第十七章 ご機嫌伺い
「急を要していたため婚姻届を先に提出しましたが、式は入念に準備をしてから挙げませんか?」
意気込むイラリオンに対して、テリルは慌てて首を横に振った。
「ダメです! 結婚式はしません!」
なんとなく予想していたイラリオンは、恐縮しているテリルに問いかける。
「……何故ですか?」
「だって、これは仮初の結婚です。一生に一度のイラリオンの大切な結婚式を、私なんかと挙げて台無しにしたくはありません」
案の定、これが仮の結婚だからと身を引こうとする彼女。イラリオンは、わざと困った顔をしてテリルを見た。
「どうしても、ですか? 私があなたと式を挙げたいのだとしても?」
「絶対にダメです。イラリオン、あなたは優しすぎます。私のことはもっと都合よく考えていただいて結構なのです。手間も暇もお金も、私なんかのために費やすのはどうかおやめください」
テリルの言葉は頑なだった。テリルと過ごすこの数日で彼女のことをよく分析し、理解し始めているイラリオンは、無理に話を進めるのは諦めて、彼女の弱みを突くような一歩引いた提案をする。
「……ですが、私は王室騎士団長というそれなりの地位をいただいておりますし、次期侯爵でもあります。式を挙げないというわけにもいきません。ですので、こうするのはいかがでしょうか。一年後、もしこの契約結婚が解消されず、延長することになったら。その時は、私と式を挙げませんか?」
「一年後、ですか……?」
イラリオンの立場で式を挙げないというのは確かに難しい選択だ。社会的信用にも関わるかもしれない。何よりもイラリオンのことが優先なテリルは、そのことに思い至って頑なだった態度を和らげる。そんな彼女に対し、ここぞとばかりに畳みかけるイラリオン。
「強引に結婚を進めておいて、式を挙げないのも不自然です。ここは、事情があって一年後に挙式する予定だと周知するのです。そうすれば、一年後契約解消の場合は式を取りやめにすればいいですし、契約延長なら一度式を挙げておくのが得策です」
イラリオンの話を聞いて納得したのか、それが彼のためになると判断したのか、はたまた最初から契約の延長などあり得ないと思っているのか。テリルは顔を上げて、そっと頷いた。
「……分かりました。そういうことでしたら」
テリルの返事にイラリオンがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、難しい顔をしたテリルは考え込みながら話を付け足した。
「でも、万が一、契約が延長されて式を挙げるようなことになったとしても、できるだけ小さくて地味なものにしてください」
これだけは譲れない、と強い意志をその瞳に乗せるテリル。
「……努力します」
できればイラリオンは、彼女と式を挙げられるのなら、歴史に残るほど盛大なものにしたかった。しかし、テリルがそれを望まないのであれば、無理に押し通すつもりはない。
「ではせめて、屋敷の内装工事をさせてくれませんか。本来でしたらあなたを迎え入れる前に済ませておきたかったのですが、予定が変わってしまい、中途半端な状態になっていましたから」
ついでとばかりに、これまで思っていたことを提案するイラリオン。しかし、相手のテリルは強敵だった。
「私はこのままで構いません。特にどこかが壊れているわけでもありませんし、確かに古い装飾が残ってはいますが、元の所有者がきちんと管理されていたのか、どれも綺麗な状態です。それに、内装は私ではなく、あなたが将来結婚する奥様に合わせるべきですもの」
テリルの言葉にイラリオンは、心の中で溜息を吐いた。確かにこの屋敷は、そこまで修繕が必要なほど傷んでいるわけではない。
もちろんイラリオンは、テリル以外の伴侶など微塵も考えていないので全てをテリルの好みに合わせたいのだが、本人にその気がないのなら有難迷惑でしかないだろう。
彼女のために手間も暇も金も何もかもを注ぎ込みたいイラリオンとしては非常に不服なのだが、今のテリルに何を言っても、イラリオンの想いを理解してもらえない限り、彼女の負担になってしまう。
「……分かりました。では、当面の間は現状で過ごしましょう。ですが、何か必要なものがあればなんでも言ってください」
そう言うしかないイラリオンは、自分の不甲斐なさが情けなくて仕方なかったが、いつか必ずこの屋敷を彼女の望むままに改修してやろうと心に誓った。
「そういえば、聞いてませんでしたが、私達の契約結婚について、信頼できる方にお話ししてくださいと申し上げましたが、どなたにお話ししたのですか?」
式やら今後のことやらを話しているうちに、ふと疑問に思ったテリルが問いかけると、密かに決意を新たにしていたイラリオンは顔を上げて丁寧に答えた。
「ああ、それでしたら、ヴィクトル王太子殿下にお伝えしました」
「……王太子殿下に?」
しかし、テリルの反応は予想外のものだった。王太子に話したと言えば驚くかもしれないとは思っていたが、テリルはヴィクトルの名前を聞いた途端、目に見えて不機嫌になったのだ。
「何か問題がありましたか? 彼は私の親友でして、彼ならば信頼できると思い話してしまいました」
どうしてテリルが急に不機嫌になったのか、その要因を探るようにゆっくりと答えたイラリオン。それに対してテリルは、これまで聞いたこともないほどの低い声を出した。
「……〝親友〟、ですか?」
イラリオンは、だんだん焦り出す。何故かは分からないが、テリルから醸し出される空気がピリピリとしている。
「お、怒っているのですか?」
何を間違ってしまったのかと、恐る恐る問いかけたイラリオンに対し、テリルは首を横に振った。
「いいえ。ただ、驚いただけです。イラリオンと王太子殿下は、〝親友〟なのですか?」
そう言いつつも、テリルの声には明らかに棘があった。珍しくイラリオンに向けてツンツンとした話し方をする彼女が新鮮で、しかしあまり機嫌を損ねてほしくないイラリオンは、驚きながらも慎重に説明する。
「はい。互いに無二の親友だと思っております。幼い日のあなたの言いつけ通り、彼と仲良く過ごそうと努力した結果、いつの間にかそうなっていました」
「……」
「テリル……?」
急に黙り込んだテリルに不安になったイラリオンが、その表情を窺うように覗き込むと。テリルはふいっとその視線を逸らす。
「なんでもありません」
そう言ってそっぽを向くテリルは、どこからどう見ても明らかに拗ねていた。
焦ったイラリオンが身を乗り出す。
「どうしたのですか。王太子殿下のこと、そんなに気に障ってしまいましたか」
「違います」
「じゃあ……」
困惑するイラリオンに対して、テリルは顔を向けると開き直ったかのように叫んだ。
「ヤキモチです!」
「……ッ!?」
一瞬、言葉の意味が理解できず、硬直するイラリオン。
「ただの嫉妬です。あなたにそんなに親しい〝親友〟がいるなんて、なんだか面白くないと思っただけです。それもあの王太子だなんて。私のほうがずっと、あなたのことを知っているし、想っているのに!」
口を尖らせてそう言い募ったテリル。
彼女に何を言われているのか理解してくるにつれて、イラリオンは自分の顔が熱を持って赤くなっていくのを感じていた。