ヴェロニカの過去⑥
「――ここは……?」
ヴェロニカは白い部屋の中で目を覚ました。
気づけばベッドの上で寝ていた彼女は、この場所がどこであるのか皆目見当もつかなかった。やけに白い空間だが、まさか天国にでもいってしまったのだろうか。そんなおとぎ話のようなことを考えるくらいには意識はハッキリとしていた。
「生きてるのか、アタシ……」
ヴェロニカはぽつりと呟いた。
記憶が徐々に蘇ってくる。あの遺跡跡地の地下で起こった出来事が、脳裏に焼き付いて離れない。
邪神カーリーと友人であるレアの戦い。
そして、ヴェロニカは肩と腹を刺され、恐らく重傷であった。あのままでは間違いなく死んでいたことだろう。だというのに、こうして目を覚ましたということは、誰かが助けてくれたことは間違いないはずだ。問題は、いったい誰が彼女を救ったかということだ。
「何もかも夢だったとか、そんなオチだったりして」
そう口にして、ヴェロニカは自分が愚かな発言をしていたことに気づき、苛立った。あの出来事が、夢であったはずがない。痛みも、レアの絶望した顔も、全て脳裏に焼き付いている。
そしてヴェロニカはもう一つ思い出した。
あの時、意識が消えかかる瞬間に誰かがあの場にやってきたこと。その後どうなったのかは分からないが、自分がこうして生きているということはその人物が助けてくれたことは間違いないだろう。
となると、もしかしたらレアも助けてもらっているかもしれない。
レアが怪物になるところを見た気がするが、それこそ痛みが見せた幻影だったのではないか。きっと他の冒険者達が応援に来てくれて、邪神カーリーをやっつけたのだ。
「は、はは……。そんなわけないか」
この目で見たことはまやかしでも幻想でもない。全て起きたことだ。レアは異形となり、ヴェロニカは死にかけた。何もできずにただ足手まといになっただけの、愚かな冒険者だった。
「――あらあらあらぁ、起きられましたか~?」
と、部屋に何者かが入ってきた。
その女性は、何故かシスターのような恰好をしていた。白と黒の修道服に、白いベール。神聖な格好なのだが、ある特定の部位の主張が激しいせいで、逆にいやらしく見えるのは何故だろうか。
「毎日治癒術を施したかいがありましたね。ふふ、良かったです」
言いながら、そのシスターはベッドの横に置いてあった丸椅子に腰かけた。そして、ヴェロニカの両手を取り、治癒術をかけ始めた。
治癒術はすぐに終わり、シスターはふぅと一息ついた。
「お加減はどうでしょうか?」
「ありがとう、痛みは無いみたい。――それと、聞きたいんだけど、アンタがアタシを助けてくれたの?」
「そうですねぇ……地下で倒れていたあなたを助けたのは確かに私でしたが、命を救ったのは私ではありません」
「……? というと?」
「我らが主である聖王様が、再生の術により、あなたを救ったのです」
「聖王……!?」
ヴェロニカは耳を疑った。
聖王とは、あの聖王マリアのことだろうか。いや、この世界に聖王という名を持った人物は一人しかないない。そして目の前のシスターといい、どうやら自分は聖王教会に助けられたようだ。
「ということは、ここはもしかして……」
「ええ。ここは聖王宮殿。聖王様のお膝元ですよ~」
「…………」
まさかの展開に、ヴェロニカは開いた口が塞がらなかった。
あの状態から復活できたことに加え、自分の傷を治してくれたのがあの聖王その人であったことに驚きを隠せなかった。
この場所が聖王宮殿だということは、ここは恐らくラーシバル聖国の中心地、教導都市リルディスになるはずだ。これはまた遠い場所に来たものだとヴェロニカは思った。しかしいったい、どうやってこの場所にまで自分を連れてきたのだろうか。悠長にクルマで運んでいたら、その前に息絶えていたように思えるが。
「色々と驚いたかと思いますが、今あなたが生きていることが全ての証明です。質問があれば、可能な範囲で応えるようにと聖王様から仰せつかっていますので、何かあればおっしゃってくださいね。――と、その前に自己紹介をしておきましょうか。私はミレーヌ。よろしくお願いしますね」
「アタシはヴェロニカ。――それで早速質問なんだけどあの後どうなったの? レアは……あの化け物はいったい何なの?」
「あの化け物、というと、邪神カーリーの眷属のことですね。あの場に顕現したのは10の眷属の内の一つ、コクマーと呼ばれる個体です。あの後、私達聖王教会があの場に来てから、不利と悟ったカーリーは、コクマーと共にその場から逃げてしまいました。追跡を試みはしましたが、腐っても邪神ですね。易々と私達の目から逃れ――今はどこかに潜伏していることでしょう」
「カーリーと、あのレアだった怪物は逃げたのか……。それで、他の冒険者達は?」
「残念ながら、皆さん既に……。さすがの聖王様でも死人を蘇らせることは出来ませんから。カーリーと対峙して生きていたことは奇跡と言ってもいいでしょう」
「……」
ヴェロニカが生き残れたのは、レアのおかげだ。それに、自分があの場にいなければ、レアは今も無事だったかもしれない。そう思うと、何故自分だけこうして生き残ってしまったのかと、やるせない気持ちになる。
「恐らく邪神カーリーは、教団と眷属を利用して自身の完全なる復活を目論んでいるはずです。あの場にいたカーリーは不完全なものでした。聖王教会としても、邪神の完全復活は何としても阻止したい……。聖王様もそうお考えです」
「……邪神復活を阻止、ね。そういえば、邪神カーリーを封印したのは聖王だったって、本に書いてあったっけ。なら、アンタらにとって邪神を倒すことは使命なんだろうね。――でも、アタシにとっては、もう……」
レアを失った今、冒険者を続ける気力も、そもそも生きる力すら湧いてこなかった。ヴェロニカにとって、レアという存在はそれだけ大きな心の支えとなっていたのだ。
「そのことなのですが――レアさん、でしたか? コクマーの触媒にされた方の名は」
「そ。ハイエルフ族でアタシの仲間だった。アタシのせいでレアは……。アタシがあの場に行きさえしなければ、アイツはあんな化け物になんてならずに済んだかもしれない……」
足手まといだった。重荷だった。邪神カーリーとの戦いの時、レアに取ってヴェロニカはただの枷だった。自分がいたせいで狡猾なカーリーに利用され、レアは戦意を喪失してしまったのだ。
いくら悔やんでも悔やみきれない。せっかく転移したこの世界でもやっていけるって希望が湧いていたというのに、それも全て失ってしまった。
「邪神カーリーはまだ、完全に復活していません。これは聖王様がおっしゃられていたのですが、レアさんは生きている可能性があります」
「え……」
ミレーヌの言葉に、ヴェロニカは自分の耳を疑った。
レアが生きていると、そう彼女は言ったのだ。
「眷属であるコクマーも、恐らく不完全な状態で顕現したはず。となると、その活動エネルギーの確保のため、レアさんの生命力を利用していると考えられます。ハイエルフは長寿ですから、触媒にするには最適だったのでしょう」
「れ、レアが生きてる……? 本当に……?」
その可能性に、ヴェロニカは震えた。
「あくまでも、その可能性があるというだけですが。ただ、元の姿に戻すにはあのコクマーを倒す必要があります。しばらくの間は邪神復活のため、教団と共に魔力を集めるために行動するでしょう。その際、大手を振って行動はしないはずなので、追跡には情報が必要です。倒すためにはまず敵を見つけなければなりませんからね」
「……とにかく、そのコクマーって怪物を見つけて倒せばレアは助かるかもしれないんでしょ?」
言いながら、ヴェロニカは血が湧きたつ思いだった。
少しでもレアが救える可能性があるのなら、そのために生きたい。その過程で死ねるのなら、むしろ本望ですらあった。生きる術すら見失っていたヴェロニカに手を差し伸べてくれた彼女を、今度はこちらが救えるというのならこんなに嬉しいことはない。
「ま、まあ、そういうことですね。――え~、こほん。そこで教会からあなたに提案があります。冒険者として活動しながら、邪神教団とカーリーの動向を探ってほしいのです。その代わりと言ってはなんですが、私達もコクマーに関する情報と、その対抗手段をヴェロニカさんにお渡しします」
「取引ってこと――?」
「そうなりますね。冒険者ギルドには新鮮な情報が集まってきますし、それに恐らく冒険者協会も黙っていないでしょうから。極力面倒事は避けたいというのが本音でして、協会の方の動きも教えてくれると助かります」
「…………わかった」
ヴェロニカはミレーヌの提案を承諾した。
簡単な取引だ。冒険者として活動しながら邪神教団の情報を集める。ついでに冒険者協会の動きも気にしておく。そしてその情報を聖王教会に渡す代わりに、コクマーの情報と対抗手段をもらい受ける。互いの益が一致した関係だというわけだ。
迷う必要はない。レアを救える可能性があるのなら、そのために生きるのが今のヴェロニカの存在意義だ。
「ふふ、交渉成立ですね。では、ヴェロニカさん。これからよろしくお願いしますね~」
そうして、ヴェロニカはレアを救うために、この世界で生きていくのだった。
過去の話はここで終わりです。