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第十二章 専属メイド



 イラリオンが目に留めたのは、テリルが着ているドレスだった。彼女のためにと買い揃えた中の一着を身に纏ってくれているテリルだったが、その着こなしにはどこか違和感がある。


 テリルがくるりと背を向けたその途端、背面を紐で結び上げるタイプのそのドレスが中途半端に結われ、彼女の白い背中と下着の一部がぱっくりと見えてしまっているのを目にしたイラリオンは、色んな意味で爆発してしまうかと思った。


「……テリル。問題なく過ごしていましたか?」


 激情を呑み込んだイラリオンは、ドレスには触れずに、穏やかにテリルに話しかけた。


「はい、お陰様で」


 ニコリと微笑む彼女を見て、イラリオンは自分の上着を脱ぐ。


「今日はなんだか冷えますね。このホールは特に肌寒く感じます。私は用事を済ませてからお迎えに上がりますから、一度部屋へ戻っていてくれませんか」


 脱いだ上着をテリルの肩にかけてあげながら、その体をそっと部屋の方に促すイラリオン。素直に従ったテリルは、イラリオンに向けて微笑みながら頷いた。


「お気遣いありがとうございます。分かりました。部屋でお待ちしてますね」


 テリルを見送りながら彼女と共に下がろうとするメイドの方を見たイラリオンは、そのうちの一人に声をかけた。


「エラ。すみませんが、話があるので残ってもらえますか」


「は、はい! イラリオン様」


 イラリオンから直接声をかけられたメイド長のエラは、頰を赤らめて元気よく頷く。その顔はイラリオンから呼び止められた嬉しさを隠し切れていなかった。


 期待の眼差しを彼に向けるエラに対し、イラリオンはあくまでも穏やかな微笑を絶やさない。


 テリルが完全に部屋に戻ったのを見届けてから、イラリオンは改めて目の前の、幼い頃から世話をしてくれている少し年上のメイド長を見て口を開いた。


「それで、エラ。お伺いしたいのですが、どうして私の婚約者はあのような格好をしているのでしょうか?」


 イラリオンのその言葉に、何かを期待していたエラはガッカリしたような表情で煩わしそうに手を頰に当てる。


「はあ……その件ですか。あの方にはまったく困ったものですわ。気味の悪いことに、あの方の部屋にはカラスやらネズミやらが寄ってくるんです。見つけた時は本当にゾッとしました。叩き出すのに苦労しましたわ。そのうえご準備したドレスもまともに着れないなんて。そもそも礼儀からしてなってませんもの」


 ピクリと眉を上げたイラリオンは、とりあえずエラの話に耳を傾けた。


「どんな手を使ったのかは知りませんが、イラリオン様のような立派なお方の婚約者の座を、身の程知らずにも手に入れたくせに。何を勘違いしているのか、長年スヴァロフ家に仕えている私達に挨拶の一つもないんです。その自惚れを正すために、身の程を弁えていただくまでお世話はしないと決めたのです」


 つまり、どう見ても一人では着ることのできないあのドレスを押し付けておいて、その手伝いはしなかったと。堂々と白状しているエラに対し、イラリオンは青い瞳を向けた。


「そうですか。よく分かりました。エラ、明日からは仕事をしなくていいですよ」


「はい?」


 いつもと同じ丁寧な口調で言われた言葉に、エラは一瞬なにを言われているのか理解できなかった。


「スヴァロフ侯爵家に戻ってもいいですが、おそらく父はそれを許さないでしょう。君が長年スヴァロフ家に献身的に仕えてくれたのは事実ですから、次の職場を探すなら紹介状は用意します」


「あ、あの……?」


「ですので今日中に荷物をまとめてください」


 強くそう言い切り、イラリオンはエラに背を向けた。遅れてイラリオンの言葉を理解し青ざめたエラは、慌ててその腕に追い縋る。


「ま、待ってください! 私がいったい、何をしたと言うんですか!?」


 主人の腕に縋るエラを見て大きな溜息を吐いたイラリオンは、その腕をそっと外して温度のない瞳を彼女に向けた。


「本当に分からないのですか? テリルは私の愛する婚約者です。私の未来の妻であり、スヴァロフ侯爵家の次期女主人です。なぜ彼女が使用人である君に礼儀を尽くす必要があるのか、私には理解できません」


「っ!」


 ようやく自分の失態に気づいたエラだったが、もう遅い。


「あのドレスはどう見ても、一人で着用できるものではありませんね。私は彼女に誠心誠意尽くすよう指示したはずです。主人の命に背いて女主人の世話を怠るとは、君には失望しました」


「ち、違うんです! イラリオン様……」


「それに、当然ながら挨拶すべきは彼女ではなく、使用人である君達です。そんな常識も分からないような使用人は不要です。メイド長として君に使用人達の教育を任せたのは私の失態でした。彼女になんと詫びればいいか……」


 イラリオンは静かに激怒していた。長年侯爵家に仕えてきたエラでも、イラリオンが怒る姿を見たのは初めてだった。


「お、お許しください、イラリオン様!」


 床に頭をつけて深く謝罪するエラを見下ろしながら、イラリオンは淡々と口を開く。


「君に同調した使用人は今日付で全員解雇します。今日までの給金と退職金は出しましょう。その代わり明朝には全員出て行ってもらいますので皆さんにその旨を伝えてください」


 エラは絶句するしかなかった。いつも穏やかで使用人にまで優しく丁寧で、時にはエラを勘違いさせるような言動で誘惑してくる、エラの長年の想い人。


 そんなイラリオンが、見たことのない冷たい目をエラに向けているのだ。エラはこれが現実だとは思えなかった。


「イ、イラリオン様! どうしてしまったのですか? あんなに私に優しくしてくれたのに! あなたはあの女に騙されているんです、どうか目を覚ましてください!」


 イラリオンはうんざりだった。いい加減、怒鳴りつけてしまいたい。ただでさえテリルに気持ちが伝わらなくて四苦八苦しているというのに、こんなところで邪魔が入るなんて。


 いくら浮かれていたとはいえ、自分の判断ミスでテリルに嫌な思いをさせてしまったと思うと、イラリオンは自分が情けなくて堪らなかった。


 想定していたよりも早くテリルを迎え入れる必要があったため、今イラリオンの屋敷にいる使用人は全てスヴァロフ侯爵家から連れてきた者達だった。


 侯爵家を出てイラリオンの屋敷に入ることは、実質的な降格になってしまう。それを率先して手を挙げついてきたエラを、イラリオンはなんの疑いもせずに信用してしまった。


 それが必ずしも純粋な忠誠心ではないと、何故気づかなかったのか。今ではエラのその視線すら不快だ。まさか、自分の態度が使用人をここまでつけ上がらせていたなんて。


 エラにも自分にもとことん失望し、抑えきれない怒りが沸いてくる。


 そんな気持ちをグッと押し殺したイラリオンは、理性を保ちながらエラへと最後通告を言い渡した。


「……もう君と話すことはありません。とても不愉快です。今すぐ私の前から去ってください。でなければ、明日を待たず強制的に追い出します」


「……ッ!」


 ボロボロと涙を流しながら走り去るエラには一瞥も向けず、イラリオンはテリルが待つ部屋へと向かった。





「申し訳ありませんでした」


 気落ちした表情のイラリオンが部屋に入ってくるなり頭を下げたのを見て、テリルは丸い目をさらにまん丸にした。


「イラリオン? どうしたんです? なにかありました?」


「……エラの長年の献身を信じ、使用人達の教育を疎かにしてしまいました。そのせいであなたに迷惑をかけてしまったこと、なんとお詫びすればよいか……」


「え? ああ、もしかして、このドレスのことですか?」


 大きく開いて乱れた状態のテリルの背中を見たイラリオンは悲痛な表情でテリルに近づくと、そのドレスの紐を直すため手を伸ばす。


 イラリオンが作業しやすいようにと、ふわふわした髪を横に避けたテリルは特に照れることもなく、あっけらかんとうなじを晒している。


 その白い肌を極力見ないようにして器用に紐を結い上げて、イラリオンはもう一度テリルに謝罪した。


「本当に申し訳ありません。あなたには、これまで苦労されてきた分、ここで何不自由なく過ごしてもらいたかった。なのに、私の判断ミスでこのようなことになり……」


 落ち込むイラリオンの言葉を遮るテリル。


「家の中ですし。見るのは使用人達とあなただけですもの。そこまで気にしてませんわ。それに、伯爵家でのイジメに比べれば、これしきのこと可愛いものです」


 だからあなたも気にしないでくださいと笑うその姿に、余計に申し訳なくなったイラリオンは毅然とした表情でテリルの前に立ち、自らの胸に手を当てる。


「使用人は全員解雇し、入れ替える予定です。もう二度と、このようなことはないと誓います」


「ふふ、大袈裟です。私は別に、誰になんと思われようが、邪険にされようが構いません。私がここにいることであなたのお役に立てるなら、これ以上の喜びはないのですから」


「テリル……」


 彼女の言葉はいつも、イラリオンの胸を痛くする。


 溺れるほどの愛を、なんの衒いもなく真っ直ぐに向けてくれるテリル。その想いを伝えられる度に、イラリオンは切なくてどうにかなりそうだ。


 王国一のモテ男、美貌の英雄、国宝級令息、パーフェクト美男子、そんな呼称がいったい何だというのか。


 好きな女性(ひと)の前で、こんなに情けない失態を犯しておいて、どうして彼女の心を求めることができるというのだろう。


 ひたすら落ち込むイラリオンを見かねたのか、テリルはその夜明け色の瞳に茶目っ気を乗せてイラリオンを見た。


「それに、使用人を解雇してしまったら誰があなたのお世話をするのです? 私のためにあなたが困るようなことはなさらないでください。あ、それでしたら私があなたの専属メイドになりましょうか? あなたのためならどんなご奉仕でもしちゃいます」


「……ッ!」


 テリルの言葉に声も出ず、良からぬ妄想が迸りそうになったイラリオンは、慌てて首を横に振って雑念ごとその提案を拒否したのだった。










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― 新着の感想 ―
テリルは素で煽ってるのか狙ってるのか・・・
[良い点] ご奉仕しちゃうというパワーワードにときめかない男子、いる? 好きで好きで好きで(エンドレス)な彼女にそんなこと言われたら俺の(恋の)奴隷にさせてやろうか!とか暴れん棒のお世話をお願いしたく…
[良い点] どんなご奉仕でもなんて言われたら、イラリオンだって期待しちゃいますよね。だって男の子だもん!! [一言] 何かリンクされてると思ったら、アリナとイヴァンのひ孫でしたか! よく出てくるけどジ…
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