ヴェロニカの過去①
ここから少しだけヴェロニカの過去の話になります。
ヴェロニカ・シュトルンツがこの世界にやって来てから数年。かつての仲間達ともはぐれ、彼女は一人で異界の大陸を旅していた。弱体化した身体はもはや普通の人間以下の能力しかない。まともに魔術も扱えない今、そこら辺の魔物を倒すので精一杯だった。
そんなある日、ヴェロニカは食料を求め、見知らぬ町へ辿り着いた。
森に囲まれたのどかな町だ。見たところ人口もそう多くなさそうだった。
この世界での通貨はリラといい、様々な売買のシーンで利用されている。魔物の素材や薬草、鉱石などを商人に売ってヴェロニカは生計を立てていた。
今日は森でハイドウルフの牙と毛皮を採取したので、この町で売ってお金にする予定だ。そして少ないお金で食料を買い、生きる糧とする。真っ当な吸血鬼であった頃はある程度食べなくとも何ともなかったが、弱体化したこの身体では栄養を定期的に取らねば倒れかねない。他の魔神の使徒とも連絡が取れない今、こうやって食いつなぐのが精いっぱいだった。
「ハイドウルフの牙と毛皮ね……。この量なら2千リラが精々だな」
渡した素材を見ながら、商人の男はそう言った。
正直な話、ヴェロニカに魔物の素材の相場などわからない。
だからいつも、商人の言い値で買い取ってもらっていた。
ただ、間違いなく足元を見られていることはヴェロニカも感じていた。しかし、それでもいいのだ。素性の判らない自分から物を買ってくれるだけでありがたい。
「わかった。それでいいよ」
今回も特に気にすることもなくその金額で売却しようとしたら、何者かが横から割り込んできた。
「ちょっとちょっとおじさん、それはさすがに安すぎるんじゃない?」
現れたのは額に宝石のある女性だった。
奇麗なマリンブルー色の髪に、どこか上品さを感じる立ち姿。腰には短剣を装備していて、最近よく見る冒険者の一人なのかもしれない。
「誰だお嬢ちゃんは? 冒険者か? それはそうと、取引の邪魔はしないでくれねえか」
「ハイドウルフの素材は貴重でしょう? ギルドの依頼の達成報酬だったらその量で2万リラはくだらないわ」
青髪の女性がそう言うと、商人の男は露骨に嫌な顔をした。
女性の言う通り、ハイドウルフの素材はもっと高値で売れるようだ。
「ふん。どこの誰とも知らない魔族から物を買ってやろうっていってんだ。そんなまともな相場で買い取れるわけねぇだろうが」
「な、なんですって……? それでもあなた商人なの? 無知な人を騙して買い取った素材を、その何倍もの値段で売り付けて稼ごうというの?」
青髪の女性が商人の男に言いよると、男はため息をついた。どうやら呆れているようだ。
「わかってねぇなお嬢ちゃん。それが商売なんだよ。無知は罪だ。売る側にもそれなりの知識がないとこうやって食い物にされるのは仕方がないのさ。それにな、何の信用もないコイツから買い取ってやるだけまだマシなんだぜ? まともな商人なら知らないヤツから物を買うなんてことはしねぇ。それを俺は取引してやると言ってるんだ。相場の10%だろうがリラが手に入りゃ文句はねぇだろうが」
「あなた……!」
今にも商人の男に飛び掛かりそうな青髪の女性を、ヴェロニカは制した。
金額が安いことは承知の上だ。わかって買い取ってもらっている。だからこの取引が無しになる方がヴェロニカは困るのだ。
「もういいから。誰だか知らないけどアタシはこの価格で満足してる。足りないならまた素材を集めればいい」
「でも……!」
食い下がる青髪の女性に、ヴェロニカはうんざりした。
軽い気持ちで口を出してこないで欲しい。安い正義感ならなおのことだ。
「邪魔しないでって言ってんの。それともなに? アンタがこの素材をもっと高値で買ってくれるワケ?」
こんな見知らぬやつから買うはずがないと、ヴェロニカは確信していた。
それに2万リラは大金だ。ぽんと出せる金額ではない。
しかし、青髪の女性は少し考えた後、
「わかったわ。その素材、アタシが買います……! ちゃんと相場の2万リラで!」
「な……!? 本気か!?」
商人の男は驚き、問いかけた。
「本気も本気。大本気よ! 言い出したのは私だし、それくらいの責任は取るわ!」
「ち……っ。そういうことなら嬢ちゃんたちで好きにしな。ハイドウルフの素材なんぞ、それ以上の価格で買い取る価値もねえしな」
「よ~し、交渉成立! それじゃあこれ、2万リラね」
そう言って、青髪の女性はヴェロニカにお金を渡してきた。
確かに2万リラだ。まさか本当に相場の価格で買い取ってくれるとはヴェロニカは微塵も思っていなかった。
「アンタバカなの……?」
「私は私のしたいことをしただけよ。ま、まあ……傍から見ればバカかもしれないけれどね……」
「お金も貰ったし、アタシから悪く言うつもりはないけどあんまり変な事に首突っ込み過ぎるとロクなことにならないよ」
「それでもいいの。やりたいことをやるって私は決めたから」
「……呆れた」
どうやら、軽い気持ちで口を挟んできたわけじゃなさそうだ。
なんとなく、ヴェロニカはこの青髪の女性に興味が湧いた。
見知らぬ人間を助け、さらにはお金まで支払うなんて普通出来ないものだ。正義感が強いという理由だけでは片づけられない。
「――ふん。話は終わりだな。商売の邪魔だからさっさと消えてくれ」
商人の男に言われ、ヴェロニカと青髪の女性はその場を離れた。
少し行った町の広場で、二人は立ち止まる。それから青髪の女性はハイドウルフの素材が入った袋をバッグに入れ、ヴェロニカの方を向いた。
「ねえ、よければ少しお話しない? ちょっとあなたに興味が湧いちゃって……。丁度近くに酒場もあるしさ」
「……別にいいけど」
ヴェロニカは大金をもらった手前、誘いを断れなかった。
額に宝石が埋め込まれている青髪の女性。初めて会ったというのに、なんだか不思議な感じだ。これまでは誰とも交流を避けていたヴェロニカだったが、なんとなくこの人は大丈夫なんじゃないかとそう思った。お金をもらったことももちろんあるが、それ以上にこの天真爛漫な女性に惹かれていたのかもしれない。
「あ、そう言えば自己紹介してなかったわね。アタシはレア。レア・ミュール。あなたは?」
「……ヴェロニカ」
「ヴェロニカ! 良い名前ね! そういえばその赤い目、最近増えてきたって噂の魔族? まあ、種族とかそんなことはどうでもいいんだけどね! アタシだって普通の人間じゃないし!」
「……アンタ、ほんと騒がしいね」
「そう? あ、でも今はそうかも! あなたと出会えたから嬉しくて!」
「……変なやつ」
言いつつも、ヴェロニカの口元は少しだけ緩んでいた。うるさいけど一緒にいて不愉快ではない。この世界で孤独だったせいもあって、もしかしたらレアのような友人をヴェロニカは求めていたのかもしれない。