真夜中の死神。
最近、とても疲れているのか、会社から帰宅後──。
シャワーも浴びずにスーツを着たまま、椅子の上で眠りこけることがある。気づけば日付も変わっている。暗がりに部屋の時計を見れば午前二時。窓辺から月明かりが差し込んでいる。どうやら、俺は今日も部屋の明かりも点けずに椅子の上で眠りこけてたらしい。
「おい、死神。今日は居ねぇのか?」
──死神とは、俺が勝手にヤツのことを、そう呼んでいるだけだ。
「なんです?」
コイツが出て来るのには、どうも条件があるようだ。会社から帰宅後にシャワーも浴びずに椅子で眠りこけると、決まって出る。ここ一ヶ月くらい前からの話だ──。
「まだ、死なねぇんだが?」
「今夜は、惜しかったですよ? 後、666秒ほど姿勢の悪い状態で眠っていただけましたなら、突発性の不整脈でお連れできましたのに」
「お前が、サックリと殺ってくれりゃあ……」
「いかに、私と言えども、手前勝手に貴方の命を奪う訳にはいきません」
──とまぁ、そんなやりとりを、この一ヶ月。夜になるたびに繰り返してた訳だ。
俺は、早く安楽死されたい。
「どうして、そんなに死にたいんです?」
「ソイツは、お前が一番よく知ってるんじゃねぇか?」
「いいえ。私は、貴方が死にたそうにしてましたから、つい憑いて来てしまったワケです。心配でしたから」
「いや、俺が死ぬのを待ってるんだろ?」
「まあ、そうですが……」
死神と言っても、コイツはただの黒い影だ。よく言われる霊とか何かの類なのかも知れない。
それにしても、心配ってか? よく言う……。
「お前の目当ては何だ、死神? アレだろ? 命とか魂とか……」
「いえいえ、そんなじゃないですよ。アレですよ。ちゃんと逝けないと、迷っちゃうでしょ? で、身寄りの無い貴方が余計に心配なのですよ。貴方にはご先祖のお墓も何も無い。貴方、無縁仏ですよ?」
「無縁仏ってか……。ちっ! まだ、死んでねーよ」
ゴタゴタと御託は良いから、さっさと安楽死させて欲しい。自殺する勇気の無い俺は、コイツ──死神に期待してたんだが。
死神の後ろにある四角い窓辺から見える月。はっきりとした輪郭で、夜の三日月の明かりが鮮明だった。
あの三日月みたいな死神の鎌を、コイツも持っているだろうと、期待してたんだが。俺が馬鹿だった。
「なぁ、死神よ。俺は、いつ死ぬか分かんねーぞ? それでも、待つのか?」
「それですよ。私は、貴方が自殺するんじゃないかって、心配して憑いてましたのに、貴方は一向に自死する気配が無い。他にも心配な方は大勢いますし……。もう、行って良いですか?」
「あぁ……。行け行けっ! もう、行って良いぞ。あ、ちなみに、お前って……」
「ボランティアですよ。天国へ逝くための」
「なるほど。ちなみに、お前の死因は?」
「自殺──デスよ」
「逝けると、良いな」
「はい。やはり、天国へ逝き、再び生まれ変わりたいものです」
「そうなのか?」
ひとしきり、会話を終えると──、
死神は、頭を下げて俺の部屋の四角い窓辺から飛んで、夜空に浮かぶ三日月に吸い込まれるようにして消えていった──。
(──お元気で……)
別れの最後に、アイツ──死神の言葉が頭の中に響いた。
割かし、丁寧なデスマス口調で紳士なアイツの態度には、いつしか好感を持ってたみたいだ。
(少し寂しくなるな……)
俺は、もう少し生きてみようかと想う。
前向きに、『生まれ変わりたい』と言ったアイツの言葉が、妙に胸を打った。
俺の傍には、アイツの居なくなった暗闇の部屋が広がる。
しかし、俺が無縁仏になったとしても、アイツかアイツみたいな死神たちに会えるんだろうなって想ったんだが。
(ボランティアか……。アイツみたいな死神ほども、俺は真っ直ぐじゃねぇな)
そう想った俺は、急激に眠気に襲われて、とりあえずスーツだけは脱いでから、そのまま下着姿で布団に潜り込んだ。
布団の中に入ってから、666秒ほど数えようとしたが、60秒も数えられない内に俺は眠っていたんだと想う。
──何か心も体も軽くなった気がしたが、死神の居ない夜は、妙に寂しさを覚えた。