迫りくる魔の手
ミレーヌさんがコクマーのことを語り終えると、アントニオさんとロイドさんは呆気に取られていた。かくいう俺も、コクマーを生み出したという邪神カーリーなる存在に驚きを隠せない。そんな邪悪な神がこの世界に蘇ろうとしているとは。中々に物騒な話だ。
「邪神カーリーの眷属が、あの異形だったとは……。話には聞いたことがあったが、まさかこの目でみる時が来るとは思わなかったよ」
ロイドさんはメガネをクイっとしながら言った。
こういう時でも、知的な雰囲気を崩さないロイドさんはさすがである。
「邪神カーリーっていやぁ、かなり昔にこの世界を滅ぼそうとしていた魔王的なやつだろ? どうして今になってそんなやつがこの地で復活しようとしているんだ? というか、話を聞く限りではもうそのカーリーの意思自体は蘇ってるんだよな?」
アントニオさんもさすがに今回ばかりは真面目に話を聞いていたようで、彼らしからぬ尤もな疑問を口にしていた。
「そうですね……。一番の原因は、邪神教団という邪神カーリーを崇拝している集団が生まれてしまったから、でしょうか。彼らがどのようにしてカーリーを再びこの地に呼び寄せたかはわかりませんが……、どちらにせよ、このまま彼らを野放しにすることは出来ません。おっしゃる通り、カーリー自身も意識を持った状態でこの世界に存在しています。となれば、このまま大人しくはしてくれないでしょう」
と、深刻そうにミレーヌさんは言った。
邪神カーリーの意識は、既に復活を遂げている。あとはその力が完全なものになるのを待つだけ。先程のミレーヌさんの話では、そのために邪神教団は眷属たちを使い魔力を集めているということだった。恐らくパラライズリザード達を捕食していたのも、魔力を持った魔物だからだろう。
「ここでコクマーを倒せたのは僥倖です。彼らは表立って行動をしないので、どうしても追跡には時間がかかります。大がかりな部隊を動かしては勘づかれてしまう恐れがありますし、今回のように少数精鋭で叩くのが望ましいですね」
「あの……、思ったんだけど、他の眷属たちもお姉ちゃんみたいに触媒にされている人がいるのかな……? だとしたら、こんなにヒドイ事ってないと思う……」
エルーさんは胸の前で手をギュッと握った。
確かに、エルーさんの言う通り、他の眷属にも人間という触媒は必要なのかもしれない。だとすると、合計で10人が犠牲になっているということになる。
「眷属は魔力を触媒にして顕現されるようです。なので、必ずしも人間が犠牲になるとは限りませんね。レアさんの場合は、ハイエルフ特有の高い魔力量と高い生命力のため、一人で触媒となることができてしまったのでしょうが……」
「眷属は一体につき1人の触媒、というわけではないんですね。どちらにせよ、このまま放っておくことは出来ないみたいでしょうけど……」
邪神教団に邪神カーリーか。世界を脅かすような存在がいるのなら、俺は魔神としてどう対応するべきなのだろうか。今すぐどうこうできる問題でもないだろうが、いずれはぶつかる時もくるかもしれない。
「積もる話もあるだろうけどさ、今はさっさと街に戻らない? こんな場所でする話でもないでしょ」
と、ヴェロニカさんだ。
「私も賛成だよ。お姉ちゃんを早くお医者さんに診てもらいたいし……」
未だに目覚めないレアさんを、心配そうに見るエルーさん。
きっとヴェロニカさんもレアさんを安静な場所で寝かせてやりたいのだと思う。
「ですね。一旦エルドラに戻りましょうか」
ヴェロニカさんとエルーさんのことも考えると、こんな場所に長居するのは酷だな。
「そうだな。僕達も依頼どころではなくなってしまったし……――って、アントニオ! ちゃっかり薬草を摘むんじゃない!」
「別にいいだろうがよぉ! ちと難易度は跳ね上がっちまったが、貰えるもんはもらっとかねぇとな! ガッハッハ!」
「まったく……君というやつは。なら、さっさとしてくれよ」
「そう思うのならお前も薬草摘むの手伝ってくれねぇか? そっちの方が早く終わるぜ」
「仕方ないな……」
そう言って、渋々アントニオさんと薬草を摘み始めるロイドさん。
この状況でも目的の物は忘れないとは、見上げた冒険者魂である。
まあ、目的の品を納品できなければ報酬も貰えないしな。冒険者を生業とするのならもったいなく感じるのも仕方ない。
「――!? 皆さん、伏せてください!」
と、唐突にミレーヌさんが叫び、俺達の前にシールドを展開した。
その直後、ミレーヌさんが展開したシールドに禍々しい魔力がぶつかった。
「……っ」
ミレーヌさんのシールドは、壊れはしなかったものの、目に見える程のヒビが入ってしまっている。
「オイオイオイ!? 今度は何事だァ!?」
「い、いったい何だというんだ!?」
アントニオさんとロイドさんは驚いて尻もちをついている。
俺はすぐに警戒態勢に入り、黒曜丸の柄に触れた。
襲撃の主は、コクマーが現れたパラライズリザードの巣穴の方にいた。
黒いローブを被り、ここからでは顔がよく見えない。
「あのローブ……邪神教団の人間です……!」
そう言いながら、ミレーヌさんは俺達の前に出る。
冒険者達の前に出るシスターというなんとも謎な構図が出来上がってしまったが、さっきのシールドでミレーヌさんが相当な実力者であることは見て取れた。魔力弾とシールドは魔術の基礎だ。その基礎を上手く扱える人は戦いの腕も相当なもの。そもそも、あの不意打ちに反応出来ているだけでただ者ではない。
「まさか、アタシらが気を抜いた瞬間を狙って……!?」
ヴェロニカさんも短剣を抜いた。
アントニオさん達もすぐに立ち上がり、戦闘態勢に入った。
レアさんの前に立つヴェロニカさんとエルーさん。その前に立つミレーヌさん。そしてその後ろに立つ俺とアントニオさんとロイドさんの布陣だ。
相手は1人だけ。多勢に無勢だ。さっきの不意打ちで俺達を倒せなかった時点で、相手の分はだいぶ悪いはずだが……。
「ハハ、さすがは聖王教会の四聖女が1人。カーリー様より授かった魔術、【呪力弾】を易々と防ぐとはね……」
ローブの男は先制攻撃を防がれたことを気にした様子などまったくなさそうに言った。むしろ、その言葉からは愉快さすら感じさせるようだ。
ローブの男はゆっくりとこちらに近づいてくる。
ミレーヌさんは魔力の槍を作り出し、構えた。
ジリジリと近づくローブの男とミレーヌさんの距離。
「――っ」
そして、次の瞬間、ミレーヌさんは目にもとまらぬ速さで槍を突き出した。
「……っ!?」
ミレーヌさんの槍は、確かにローブの男を貫いていた。
だが、そこに実体はなく、ローブだけを仕留めていたようだった。
あの男、あのスピードの攻撃を躱すなんて……。敵もまたただ者ではないということか。
「な……!? あ、アンタは……!」
敵の姿が露わになった途端、ヴェロニカさんが驚愕に顔を歪ませた。
もしかして知り合いだったのだろうか? しかし相手は邪神教団の人間だとミレーヌさんは言っていたが――。
「どうしてアンタがこんなとこに……。あの時死んだはずじゃ……」
声を震わせ、ヴェロニカさんは、
「エリック――!」
その名を口にした。