの老ぼれ公爵め、もっと早く死ぬか引退するだろうと思っていたのに、こんなに長生きするなんて!」


「あなた、どうする気? ビスキュイ公爵が相手では勝ち目はないわよ」


「心配するな。遺言状は既に灰になっている。いくら公爵といえども、今さら何ができる? あの小娘にくれてやるものなど何一つありはしない。この家は私のものだ」


 ワナワナと震えながらそう宣言した伯爵。するとそこに、不機嫌そうな声がかかった。


「さっきから何を騒いでいるの?」


「ソフィア! 帰っていたのね」


「ふん。テリルのことだ。あの娘、平民の血を引く孤児のくせに図に乗りおってからに……」


「ハッ! またあの女の話? ウンザリだわ! テリル、テリル、テリル! ちょっと外に出たら、どいつもこいつも私に聞くのよ、あなたのお姉様はあのイラリオン卿が恋に落ちるほど美人で聡明で優秀なのに、どうして今まで隠していたの?って。誰が美人ですって? 笑わせないで!」


 両親でさえ狼狽えるほどの剣幕で、ソフィアは義理の姉に怒りを爆発させた。


「許さないわ。私にこんな惨めな思いをさせるなんて。あの女だけは、絶対に許さない!」









「カァ?」


 騒がしいクルジェット伯爵家とは違い、穏やかな光を浴びながら日向ぼっこをしていたテリルは、隣に来たカラスのクロウに何かを問われた。


「……違うわ。喧嘩したわけじゃないの」


「カァ、カァ?」


「ううん。怒ってるわけでもないのよ。ただ、ちょっと分からなくなっただけで……」


 クロウが心配しているのは、テリルとイラリオンの仲についてだ。テリルのこともイラリオンのことも大好きなクロウは、この頃どこかぎこちない二人の雰囲気に疑問を抱いていたのだ。


 つぶらな瞳をパチパチと瞬かせ、首をキョトンと傾げる愛らしい友に、テリルは苦笑を漏らした。


「私がね、いけないの。変に意識しちゃって。だって彼ったら、思わせぶりだと思わない?」


「カー」


 クロウの言葉にテリルは動きを止めた。


「違うわよ。そんなわけないでしょう。だって私は……」


「カァ、カァ、カー!」


 羽をバサバサと動かして、何かを必死に訴えるクロウ。その話を聞いていたテリルの耳が真っ赤になる。


「な、何を言ってるのよ!」


 立ち上がったテリルは、ふわふわの髪を靡かせながら屋敷の庭を行ったり来たりした。


「そんなはずないわ。彼が私を本当に愛しているですって? 勘違いよ。自意識過剰もいいところだわ……。だって私は、いつも彼の足を引っ張って、邪魔をして。迷惑をかけて。……私と出会ったのが彼の……」


 テリルの脳裏に、不意に嫌味な声が響く。


『お姉様と出会ったのが、彼の運の尽きね。お姉様みたいな女と出会っていなければ、彼の人生はもっと輝いていたでしょうに』


「……っ!」


 それは、テリルの脳に刻まれた()()()()の記憶だ。


『いい加減気づいたら? イラリオン卿がお姉様の側にいるのは同情なのよ。お姉様が可哀想な子だから、優しい彼はお姉様を放っておけないんだわ』


「やめて、ソフィア。あなたに彼の何が分かるの?」


 頭の中に響く義理の妹の声に、テリルは必死に抵抗した。


『分かってないのはお姉様でしょう? 何が〝親友〟よ。十何年も彼を独り占めしておいて、婚約者でも恋人でもなく〝親友〟だなんて。自分が女として見られていないって、どうして気づかないの?』


「やめて!」


『馬鹿なお姉様にばかり時間を費やして、イラリオン卿は社交活動だって満足にできないじゃない。この前なんか王太子殿下のお誘いを断ってお怒りを買ってたわ。このままじゃ彼、他の令息達からも爪弾きにされるわよ。未来の国王に嫌われたら出世も絶望的ね。彼の人生台無しだわ、全部お姉様のせいで』


「いや……お願い、やめて……!」


『ね? 自分の惨めさがよく分かったでしょう? だからもう彼を解放してあげて。彼に相応しいのはお姉様みたいな出来損ないじゃないの。彼にはもう、心に決めた人がいるのよ』


 意地の悪い顔でテリルを罵るソフィアの顔が、ぐるぐると回って伯爵の顔になる。


『今さら何を言っているんだ、この役立たず! お前をイラリオン卿に嫁がせるために、これまでどれだけ多くの金を注ぎ込んだと思ってるんだ!』


 叩かれたわけではないのに、テリルは頰に鋭い痛みを感じた。


『こんな歳まで独り身でいたくせに、イラリオン卿と結婚する気はないだと? ふざけるな! なんとしても彼にはお前を誑かした責任を取ってもらう!』


 現実と過去と未来が入り乱れるテリルの脳内に、意地汚い養父の笑顔と怒号が浮かぶ。


『スヴァロフ家との繋がりが齎す利益は計り知れん。お前が橋渡しをすれば、我がクルジェット家はより繁栄するのだ。それが分からんのか!』


「彼を利用するのはやめてください!」


『いいから早く、誘惑でもなんでもしてイラリオン卿を射止めてこい!』


「絶対にイヤです! 私は……私は、彼とだけは何があっても結婚しません! 彼とだけは、絶対に!」






「カア!」


「テリル!?」


 心配するクロウの甲高い声。すかさず駆けつけてくれる愛する人の顔を見たテリルは、その夜明け色の瞳から一筋の涙を流していた。


「ごめんなさい、ラーラ」


 気を失ったテリルを受け止めたイラリオンは、ギリリと音がするほど強く歯を食いしばった。







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