ヴェロニカとコクマー
神聖属性があの異形、コクマーに対して有効であることはヴェロニカさんが先ほど放った一撃で見て取れた。俺の【ラ・エクレール】や黒曜丸を以てしてもダメージを与えられなかった敵に対して、神聖属性ならば傷を負わせることが出来る。
神聖属性の魔術は、一応扱えるには扱えるのだが、ヴェロニカさんは俺に対して手を出すなと言っていた。だけど、正直とても手を出したい。ヴェロニカさんの手助けをしたい。しかし、釘を刺された今の俺に出来るのは【ネビュラ・ホール】で黒い霧を吸い込み続けることくらいしかない。
「これである程度の視界は確保できてると思うけど……」
この間にも、ヴェロニカさんはコクマーとの戦闘を続けている。
ただ、今のヴェロニカさんは従来の力を失った状態だ。冒険者ランクもDであるところを見るに、相当の弱体化を喰らっているはず。そんな彼女があの怪物と渡り合えるだろうか。とても不安でしょうがない。
だけど、ヴェロニカさんは手を出すなと言った。
俺は信じてサポートに徹するしかない。もちろん、いざという時には助太刀する予定ではなるが――。
「ようやくレアを救う算段が整ったんだ――! いいから大人しく倒れろ――!!」
ヴェロニカさんは叫び、コクマーへと迫る。
神聖粉をまぶした短剣を手に、敵の隙を伺っているようだ。
【ネビュラ・ホール】で黒い霧を吸い込んでいるとはいえ、未だに視界は万全ではない。恐らくヴェロニカさんも慎重になっているはず。
「▲※◎★●○▼$※△☆#――!!」
コクマーの触手がヴェロニカさんを襲う。
だが、先程よりも視界が開けているからか、ヴェロニカさんは触手攻撃を難なく避けていた。小柄だからか、動きが素早い。
しかし、なんだ。見ていることしかできないというのは、こうももどかしいものか。でも今はヴェロニカさんの意思を尊重したいし……。でも、俺だって協力したい。したいのに、邪魔をしちゃいけないって、そう直感が告げていた。これはヴェロニカさんにとって、とても大切な戦いなんだと思う。
「ヴェロニカさん――」
ただの魔族の身体で、あそこまで戦えるなんてと思わずにはいられない。
何がヴェロニカさんをそうさせるのだろうか。そして先ほどヴェロニカさんが口にしたレアというのは、いったい誰なんだろうか。
コクマーの攻撃が、エルーさんの方へ向かっていないところを見るに、ヴェロニカさんがかなり善戦していることは楽に見て取れた。有効打を持ち、あの気迫で迫られたらさすがの怪物もヴェロニカさんに集中するしかないのだろう。
ヴェロニカさんの攻撃は、浅いとはいえ確実にコクマーにダメージを与えていた。しかし、それと同時に、ヴェロニカさんにも疲れが見え始めていた。もう戦闘が始まってから数十分は経つ。接近戦のみでの戦闘スタイルでは、体力も気力も相当消耗することだろう。加えて敵は異形の怪物。体力という概念が存在するのか怪しい相手だ。そんな敵と対峙し続けることは、どう考えても過酷なはずだ。
決着がつかないまま時間が経てば経つほどヴェロニカさんが不利になる。
このまま戦況が変わらなければ、最悪の場合は俺が――。
「とにもかくにも、ヴェロニカさんの命が最優先――」
俺はヴェロニカさんを失うわけにはいかない。
無理強いは出来ないが、使徒として俺と共にいて欲しい。
ヴェロニカさんも考えておくと言ってくれた。
後で責められようとも、俺の目の前でヴェロニカさんを死なせることだけは絶対にあってはならない。
「――これでェ……ッ!!」
ヴェロニカさんが短剣をコクマーの顔目掛けて投擲した。
しかし、その攻撃はすんでのところで触手に遮られてしまった。
直後、コクマーの触手がヴェロニカさんを捉えた。
「――……っ」
しかし、ヴェロニカさんはすんでのところでその触手を躱した。
ギリギリだ。ヴェロニカさんの表情からも、余裕がないことが見て取れる。見てるこっちも冷や冷やものだ。
「ヴェロニカさんの動きが変わった……? 何かを狙っているのか……?」
現状のヴェロニカさんのメインウェポンは神聖粉で神聖属性を付与した短剣のみ。しかし、それだけではコクマーに対し決定打にはならない。何か奥の手のようなものがヴェロニカさんにはあるのかもしれない。
「手を出したい、けど……」
【ネビュラ・ホール】で黒い霧を吸い込ませながら、俺は拳を握りしめた。もどかしい。俺もヴェロニカさんと一緒に戦いたい。けど、邪魔はしちゃいけないってさっきから直感が告げているんだ。
「――あらあらあらぁ~。やっぱり勝手に始めちゃってますね~」
「へっ? だ、誰……!」
目の前の戦いに気を取られて、背後から近づく何者かに気づかなかった。
俺の後ろにはまだ黒い霧が蔓延している。視界が悪いせいで近づいてくる影に気づかなかった。
その人物は、シスターだった。艶やかな黒髪に豊満なお胸のせいでその修道服が若干卑猥に見えるが――。とにかくこの場所に相応しくない風貌に、俺は呆気に取られていた。
「おや、これは可愛らしい冒険者さんですねぇ。――……と思いまいたが、あなた、何者です?」
温和な雰囲気から急にマジトーンになるシスターさん。
柔らかい物腰だが、その内には秘めたるものを感じる。
見たところ、普通のシスターじゃなさそうだな。
「私はクロエと言います。おっしゃられた通り私は冒険者ですが……あなたこそ何者ですか?」
「ふふ、私はミレーヌ。聖王教会のシスターです。お見知りおきを」
「聖王教会……?」
初めて聞いた名前だ。
まあ、俺もこの世界に来てから日が浅いし、知らないもののことが多い。クロヴィスならば知っていそうだが、今はいないので聞けないな。
「あら、よく見たらあなたも魔族……でしょうか? 片目だけ赤い方は初めてですね。もしかして、ヴェロニカさんのお知り合いです?」
「あなたこそヴェロニカさんを知っているんですか?」
「ええ、よく知っていますよ。ゆっくりと説明をしたいところですが――、そろそろ決着がつきそうですね。では、この話はまた後でということで」
「――!!」
ヴェロニカさんとコクマーの戦いは、最終局面を迎えようとしていた。