ヴェロニカの過去⑤
日が暮れ始めた頃、ヴェロニカは邪神教団のアジトがある遺跡跡地になんとかたどり着いていた。彼女は愛用の短剣を握りしめ、辺りを警戒しながらも急ぎ中へと侵入を試みる。
「遺跡っていうより……なんだろう、ここの感じ……」
荒れ果てた寺院のような場所に、ヴェロニカは違和感を感じつつも進んでいく。しかし、戦いが起こっているような音は一切聞こえてこない。もしかしたら既に討伐を終えて帰っているのかもしれないが、心臓の音は大きくなっていくばかりだ。
倒れた柱や崩れた石造りを見るに、相当昔から放置されていたように思える。こんな場所を拠点にする意味があるのか。そもそも、誰かがこの場所で活動していた形跡も見られない。
「いったい、どこに……?」
そうしてヴェロニカは最奥へとたどり着いた。
だが、その間誰とも遭遇はせず、何も起きなかった。
そこには祭壇のようなものがぽつねんと置かれているのみ。
「これは、地下への階段……?」
最奥の祭壇のそばに、地下への階段があった。
よく見ると、誰かが祭壇付近を調べたような形跡もある。地上には誰もおらず、何の音も聞こえないということは、舞台はこの下であるとみて間違いないだろう。
「よし――」
意を決し、ヴェロニカは地下への階段を下りていく。
結構な距離を行き、ようやく開けた場所へたどり着いた。
中はそれこそ遺跡のような造りになっており、こっちが本当の意味を持つ場所なのだと瞬時に理解した。加えて、所々松明が灯っている。何者かがこの場を利用していたのは容易に想像できた。
ヴェロニカは地下遺跡を進み、ようやく開けた場所へとたどり着く。
神殿の中のようなその場所は、異様な雰囲気に包まれていた。
そして、その空間の奥の方を見ると、驚くべき光景が広がっていた。
「な――ッ!?」
邪神教団のアジトを潰しに行くと息まいていた冒険者達が皆、無残に横たわっていたのだ。見ると、冒険者ランクBの者も数人見受けられた。加えて、怪しいローブを着た連中も倒れている。彼らが邪神教団なのだろうが、この惨状、ただの宗教集団ではなかったのだとヴェロニカは確信した。
「本当に本物だというの……? しかし、この強さは――」
そんな中、ただ一人だけ立っている者がいた。
虚空に向けて呟く彼女に、ヴェロニカは声をかける。
「レア――!!」
ただ一人、何者かと対峙していたのはヴェロニカの友人で、同じクランの仲間であるレアだった。だが、その身体はボロボロで今にも倒れてしまいそうだ。
ヴェロニカはすぐにレアの元へ駆けつけた。しかし彼女はその時、自分が戦力外だということをすっかり失念していた――。
「ヴェロニカ……!? ど、どうしてここに……っ」
珍しく取り乱しながら、レアは言う。
「ここにいてはダメよ……! 逃げなさい! あなたではどうすることも――」
と、レアが言いかけた直後、奥の方からどす黒い波動が飛んできた。
暗黒属性の魔術か、その魔弾は禍々しく全てを破壊しつくしそうな程だ。
しかし、その一撃をレアはシールドを展開して防いだ。そのシールドは、ヴェロニカがレアと付き合い始めて初めて見る彼女の魔術だった。初めて見たはずなのだが、その発動速度や精度は、明らかに熟練者のそれであった。
「いったい何が――」
レアが睨むその先には、何者かが立っていた。背丈や体格は普通の成人女性くらいで、黒髪に紫色の眼、黒いローブを着ている。ただ、雰囲気が尋常ではなく、その存在自体が異常であるとヴェロニカの直感が告げている。
「やはり、素晴らしい魔術だ。よもや、このような逸材が苦労もせずに手に入るとは。ククク、我は運が良いようだ」
ローブの女は、ゆらゆらと揺らめき、こちらに近づいてくる。
レアはヴェロニカを制し、前に出た。
「しかし、この身体では思うようにいかんな。ハイエルフの娘ごときにこうも手こずるとは……」
「それは残念だったわね。私はこれでも本気を出せば結構強いの。あなたの卑怯な不意打ちさえなければ、他のみんなだってさっきのシールドで守れたわ」
「クハハハ! 我が卑怯? 笑わせてくれる。教団の信徒共を使って効率良く人を殺すことのどこが卑怯だというのだ。そもそも、油断していたお前達が悪いのではないのか?」
「く……ッ」
「しかし、そうよな。不完全とはいえこの邪神カーリーを相手にここまで戦える逸材であることには変わりない。貴様という個には、非常に価値がある。故に、我が糧となってもらうぞ」
ローブの女は、再び手をかざした。
さっきの禍々しい魔弾をまた放つ気のようだ。
しかし、それ以上にヴェロニカの頭は混乱していた。先ほど敵は、自身のことを邪神カーリーだと言った。邪神教団は邪神カーリーを復活させるための組織ではなかったか。既に現世に蘇っていたなど想定外にも程がある。
「ヴェロニカは下がっていて。カーリーは私がやるわ」
「で、でも……!」
「あなたがいては私も本気で戦えない。――ごめんなさいね、足手まといだとか、そういうことじゃないの。ただ、大切なあなたを失うことだけは絶対に嫌だから」
「……っ」
レアの言葉に対して、ヴェロニカは何も言い返せなかった。自分が足手まといだということは自分自身がよく分かっている。初めて見たレアの魔術は、かなりのものだった。加えて、彼女はハイエルフ族だ。その特異な魔力を使って戦う方がきっと、従来の姿なのだろう。
ヴェロニカは自分が情けなかった。
分かっていたつもりだったが、やはり悔しさは込み上げてくる。
自分も従来の姿だったら、吸血鬼としての力が自由に発揮できれば、レアと共に戦うことだってできたはずだ。どうして力が必要な場面で、こうも燻ぶらなければいけないのだろうか。どうしてここは魔界ではないのだろうか。どうしてエリーゼが近くにいないのだろうか。考えだしたらキリがない。
「妖精の風よ、応えて……!」
レアがそう言うと、彼女の周りに緑色のオーラが集まり始めた。
恐らく、自身の能力を上げる魔術だろう。エルフ族が扱うという妖精魔術の一種のようだ。
「あくまで我と戦うか。いいだろう。その選択を後悔させてやるぞ」
「言ってなさい! 【妖精風撃】――!!」
緑色の風が、刃となって邪神カーリーへ迫る。
しかし、相手も無策ではない。すぐさま魔術を放ってきた。
「【呪力弾】」
妖精の魔力と禍々しい魔力がぶつかり合う。
お互いの魔術は同等だったのか、霧散して消えた。
そして、すぐさま次の攻撃に移るレアと邪神カーリー。
魔術を打ち合い、隙を見て剣での攻撃を加えるレアの立ち回りは、今までヴェロニカが見たこともない戦い方だった。
「剣の腕も中々とはな。クク、魔術だけではないことは誉めてやろう」
「あら、冒険者として上り詰めたのはこっち、剣の方よ? でもあなたは接近戦はあまり得意ではなさそうね――!」
レアが思い切り剣を振るうと、たまらなくなったのか邪神カーリーは後ろへ下がった。
「仮初の姿なのでな」
「それは残念ね」
レアの魔術と剣の二重の攻めは、あの邪神カーリーをも追い詰めていた。
それからしばらく、戦闘は続いた。一進一退の攻防。実力が拮抗しているのか、中々勝負は決まらない。
ヴェロニカは拳を握りしめ、レアと邪神カーリーの戦闘を眺めることしかできなかった。二人の魔術戦に、今のヴェロニカでは入り込む余地もない。このまま何もできずに、ただ突っ立っていることしかできないのか。
「――ククク、本当に面白いヤツだ。この触媒の身体では本来の力の十分の一も出せないとはいえ、ここまで食い下がるとはな。しかし、このままでは平行線か……」
邪神カーリーの視線が、一瞬ヴェロニカの方を向いた。
その瞬間、ヴェロニカは背筋が凍るような恐怖を覚えた。
まるで、標的をこちらに向けられたかのような、そんな感覚だ。
「ここは一つ、効率的にいってみようか――」
そう言って、邪神カーリーは姿を消した。
その直後、邪神カーリーはヴェロニカの前に姿を現した。
「え……?」
気づけば、ヴェロニカの右肩に穴が開いていた。邪神カーリーの手に握られた短剣で、右肩を貫かれていたのだ。
「ぁ……」
痛みを認識する前に、死の恐怖がヴェロニカを襲った。今のこの貧弱な身体では、この傷と出血の量は致命傷になりうることを瞬時に悟った。そして、自分がとんでもないことをしてしまったのだと、理解してしまった。
――今のレアにとって、ヴェロニカは重荷になってしまっていたのだ。
「ヴェロニカ――ッ!!」
レアはすぐさま邪神カーリーに向けて魔弾を放つ。
しかし、邪神カーリーはその一撃を片手で受け止めた。先ほどまでとは違い、軽く受け止めきれる程に威力が弱い。
「やはり、仲間を人質に取られては本気が出せないようだな。クク、これでこちらが有利になったというもの」
「この……! 卑怯者ォ――!!」
レアが悲痛な叫びを上げる。
ヴェロニカは、完全に足手まといになってしまった。
これでは、レアはまともに戦うことは出来ないだろう。
「今の我は片手が塞がっているぞ? 本気で魔術を撃てば倒せる絶好の機会だというのになァ……?」
「く……ッ! 離せ!! ヴェロニカを離せ――!!」
レアは叫ぶが、邪神カーリーに攻撃することを躊躇っていた。
優しい性格の彼女のことだ。ヴェロニカをこれ以上傷つけたくないと、そう思っているのだろう。
「私が今助けるから――!」
レアが剣を手に、邪神カーリーに迫る。
しかし、その瞬間――
「がぁ……ッ!?」
「あぁ……ッ! ヴェロニカ……っ」
邪神カーリーはヴェロニカに突き刺していた短剣を捻じった。さらに、短剣を彼女の腹部に突き刺し、追い打ちをかけた。少しでも動けばいつでも殺せると、レアに対して示したのだ。
「や、やめて……ヴェロニカを殺さないで……っ」
レアはその場に崩れ落ちた。
剣を手放し、完全に戦意を喪失してしまっていた。
「クハハハハ!! これは愉快だ! こいつは貴様の何だ? ただの仲間だろう? 仲間を傷つけたくないから我を本気で攻撃できぬと? だとしたら甘いなァ! こんなことで取り乱すなど、実にくだらぬよ!」
腹部の更なる痛みが、ヴェロニカを襲う。
痛みで意識が飛びそうになるのを必死に堪え、ヴェロニカは口を開いた。
「く、ぅぅ……! はぁ……はぁ……、レア……アタシは、いいから……コイツを、倒して……アンタ、だけでも……」
ヴェロニカが苦し紛れに言うと、レアは顔を歪ませた。絶望して、今にも泣き喚いてしまいそうな表情で彼女は首を振った。
「い、嫌よ……! 嫌……! ヴェロニカを失うなんて、私は絶対に嫌……!」
「ダメだよ……レア……。アンタは、生き残らなきゃ……。妹が、待ってる、んだから、さ……」
段々と視界がぼやけてくる中、ヴェロニカは死を覚悟した。
まさか、半分不老不死のような種族だった自分が、こんな傷くらいで死ぬとは、使徒の皆が聞いたらきっと笑い飛ばすだろう。
「――ふん、つまらん。所詮はヒトの子か」
邪神カーリーは、無慈悲だった。
戦意喪失し、絶望に染まるレアを、容赦なく魔術で拘束した。
その直後、用なしと言わんばかりに邪神カーリーはヴェロニカから無造作に手を離した。
ヴェロニカは、血を流しながら地面に倒れた。
しかし、辛うじて意識は残っていた。だが、意識が残っていたことを、ヴェロニカは後悔した。これから行われる行為を、その眼に焼き付けなければいけなかったからだ。
拘束されたレアの足元に、魔法陣のようなものが浮かび上がった。
そして、邪神カーリーは呪文を唱え始めた。禍々しい暗黒の霧がレアを包み込み、彼女は大きく悲鳴を上げた。
――そして数秒後。
レアは異形の怪物へ変貌していた。大きな体躯に、やけに発達した手。魔術師のローブなようなものを着ているが、その姿かたちは化け物のそれだ。お腹に大きな穴が開いており、真っ黒に蠢いている。顔は人間のようだがどこか不気味で老けており、まるで異形の老魔術師のようであった。
ヴェロニカは、友が化け物になる過程を一部始終見続けていた。
何もできなかった。自分の無力さを呪った。これで全て終わったのだと、そう思った。
「――あらあら、私がアタリでしたね」
薄れゆく視界の中で、ヴェロニカは誰かがこの場にやってきたことを認識した。白い服を着た女性だ。だがしかし、彼女が記憶していたのは、ここまでだった。
そこで、ヴェロニカの意識は途切れた――。